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久生十蘭「骨仏」を読む(全)

直木賞作家の久生十蘭のショートショート小説を読んでみましょう。
まさに「言葉の魔術師」の面目躍如といった作品です。

読解のポイント 

読解のポイントは、6つです。
(1)  伊良は、何の職人でしょうか?
(2)  伊良が鼻唄を歌っている理由はなんでしょうか?
(3)  「伊良の復讐」とは、どういう意味でしょうか?
   ①   誰に対する復讐でしょうか?
   ②   何が原因でしょうか?
   ③   なにを達成すれば復讐は達成されるのでしょうか?
(4)  伊良の妻は、なぜ、亡くなったのでしょうか?
(5)  梶井は、疎開中、どのようにして暮らしてきたのでしょうか。
(6)  梶井の最後のセリフは、伊良にどのような変化を起こすものでしょうか?

本文を読んでみよう

 骨仏


                       久生十蘭

床ずれがひどくなって寝がえりもできない。梶井はあおのけに寝たまま、半蔀の上の山深い五寸ばかりの空の色を横眼で眺めていると、伊良がいつものように、「きょうはどうです」と見舞いにきた。

疎開先で看とるものもなく死にかけているのをあわれに思うかして、このごろは午後か夜か、かならず一度はやってくる。いきなり蒲団の裾をまくって足の浮腫をしらべ、首をかしげながらなにかぶつぶついっていたが、そのうちに厨へ行って、昨日飲みのこした一升瓶をさげてくると、枕元へあぐらをかき、調子をつけてぐいぐいやりだした。

那覇の近くの壺屋という陶器をつくる部落の産で、バアナード・リーチの又弟子ぐらいにあたり、小さな窯をもっていて民芸まがいのひねったような壺をつくっているが、その窯でじぶんの細君まで焼いた。

細君が山曲の墾田のそばを歩いている所を機銃で射たれた。他にも大勢やられたのがあってなかなか火葬の順番がこない。伊良は癇癪をおこして細君を窯で焼き、骨は壺に入れてその後ずっと棚の上に載っていた。浅間な焼窯にどんな風にして細君をおしこんだのかそのへんのところをたずねると、伊良は苦笑して、
「どうです。あなたも焼いてあげましょうか。おのぞみなら釉をかけてモフル窯できれいに仕上げてあげますがね」などと空をつかってはぐらかしてしまった。

きょうはどうしたのかむやみにはかがいく。たてつづけにグビ飲みをやっていたが、
「春は野も山も、百合の花盛リーイ、行きすゅる袖の匂のしおらしや……」
とめずらしく琉球の歌をうたいだした。

「いい歌だね。それに似たようなのが内地にもあるよ……野辺にいでて、そぼちにけりな唐衣、きつつわけゆく、花の雫に。それはそうと、きょうはひどくご機嫌だね」

伊良はニコニコ笑いだして、
「まだ申しあげませんでしたが、わたしの磁器もどうやら本物の白に近くなってきたようで、きょうはとても愉快なんです」と力んだような声でいった。民芸では食っていけないので、ファイアンスの模造をはじめたが、予期以上にうまくいきそうなので、手本を追いこすくらいのところまでやってみるつもりでいる、とめざましく昂奮しだした。

「日本の磁器は硬度は出るのですが、どこか煤っぽくて、どうしてもファイアンスのような透明な白にならないんですね。ひと口に白といっても、白には二十六も色階があるので、日本磁器だけのことではなく、すぐれた磁器をつくるということは、要するにより純粋な白に近づけようという競争のようなものなんですよ。ファイアンスの白を追いこすことが出来れば、黒いチューリップや青いダリヤを完成したくらいのえらい騒ぎがおきるんです」

「すると君がやっているのは、中世の錬金道士の仕事のようなものなんだね」
と皮肉ってやったが、まるで通じないで、
「錬金道士か。なるほどうまいこという。そうです。そうです。そうなんですよ。ひとつお目にかけますかな」

