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石炭さんとボイラーとぶどうジュースと

シャワーの温度は39℃

 熱エネルギーは温度の高いものから低いものへと移動する。だから、お湯から体に温もりを移すのには温度差が必要になる。差を大きくすればするほど良いのは知っているけれど、熱すぎるのは苦手だ。
 だから39℃。38℃はぬるすぎる。

 創作の世界では、『熱いシャワー』は何かと重宝されている。
『大丈夫、明日の今頃には家で熱いシャワーを浴びてゆっくり出来るさ』
なんて、明らかに無事に家に帰れなさそうなフラグが立てられる作品に何度も遭遇した。

 俺がそれでも熱いシャワーを嫌うのには理由がある。熱いシャワーを浴びていると、火傷したときのような異様な寒さに襲われるからだ。高熱を出しているときの悪寒とほぼ変わらない。公害で頻繁に高熱を出していた幼少期の頃に染みついたこの感覚はたぶんもう消えない。だから、温泉も嫌いだし、湯船につかる頻度なんて二年に一度くらいだ。

石炭

 俺が生まれた故郷には当時、日本のような戸別のガス給湯器はなく、庶民の住むマンションの敷地内にある大きな煙突が生えたレンガ造りのボイラー施設で石炭を燃やして水を沸かして、各戸の水道や床暖房に供給する仕組みだった。
 階段の踊り場の暖房や、床暖房を経由して冷ましているとはいえ、蛇口から出てくるお湯は熱々で、棘があった。水と混ぜても棘は取れず、高熱が出たときのような熱いお湯の冷たさのせいで入浴が嫌いになった。
 そんな棘まみれのお湯を量産するボイラー施設のそばには石炭の山があって、風が吹くと石炭の粉塵が舞い上がった。加えて、そこかしこで石炭を焚いているから、一日外出すると煤で髪の毛はパキパキ、手を洗うと水が黒くなるような世界だった。そりゃ喘息にもなる。

 俺が幼い頃に祖父母と住んでいたマンションのボイラーには、いつも同じような汚れきったタンクトップを着たおじさんが住み込みで働いていて、口に煙草を咥えながら、サボったりサボらなかったり、ボイラーに石炭を焚べていた。俺はそのおじさんのことが好きで、『石炭さん』と呼んでいた。床暖房があまり暖かくないと感じると、俺は祖父についてきてもらって、石炭さんに会いに行った。

「石炭さん、今日はあんまり暖かくないよ」

 俺と仲良しだった石炭さんは

「何だ坊主、文句があるならお前がやれ」

と怒ったフリをして喧嘩をふっかけてきてくれた。俺はそのやり取りが大好きで、

「じゃあ、俺がやる」

と、近くに転がっている石炭を拾ってボイラーの中に投げ込む。そして、石炭を数個ばかり投げ込んで、

「これでみんな寒くないね」

と、あたかも大仕事を片付けたかのような口調で俺が言うと、石炭さんは

「そうだな」

と手をタオルで拭ってから俺の頭を撫でてくれた。祖父は何も言わずに笑っていた。

 石炭さんからしてみれば、つい先週二足歩行出来るようになったようなチビに仕事のクレームをつけられたら可笑しくて仕方がなかったんだろう。


ぶどうジュースはビールより美味い

 ある日、俺がいつものように石炭さんに会いに行くと、彼は仕事が一区切り着いたらしく、ビールを飲んでいた。

「石炭さん、みんな寒いって言ってる」
「そりゃ寒いだろう。冬なんだから」
「もっと燃やして」
「これ以上燃やしたら壊れてしまうんだぞ」
「そうなの?」
「そうだ。でも安心しろ、今日は寒いけど、夜の間も俺がずっと火を燃やし続けててやるよ」

 生意気にも、俺はそのときに初めて石炭さんのことを尊敬した。そして、何かお礼をしたいと考えた。

「石炭さん、ビールなんかよりぶどうジュースのほうが美味しいんだよ。世界で一番美味しい飲み物なんだから」

 俺はそう言い残して、走って家に戻って缶のぶどうジュースを3本取ってきた。両手に一本ずつ、右ポケットに一本。祖父が持つと言ってくれたけど、断った。自分の手で持って行きたかった。

