見出し画像

(過去作品)門出ふぶく

 学位記授与式と書かれた垂れ幕が下がっている出入り口の周辺には、学生は誰もいなかった。今日に限っては、ほぼそう言い切っても良いだろう。何故なら、学生は今日、袴かスーツを着ているのがほとんどなので、見かければ一目でわかるからだ。スーツであれば卒業式の運営職員の可能性もあるが、雰囲気でだいたいわかる。集団の中でふらふらしていれば卒業生、一人か二人で行動し慣れ切った感じで気だるそうにしていれば運営だ。
 市役所の駐車場へ車を停めに行った母親と別れ、先に会場である市民会館のロビーへ私は向かっていた。卒業生らしき人は誰もいなかったが、数人の関係者らしき人たちがいた。カジュアルな私服の若者集団は、おそらく卒業生を見送りに来た後輩たちだ。卒業生の保護者たちもいた。その他は、地元の新聞社の記者とカメラマン、地元のテレビ局のアナウンサーとカメラマンとガンマイクを持った音声さんだ。私の大学は県内唯一の国立大学なので、こういった催しは絶対、注目されるのだ。
 私は卒業生に見えているだろうか? 私は、私服を着ていた。黒いスキニーを履き、きなり色のノーカラーブラウスに深緑のカーディガンを重ねて着、紺色の春物のコートを羽織って、シックな色合いで大柄なタータンチェックのマフラーを巻いていた。短い丈のムートンブーツはアイスブルーだ。裏地が鼠色の柔らかい起毛で、暖かい仕様だ。色も、起毛の感触も気に入っていた。講義を受けたり、サークルに行ったりするための普段着と全く変わらない格好だ。
 どうしてか? 卒業式の格好が嫌だったからだ。スタイルの好みとか自分の矜持とかの観念的な問題ではなく、生理的な問題だ。まず、女子学生の多数派である着物と袴は、その独特の匂いが嫌だった。ばあさんのおしろいと古民家のお便所の芳香剤と、桐箪笥の引き出しを勢い良く開けた時に溢れ出た空気を混ぜたような、甘く発酵したような匂いを想像するだけで鼻がもげそうだった。
あと、着物を着たからには化粧したり、髪を結って整えたりしなくてはならない。化粧は嫌い。私は顔の皮膚呼吸が人より盛んなのか、下地を塗っただけで息苦しくなる。ファンデーションの匂いやべたつきにも敏感で、堪えられない。痒い。口紅は、べたつきが気になって、始終、上唇と下唇をこすり合わせてしまう。髪を整える整髪料も嫌いだ。元々、脂性で、出かける前に必ず髪を洗わないと出かけ先で黒光りするような髪質なのだ。その上、さらにべたべたするものをつけられたら不快に決まっている。
ぐっと数は減るが、女子学生にはスーツもある。だが、こちらも生理的に無理。専用のシャツもジャケットもパンツも息苦しい。私は肩幅が広くて角ばっているので、ジャケットがぴったりとしすぎて、拘束着を着ている気分になる。女子はパンツでもスカートでもストッキングを履くのだが、それが痒くていけない。観念的にも、ちょっと無理。私は就職活動からドロップアウトしているから、その負い目が、さらに私を絞めつけていく。
市民会館は大ホールのある本館と、多目的施設として使われている分館に分かれていて、渡り廊下のような玄関ホールで繋がっていた。卒業式の会場が本館の大ホールなのだが、開場時間にはまだ早く、出入り口が閉められていた。分館の方を見やると、袴姿の女子学生が風除室で談笑していた。私は自動ドアに手をかざして中に入った。
分館のロビーは学生たちが犇めき合っていた。色違いのネクタイをした同じような色のスーツを着た男子学生たちと、色とりどりの着物をはためかせながら動き回る女子学生たちである。彼らには私がちゃんと卒業生に見えているだろうか? もしかしたら、二階にある喫茶室に行く途中の客に見えるかもしれない。
私は気分が悪かった。人酔いかもしれないし、着物や化粧品、整髪料、喫茶室の料理や珈琲などの混ざったこの空間の匂いにやられたのかもしれないし、暖房がききすぎていて軽い熱中症みたいになっていたのかもしれないし、騒めきで眩暈がしたのかもしれないが、そのいずれかでもないような気がする。特に理由がないのに、胸にイガイガとした違和感があった。胸の中に得体の知れない手が入り込んで来て、中途半端に乾いたガムを強く胸の壁に押しつけているような、なかなか取り去れない不快な気持ちだった。