ひょろひょろしながら出て行ったが、すぐ白い瀬戸物のかけらを持って戻ってきた。

「どうです。この白のねうちがあなたにわかりますか。これでたいしたものなんですよ。いったい磁器の白さをだすには、人骨の粉末を微量にまぜるというマニエールがあって、それは誰でも知っているんですが、セエブルでもリンブルゴでも、混合の比率は秘密にして絶対に知られないようにしているんです」

「そういうものかね。はじめてきいた。でもそれは人間の骨でなくてはいけないのか」

「そうです」

というと、膝杖をついてうつらうつらとなにか思案しはじめた。

この白さをだすのに誰の骨を使ったかなどとかんがえるまでもない。伊良の細君は肌の白い美しいひとで、その肌なら、ある意味で伊良よりもよく知っているわけだが、そのひとの骨がこの磁器のかけらにまじりこんでいると思うと、その白さがそのまま伊良の細君の肌の色に見え、いい知れぬ愛憐の情を感じた。

「ともかくそれは大事業だね。切にご成功を祈るよ」

「ところが、このごろ人骨が手に入らないので、仕事がすすまなくて弱っています。フランスでは磁器に使う分は政府が廃骨を下げわたしてくれるので楽ですが、日本にはまだそんな規則もないし、いざ欲しいとなると、これでなかなか手に入りにくいもんです」

というと、ジロリとへんな上眼づかいをした。

肉親も親戚もみな戦災し、死ねば伊良が葬うほかないのだから、骨の始末は心のままだ。ひょっとすると、伊良はこの骨に眼をつけて、毎日じりじりしながら死ぬのを待っているのかも知れない。大きにありそうなことだと考えているうちに、なるほどこれが伊良の復讎なのかと、それではじめて釈然とした。

細君がほんとうに機銃掃射でやられたのかどうか、それを知っているのは窯だけだ。伊良がそういうつもりでかかっているのなら、これはもう皿にされるのはまぬかれないところなので、
「困ることはないさ。死んだらおれの骨をやるよ。期待していてくれたまえ」
と先手を打ってやると、聞えたのか聞えないのか伊良は、
「ああ、酔った酔った」
 と手枕でごろりとそこへ寝ころがって鼾をかきだした。 

原文出典

久生十蘭 『日本探偵小説全集8 久生十蘭集』 (創元推理文庫)

久生十蘭 『昆虫図 ~久生十蘭傑作選Ⅳ』 (教養文庫) 

久生十蘭 『黒い手帳』 (光文社文庫) 

久生十蘭 『墓地展望亭・ハムレット 他六篇』 (岩波文庫) 


読後感

 

(生涯学習センターの講師)

最高ですね。この言葉遣い、ストーリー展開。久生十蘭には、ずっと憧れてきました。今日は、ぜひ、このジュラネスク・ワールドを堪能してください。

 

(生涯学習センターの受講者)

それはよかったです(笑) 十蘭好きって、ジュラニストとかって言いますよね。

ただ、いろいろな箇所で、説明が不十分な感じがしました。不親切というか。気持ち悪い文章に見えます。

そう言われるのは、分かります。今回は、テーマもテーマだから、というのもありますが、敢えてそういう書き方をしているので、そこを感じ取ってみましょうか。

読解のポイント(1)

では、読解のポイント(1)からみていきましょうか。伊良は、なんの職人でしたでしょうか? 

陶芸家だと思います。文中にも、「那覇の近くの壺屋という陶器をつくる部落の産で、バアナード・リーチの又弟子ぐらいにあたり、小さな窯をもっていて民芸まがいのひねったような壺をつくっている」とあります。

その通りですね。バアナード・リーチは、イギリスの陶芸家で、日本在住中に六代目の尾形乾山に弟子入りし、民藝運動の柳宗悦ら白樺派の人々と親交を深めた実在の人物です。イギリスに帰国後も陶芸を続け、イギリスに日本風の登窯を築いて工房を設立しています。

読解のポイント(2)

では、読解のポイント(2)です。伊良が鼻唄を歌っている理由はなんでしょうか?