「これね、中にぶどうの粒が入ってて、すごく美味しいんだよ。あと、元気も出るよ。俺は入院してもこれ飲んで元気になって退院してる。だから石炭さんにあげる」

 石炭さんから返事がなくて、顔を見上げてみると彼は泣いていた。俺は彼がどうして泣いているのか理解できなかった。石炭さんは、石炭で汚れた手で目元を拭ってから、ジュースを受け取ってくれた。

「そんな美味しいものを独り占めしても美味しくないなぁ。みんなで飲もう」

 石炭さんはそう言って、一本を俺、一本を祖父に手渡してくれた。そして、俺たち三人で乾杯をした。

「確かにこれはビールより美味しいな」

「でしょ?世界一美味しいよ」

「そうだなぁ」

 石炭さんはずっと泣いていた。

「石炭さん、男は泣いちゃダメなんだよ。拳を握って、歯を食いしばって生きなきゃいけない。ね?おじいちゃん?」

「そうだね。でも、石炭さんは嬉しくて泣いてるんだと思うよ」

「嬉しくても泣くの?」

「俺が悲しくて泣くわけないだろ。坊主、お前はきっといい人間になる。俺にしてくれるようなことをこれからも大事な人達にしてあげるんだぞ」

「いい人間ってよくわかんないなぁ」

「いつかわかる日が来る。お前は記憶力がいいからいつか思い出すさ」

 その日以降、石炭さんに会いに行くときは、必ずぶどうジュースを持って行った。俺は石炭さんの仕事ぶりを監督して、たまに石炭の入れ方を指導してあげたりして、最後に石炭さんと祖父と三人でぶどうジュースを飲む。石炭さんからしたら、邪魔で仕方なかったと思うけれど、それでも嫌な顔ひとつせずに構ってくれた。石炭さんは俺の大事な友だちだった。

さようなら

 石炭さんと友だちになって一年ほど経ってから、ついに俺が日本に渡ることが決まった。やっと大好きな母と空気のきれいなところに住める。俺は母から聞いていた日本の話を石炭さんにたくさんした。石炭さんはいつだって

「そりゃすげーな」

と楽しそうに聞いてくれた。

 そして、日本に旅立つ日、日本に慣れるまでの間は祖父母もついてきてくれる事になっていたから、俺は何も寂しくなかった。親戚なんて俺をいじめていた奴らがほとんどで、なんなら清々しい気持ちだった。

『俺は必ず日本で成功して、親戚全員を見返してやる。拳を握って、歯を食いしばって』

 しかし、ふと石炭さんのことを思い出すと、胸が苦しくなった。今から母に会いに行くのに、どうして母と別れたときのような痛みに襲われるのかわからなかった。

 さようならを言いに行くと、石炭さんはいつものように煤だらけで働いていた。

「お、坊主ついに今日か」

石炭さんが優しさと同じくらい深い目尻のシワを下げて笑う顔を見た瞬間、俺は弾けるように泣いた。声を上げて泣いた。驚いた石炭さんは持っていたシャベルを置いて、慌てて手をタオルで拭って駆け寄ってきた。

「どうしたどうした」

 俺は何も言えずにひたすらに泣いた。石炭さんと別れるのがとてつもなく悲しかった。

「坊主、男は泣いたらダメなんじゃなかったのか?拳を握って、歯を食いしばって、だろ?」

「ちがう…嬉しくて泣いてる…大好きなお母さんと日本で一緒に暮らせるのが嬉しくて泣いてる。俺が悲しくて泣くわけない」

「そうだよな。石炭さんも嬉しいぞ。これから坊主の楽しくて幸せな人生が始まるんだ」

石炭さんも泣いていた。

「めでたい日だ。乾杯しよう」

 そう言うと石炭さんは、いつものぶどうジュースを俺と祖父に渡してくれた。俺と石炭さんと祖父、いつもの三人で、最後の乾杯をした。全員が泣いていた。

「日本に俺よりすげぇボイラー野郎がいても、俺のこと忘れるなよ。まぁ、坊主は記憶力が良いから忘れないか」

「絶対に忘れない」

今でも、石炭の山の前で見えなくなるまで見送ってくれた石炭さんの姿を覚えている。

いつものぶどうジュースの空き缶とシャベルを持っていた。


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