苛立ち。でもその苛立ちは、私の今の気分悪さを表す言葉なのか、気分の悪さがなかなか取りされないことに対してなのか、判然とせず、その判然としないことについても苛立った。
ふっと顔を上げると、サークルの同期たちを見つけた。スーツの男子学生が二人、袴の女子学生が三人。そっと歩み寄ると、向こうも私に気づいて、挨拶をした。白い着物と藍色の袴の女子は私の名前を呼んで「おめでとう」と言った。橙色の着物に深緑の袴を着た女子と、深緑の着物に焦げ茶色の袴を着た女子も続けて「おめでと~」と手を振った。私が彼女たちの挨拶に応えると、すぐに各々の世界に戻った。深緑×焦げ茶は通りすがりの彼女の親友を捕まえて、キャッキャと笑い合いながら小走りで違う集団の中へ消えて行った。白×藍は巾着袋の持ち手の紐を弄んで俯いている。橙×深緑はスマホの画面をスクロールしている。細くて節の目立つ、色黒の指だった。
臙脂色のネクタイをした小柄な男子が私に話しかけてきた。調子、どう? 彼は、サークルで一緒に役員をやった仲なので、わりと気に掛けてくれる。単に人に気を遣う言動を心得ているだけだろうが、言葉を掛けられるのは安心するものだ。まあ、まあ、と私は笑いながら答えた。早(さ)弓(ゆみ)はこれからどうするの? すると、彼はこう質問してきた。大学に一年残って院浪人するかな、と私は答えた。あ、じゃあ、早弓はまだ一年残って、でも今日で卒業はするんだね、と彼は訊いた。うん、非正規の学生として。あ、研究生とか? という彼の質問に私は、まあそんなもんと答えた。いや、追いコンも来てなかったからどうしたのかなって、と彼は続けた。私は聞こえなかったふりをして曖昧に頷いた。
 もう一人の男子は、ただぼーっと佇んでいた。長身で手足が長い彼はスーツがよく似合っていた。頭が小さくて、顔立ちがアンニュイな雰囲気で、落ち着いた色と柄のネクタイを締めていた。彼は私に話しかけないどころか、こちらには目もくれなかった。
コートのポケットの中でスマホが震えた。大学院の入試課からの電話だった。私は同期たちから離れて、卒業生たちの騒めきからも逃れて、スマホをタップし、耳に当てた。大学院の科目等履修生として入学が認められたという知らせだった。私は適当な返答して、相手が電話を切るのを待ってから、電話を切った。香ばしい甘しょっぱい匂いがした。目の前の階段からその匂いが降りて来ていた。この階段を上ってすぐに喫茶室があった。ナポリタンの匂いかもしれない。私は、卒業式なんかさぼって、その階段をとんとん上がって行ってしまいたかった。でも、そこまで空腹ではなかった。ただ、小腹は空いていた。でも、ナポリタンは重すぎるなと思った。食べたいものは明確に無かったが、強いて言えば丁度良く満たされるものが食べたかった。だが、丁度良く満たしてくれる食べ物が思い浮かばないのだ。量は? 味は? 匂いは? 温度は? 舌触りは? 歯応えは? 考え出すと食欲が失せた。
さっきの集団に戻ると、またひとり女子学生が増えていた。桃色×藍の彼女は、私に手を振って「おめでと~」と手を振った。橙×深緑がスマホを見たまま、すずめ今から着付けだってよ、と皆に知らせた。すずめとは同期の女子学生だ。今まで何もかもに無関心ですという風に突っ立っていた落ち着いた色柄ネクタイの彼が、えっ? と機敏に反応した。可愛い生き物がドジを踏んだのを目撃した時のような半笑いだった。臙脂ネクタイの彼は、うわははっと笑った。白×藍は、えっ? と、口に両手を添えて小さく背中を反らして驚いた。まるで、コントに出てくるおかんみたいなリアクションだ。すずめは、女子にも男子にも慕われている。普段はしっかりしているのに、然るべきところで天然というか、ズボラな一面を見せる人だ。桃色×藍の彼女は、すすめの袴楽しみだね~と、はしゃいでいる。
私は苛立った。舌打ちを堪えるために口の中で舌に歯を当てて動きを封じた。私は、そっと、この集団から離れて、ソファに座った。
この空間には袴姿の女子しかいない。まるで、袴姿がルールとして定められているかのようではないか? なのに、何故、私のような平服姿が誰にも何も言われないのだろう? てっきり、何か、せめて知り合いには何か聞かれると思って身構えていたのに。いや、期待していたのに。期待?
私は、平服姿を指摘されることで、何を期待していたのだろう?