自分のつくった磁器で、理想に近い「白」が出せたからだと思います。

そうですね。伊良自身が、そう言っていましたね。伊良は、もともと陶器で民藝品をつくっていたんですよね。それが、それだけでは生活できないということで、磁器を作るようにしたと書いてありました。

陶器も磁器も、ガラス質の長石・珪石と、粘土を使います。陶器は粘土を主な素材としてつくるので、粘土に含まれる鉄分などによって焼き色がつきます。土の成分によって色の出方が異なるので、全国各地の、その土地ならではの個性を生み出します。磁器は、鉄分の少ない粘土を選び、長石や珪石と合わせます。ガラス質が多いことから、吸水率もほぼ0%となり、白い肌が生まれます。

なので、素材の組み合わせ方を変えて、より高値で売れる商品の開発をはじめ、その開発の面白さに目覚めて創意工夫をしているという伊良の姿が伝わってくると思います。 

でも、その創意工夫で、亡くなった奥さんの骨を使いますか? すこしだけ磁器に混ぜるとはいえ、奥さんなんです。モノ扱いするだなんで、すこし異常だと思います(怒)

いい疑問ですね。その点は、後に答えが出てきますよ。ですので、その前に、いくつか確認しておきましょう。まず、伊良は、どうやって、その理想の「白」を出せるようになったんでしょうか?

磁器に骨を入れています。「セエブルでもリンブルゴでも、混合の比率は秘密にして絶対に知られないようにしている」と言っていますので、いろいろ試した結果、理想の白を出す混合比率を探り当てたと思います。セエブルって、パリとヴェルサイユの間にある、昔の王立窯のことですよね。

その通りですね。セエブルは、1742年にルイ15世などの出資でできたフランスの窯です。ちなみに、ここにいうリンブルゴがなにかは分かりません。最後のgをゴではなく、ドイツ語風にクと読むとリンブルクになります。リンブルクは、フランクフルトのそばにあるドイツの古都ですが、ここに1947年にガラス製造会社のリンブルク社が設立され、「リンブルグの白」と呼ばれる高品質なガラス器具を生産しています。磁器ではないですし、製法も異なりますので、これは久生十蘭の勘違いではないかと思いますね。 

ドイツの磁器といえば、マイセンですもんね。きっと久生十蘭は、「フランスでもドイツでも」と書こうとして、これを都市名に落とし込むときに、ドイツの都市名がずれてしまったのではないでしょうか。 

読解のポイント(3)

そこで、読解ポイント(3)です。「なるほどこれが伊良の復讎なのか」とありますが、この復讐って、誰に対して、なにが原因で、どのように達成されるものなのでしょうか?

誰に対してかは、明快だと思います。主人公の梶井に対してだと思います。

まずはそうでしょうね。その場合、復讐されるような原因があったはずなのですが、それは何でしょうか?

ひょっとして、奥さんとの不倫・・・でしょうか?

「伊良の細君は肌の白い美しいひとで、その肌なら、ある意味で伊良よりもよく知っているわけだが、そのひとの骨がこの磁器のかけらにまじりこんでいると思うと、その白さがそのまま伊良の細君の肌の色に見え、いい知れぬ愛憐の情を感じた。」という段落がありますよね。

その通りですね。

 

そうすると、復讐の対象は奥さんと梶井の二人。 

そうです、そうです。

奥さん、梶井を二人とも殺して、自分の磁器を白くする素材として使おうということでしょうか・・・ 怖っ! 

そうです。それが感じられる表現を抜き出せますか?

「ジロリとへんな上眼づかいをした。」ですか・・・? 梶井のことを完全にモノ扱いしていますよね・・・

ですね。復讐で伊良が達成したいことは、後でもう少し掘り下げてみましょう。

読解のポイント(4)

一旦、読解ポイント(4)に行きましょう。伊良の妻は、なぜ、亡くなったのでしょうか? 

