絶対明度_前_

絶対明度(前)

腹の底から込み上げる笑いに、どうしようもない状況。
その只中に、俺は居た。


よくよく思い返してみると、こんな晴れた日は久々で。
いつもならサボりたくなる……いや、大抵サボっちまう朝練でさえ、真面目に出てやろうかという気持ちになる。ただ天気がイイ、それだけのことなのに、我ながら単純。
でも見回した限り、思ってるコトは多分みんな同じだ。
それぐらい、今日は文字通り清々しかった。頭上を見上げれば雲一つ無く、空が視界いっぱいに広がり切って爽快感は格別。
昨日窓越しに伺えた、黒雲から流れ落ちるように叩き付ける雨を思い出す。夜遅くまでの暴風雨が、マジで嘘みたいだ。雨雲を連れて来た台風は、すっかりどっかに行っちまった。
一つだけ難を挙げるなら、変わったばかりの冬服がこの陽射しにミスマッチなコト。
黒の学ランは忌々しくなる程に日光を吸い上げる。内側に熱が篭る。静かに汗が流れた。
要は、暑い。
タンスの上に置き去りにしたシャツを思う。大人しく、あっちにしときゃ良かった。
あまりの天気の良さに半ば浮かれて引っ掴んだのは、風紀に引っ掛かること請け合いの派手派手しい代物。
コレじゃ脱げねぇよ、クソ暑い!
学ランの裾をはたはたと揺らして送風。ほとんどっつーか、全然、意味無し。
上履きで歩くことを許されたコンクリートの上、よたよたと食料を運ぶ黒々とした蟻が視界に入ったけれど、あっと思ったトキには既に靴底の影の下で、申し訳無くも冥福は舌の上で転がすだけに留めた。独り言を呟いてる余裕なんか、無ぇ。
チャイムの音を聞きながら、教室に駆け込む――ホームルームが始まる、前に。

「おはよ」
「っあ、はよ」
「めっずらしい、遅刻じゃないの」
「んだよ、たまにはいーだろ」
「折角晴れたのに……また雨降るかも」
「だよなぁ……ってぇ、オイ!」

『びしっ』という効果音まで、御丁寧にもれなく付けて頂きたい勢い。
隣の席の水川(みずかわ)は、そんな俺のジェスチャーを気にも留めずに言い放った。

「ってゆーか今日なんて、むしろ遅れてきたほうが良かったんじゃ?」
「え?」
「ホームルームに続けて始めるだろーし」
「……?」
「一時間目。先生、いつもそうでしょ」
「……何か、問題有り?」
「当たるのアンタの席から」
「うっそ」

――真面目な幼なじみであり、副委員長のお言葉が嘘のハズもなく。


結局散々な目に合った、一時間目の数学――もう出たくねぇ――の後。教室移動の真っ最中、廊下の窓から外を眺める。
次の時間が体育なのか、グラウンドに現れ散らばる人影は自分よりも若干小さく見えた。
何か、まだすんげぇチビっこいなぁ、と思う。
……去年は俺も、あんくらいだったんだっけ? さっぱり覚えてねぇ。
記憶の遥か彼方から去年の身体測定結果を引っ張り出して比較しようとしてみたものの、上手くいかない。コレだから数学は苦手なんだよ、と意識に上らない数字に向けて舌打ちする。
単なる、ヤツアタリ。薄く開いていた口元からは、予想以上に大きな音が漏れた。
それを目聡く――じゃねえ、耳聡く――聴き付けて、目の前を歩いていた後ろ頭が思い切り良くこちらを向く。

「どしたん?」
「……いや」
「落ち込んでんの?」
「……一応ね」
「まぁ、自業自得だね」
「………」
「朝練サボって、いつも遅刻してりゃ、一つくらい罰も当たるよ」

……言ってくれるな、心の友よ。
河原(かわら)は笑顔で毒を吐く。いつものことながら、そろそろ慣れたい。一番言われたくないコトをさらりと突き付けられるのは、とても心臓に悪い。
そう思うんならつるむの止めれば? と、自分に時々疑問符を投げる。それでもきっと、腐れ縁だ。下手したら一生モノだったりして。……笑えねぇ。
そうこうしてる間にも、すぐソコに迫る目的の部屋。廊下を突き当たったところにある、『半』完全防音の音楽室。
何で『半』って、そりゃ完璧音を閉じ込められるワケない。現に五月蝿ぇことも多いし。
そして、今からは俺達が騒音の元凶になる。
みんなはドアの前に溜まっていた。……まだ終わんねぇのかよ、前のクラス。

「まだ、終わんない?」

河原が声をかけた相手は、水川だった。その横には、いつもぽやっとして穏やかな漣(さざなみ)。
漣は絶対、河原を好きだ。悪いんだけど、つーか本人は必死に隠してるつもりなんだろーが、はっきり言って分かり易すぎる。
河原のヤツが気付いてるかまでは知らない。そんなん聞いたら、漣が河原のこと好きだって教えちまうことになる。それはいくら何でも可哀想だ、本人が気付いてもらいたがってんならともかく。
そして、その分かり易さは多分、俺自身にも当てはまるコトで。
持て余した時間をぼんやりと貪りながら、河原と水川のやり取りに耳を澄ませる。漣の視線――ほんっと、分かり易いな――を暫し眺めていると、不意に音楽室のドアが開いて周囲がざわめきに包まれた。

「終わったみたいだね」
「漣、行こっ!」
「あっ、うん」
「………」

手元口元から零れ出す音符で、騒々しい二時間目が始まる。


漣はピアノが上手かった。
今も音楽室の一番前、普通は先生が座るはずの椅子――グランドピアノを任されている。授業中の伴奏は、いつも漣の役目。それなら先生いなくても別にいーんじゃねぇかと、内心みんな思っている。
水川はグランドピアノの前に陣取って、先生の目を盗んで漣に手を振ったりする。それに漣が照れたように笑う。音楽室での、いつもの光景。
いつもは本当にぽやっとして、思わず心配しちまうような――そしてそのことについて、本人に自覚は全くない――天然っぷりを発揮しているのに、ピアノの前に座ると表情も一変して、張り詰めた空気を漂わせる。その指先は、普段の様子からは想像もつかないような早さで鍵盤を叩き、観る者と聴く者を圧倒する。
確か去年の合唱祭でも、一年生なのに伴奏部門で最優秀賞を掻っ攫ったぐらいだ。
先程の、河原への感情に素直な視線を反芻した。そんな痕跡なんて、影も形も見えやしねぇ。
単純に、そのギャップが面白くて、静かに頬が引き攣る。筋肉が笑う。
って、笑ってる場合じゃねぇよ、俺。今、歌ってんだから!
必死に自分に言い聞かせた途端に、伴奏が止まった。当然、みんなの歌声も止まる。勢い付いた俺の声だけが、間抜けにも宙に浮いた。

「ちょっと早瀬(はやせ)、真面目に歌う!」
「……はーい」

河原の呆れた横顔が、視界の隅に映り込む。
振り返った水川は、口元を押さえていても目の笑いは隠せてねぇ。漣は微妙に申し訳無さそうな表情。つーか、お前悪くないから気にすんなよ。
先生の指示で再び伴奏が流れ出す。テノールはもう少し先。ソプラノとアルトが響き出して。
あぁ、俺、素直で可愛い漣を好きになりゃ良かったのになぁ。――なんて、一瞬だけ考えてみた。


絶対明度(前) 終
再掲元:個人サイト(閉鎖済)2003/05/20

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