 私は、しばらく考えていた。
 午前十時半。本館を開場したことを運営職員が告げに分館ロビーへやって来た。ぞろぞろと、卒業生たちは外へ出て本館に向かった。袋に詰めた砂が開かれた口から流し出されていくようだった。私はあらかた卒業生たちの混雑が空いてから立ち上がろうと思って、ぼーっとしていた。
 母親からLIENが来た。保護者列に並んで先に入場する、PS、スーツの女子もいたよ、という内容だった。だから何だ?
私なんか平服だぞ平服。ほら、卒業生の集団の中にいなかったら、ただの公共施設利用者に見えるぞ。
 学生があらかた外に出、あとに誘導していた運営職員が一人残った。彼は、私が卒業生だと、きっと、わからない。もし、今、卒業生の列に並んだら、首を傾げて声を掛けてくれるだろうか? あのぅ、この列、○○大学卒業式のなんですけどぉ~。
 本当に誰もいなくなった。運営職員すらさっさと去ってしまった。上の階から苦くてコクのある匂いと微かな熱が降りて来た。多分、ビーフシチューの匂い。だから、重いんだっつの。私は本館に向かった。
 本館の入口からロビーを通り抜けて、大ホールの入口に着いた。開け放たれた扉から中の様子を眺める。ピンク色の絨毯張り、眠くなりそうな暖色系の照明、その空間を動き回る黒山の人だかり。飴の欠片に蟻がたかって蠢いているみたい。卒業生たちの騒めきが、床を這い、天井をつたってこちらに迫ってくる。透明な羽虫の大群に全身をまさぐられている気分になり、足がすくみ、目眩がした。私は、中に入る決心をつけるまでに五、六度、出入り口の前を往復しなくてはならなかった。
 ホールの座席は、卒業生と保護者に分かれていた。卒業生が舞台側で、保護者はオペレーター室側だった。私は、卒業生側とも保護者側ともつかない、二者の間の席に座った。
 私は開始時間ぎりぎりに来たので、もう司会者が登壇し、進行の口上を述べていた。その最中、袴の女子学生とスーツ姿の男子学生が入って来た。早足で静かに階段を登ってくる。女子学生はすずめだった。白地に黒の矢絣、藤色の袴だった。男子学生は、同じサークルの子だった。中肉中背で、黒縁の眼鏡をかけ、青白い老け顔だった。ネクタイは光沢のあるロイヤルブルーだった。彼は、白黒矢絣×藤色の彼女の後ろに、そっと添うように歩いていた。私は、白黒矢絣×藤色が或る日酔っぱらって、光沢ロイヤルブルーネクタイの家に突然、泊まりに行ったというエピソードを、落ち着いた色柄ネクタイと臙脂ネクタイが話していたことを思い出した。私はその時、そういう友達なんだな、と思っていた。いや、誰と誰の話であっても最初は友達なんだなというワンクッションを入れようと心掛けていた。私は、男女の機微に関する直感が愚鈍だった。いきなり恋愛という可能性に飛びつくよりは、浅ましくないと、学習した知識から考えていたのだ。今、黒矢絣と光沢ネクタイの光景を見ても、ピンと来ない。
 卒業式は典型的な祝辞と式典で終わった。途中、校歌斉唱と蛍の光を歌った。渡されたプログラムに歌詞はのっていたが、皆、発音できていなかった。んぁー、なぁー、あー、うあー。私も、歌う気は毛頭なかった。口パクさえしなかった。大学の卒業式というのは、決して重要な式典ではないのだな、と、今さらながら気がついた。もしかしたら、皆はとっくに気がついていたのかもしれないとも。だとすれば、私は、自分の鈍さが嫌になった。閉会の辞。
 外に出ると曇天、風がきりりと冷たい。重たげな雲から野太い風鳴りが降りて来た。地上は色とりどりの着物、しゃなりしゃなりって聞こえそう。インタビューを受けている袴もいる。新聞記者はメモを取りながら、前のめりというより中腰のような姿勢で話を聞いている。テレビのインタビューはぴんと腕を伸ばしてマイクを向けている。社会人の一員として頑張ります、と、どっちの袴も言っていた。
 一員。
 虫唾が走る。軽々しく、一員になるという言葉が使えるとは、羨ましい。自分には常にやるべきことが与えられ、社会に受け入れられるという信頼がうかがえる。そして、自分でその権利を勝ち取りましたという自信も見える。そして、そうでもしないと生きていく自信が萎えそうですという不安もだ。そしてその不安は、これまでの社会生活のステップで、一員になる権利を堪能した者だけが味わえる。
 一員。
私は、一員なんて感覚、味わったことが無い。しかもそれは、時に私の意志とは関係のない生得的な特質というか、生理的な嫌悪感が障害となっている。私は、一員になることを拒否しているという一面もあるし、一員にして下さいという強烈な渇望もある。
 私は、自分の格好を検めた。黒いスキニーを履き、きなり色のノーカラーブラウスに深緑のカーディガンを重ねて着、紺色の春物のコートを羽織って、シックな色合いで大柄なタータンチェックのマフラーを巻いていた。短い丈のムートンブーツはアイスブルーだ。裏地が鼠色の暖かい起毛で、暖かい仕様だ。色も、起毛の感触も気に入っていた。
 今日、この格好をするというのは、自分で決めた。私の大好きな、そして気楽で安心していられる格好だった。それなりに品もあるセンスのつもりだった。着物も化粧もスーツも嫌だったのも本当だ。私は、成人式だって振袖を着ていないし、出てもいない。成人式は時間とお金の無駄だもの。それは、私が確かに望んだことだ。なのに、なにか後悔ともつかない、心残りとも言っては大袈裟すぎる、言い表せない違和感があった。自分が何かを拒否した。拒否した、と言うほどの強い出来事を受け入れなかったという思いがあった。そして、私が受け入れられなかったという失望もあった。
 頬に冷たい粒が触れ、瞬く間に肌にしみ込んだ。視界の端にある黒い背中に白い粉が舞っていた。吹雪いてきた。桜の名所として有名な公園に、この市民会館はある。三月末、北国の桜は、まだ枯れ木なのだ。雪の粒は、だんだん大きくなっていく。卒業生たちの髪の毛に降雪はくっつく。真っ白な頭のまま、初々しい善男善女たちは写真を撮っている。
 大学の卒業式は、さほど重要な式典ではない、と気づいている。少なくとも、その出来事自体は。個人個人が卒業式に物語―例えば、青春とか、親孝行とか―をつけていない限りは。
まつ毛に雪が引っかかった。私は目をつぶって、まつ毛を目の下の皮膚に触れさせ、雪を溶かした。目を開く瞬間、視界がぼやけ、舞い散る雪の粒が、柔らかくて平べったい花びらのように見えた。
私はすぐに、かぶりを振った。違う。桜の花びらは、もっと緻密で温いのだ。
やっと分かった。
この出来事を通して、私が拒否したもの。それは、この吹雪を無視して均質化した春を堪能すること。皆、社会から与えられた典型的な春―例えば就職、社会の一員、仲間との送別会、我が学び舎など―を作っている。耐え難い吹雪の冷たさ、寒さ、痛さをやり過ごすために。他にも、とっくに感覚が麻痺している者や、吹雪を承知で春を演じることを疑うことを止めた者もいるかもしれない。吹雪を桜吹雪に見立てて楽しむことが賢い、様になる過ごし方だと、ポジティブな心持の先進的な考え方の人間もいるかもしれない。しかし、それが間違いではなく正しいが、強制されるものではないことも、私は頭では理解している。
でも、一人くらい、いないのか? 春を演じることを拒否し、寒い寒いと温かい服をたっぷり着込んで、ここに来る人が。そして、この門をくぐり抜ける人が、誰かいないのか。
みんな一緒、気持ち悪い。私だけ違う、心細い。寒い。でも、私は私の意志だけでは、みんなと一緒には、なれない。なりたくないけど、一人は嫌だ。でも、みんなが一緒で構わないと思っていることは、私にとっては吐き気がするほどの嫌悪を感じてしまい、拒まなければ自分の精神が危険にさらされてしまうと、恐怖すら感じるものなのだ。
それとも、精神を守ることは周りを白けさせてしまうほど、余裕綽々な人間のざれ言ということになってしまうのだろうか?
この吹雪の中でにこにこしながら写真を撮っている輩は、桜の花びらを摘まんだことがあるか? 桜の花びらの生々しさと温もりを知っているのか? そんな感覚が存在することを思い浮かべたことがあるのだろうか? 知ってしまわない方が幸せなのか、本当になんとも思わないのか?
誰がどう思うことが正しいのか、そんな問題ではないのだろう。私も、自分が正しいと叫びたいわけではないし、お前らは間違ってるから改めろ言ってはあまりに酷い。
私は、取り返しのつかない遅れを取っているのではいか、という不安がある。でも、性質の悪いことに、まだ余裕があるのだ。
遅延の劣等と優越。余裕の恥と諦め。
本物の吹雪の中にいるのは、私だけだ。でも、その吹雪の中に、もし人がいれば、私は、その人に向かって叫ぶだろう。声が届かなければ、駆け寄って手を差し出すだろう。その手が無視された時は、きっと立ち直れない。そこから立ち直る方法も、これから体得しなければならないのだ。
私は、そこから始めるのだ。


                  了

頂いたサポートは、本代やフィールドワークの交通費にしたいと思います。よろしくお願いします🙇⤵️