不倫が夫にばれて、殺されてしまったから。

そうですね。では、どうして殺されたんでしょう?

このヒントとなるのは、正に、復讐で達成する内容にあります。奥さんと梶井の二人を自らの手で殺すというのではダメだったのでしょうか? なぜ、骨を利用することが復讐になるのでしょうか?

奥さんのことは、カッとなって殺してしまったのかも知れません。もともと伊良はいい人で、簡単に人を殺せる人ではないのかも。だって、憎いはずの相手の日常の世話をしてあげているんですよね? お人よしですよね。

お人よしですよね、ほんと。伊良だけをみていても、殺人の動機も、復讐の目標の異常さもよく分からないままに終わってしまいそうですね。

読解のポイント(5)

ということで、読解のポイント(5)に進みましょう。梶井は、疎開中、どのようにして暮らしてきたのでしょうか。

今の梶井は、「疎開先で看とるものもなく死にかけている」「床ずれがひどい」という状態ですよね。寝たきりになっているということでしょうか。

いい調子です。ちなみに、途中で言及する「野辺にいでて、そぼちにけりな唐衣、きつつわけゆく、花の雫に」というのは、鎌倉幕府の3代将軍だった源実朝の歌ですね。

鶴岡八幡宮で暗殺された将軍ですね。和歌を詠んでいるなんて知りませんでした。しかも、「唐衣を着て野原に出たら、花の雫で袖が濡れた」って、平和な歌ですね。

そうなんです。梶井が、マニアックで特徴の少ない和歌であっても、すぐに口をついて出てくるくらいの教養人だということが分かる描写ですね。同じように、梶井が教養人であることを示すような表現って、他にありますか?

 「『中世の錬金道士の仕事のようなものなんだね』と皮肉ってやった」と書いてありますね。教養をひけらかす嫌味な人物なんでしょうか・・・

正にそこです! 伊良夫婦は純朴な夫婦で平和に暮らしていたものの、戦争がはじまり、梶井が疎開してきて隣人となったということが分かります。伊良は、陶器の製造だけでは生活できないので、磁器の開発に専念するようになり家に帰ってこない。色白の妻は、梶井の、身の回りの世話を手伝ってきたが、夫が家を空けがちでさみしい中、夫とは違って教養のある都会人の梶井に魅力を感じ、不倫に至った。梶井は、教養のない伊良を馬鹿にしながらも、世話になってきた。・・・と、こういう人間関係だったことが分かります。

違和感のある言葉、特徴のある言葉を、点と点を結ぶようにつなぐだけで、こんな人間関係まであぶりだされてしまうんですね。教養のある都会人の梶井と、朴訥でいい人だけど職人気質で家をかえりみないところのある伊良の二人がいて、徐々に梶井に惹かれていってしまった、ということなんですね。

そうです!そうすると?

奥さんの不倫を知って、いきなり殺す前に、口論にはなっていたんだろうと思います。その時に、梶井と伊良を比較するような発言が奥さんから飛び出たのかも知れません。

いいですね! 伊良は、教養がなく、都会人のスマートさも無いことにコンプレックスを感じ、自分の方が梶井よりも下の存在だと認識してしまったんでしょうね。なので、復讐は、妻と梶井の二人が、伊良の手の内で、伊良に反抗できるような意思も持たず、あくまで素材として伊良の思うがままに扱われるようになる状態をつくること、つまり、立場の逆転を目指すことになるんですね。

 納得しました。ただ、伊良がものすごく気持ち悪いです。 

まぁ、それだけ奥さんのことが好きだったんじゃないかと思いますよ。陶芸だけやっていてもダメだと気づいて磁器の開発にいそしんだのも、妻の喜ぶ顔が見たかった、ということなのかも知れません。かわいさ余って憎さ百倍。そこにコンプレックスが絡んだからこそ、復讐の目標が「立場の逆転」に置かれたんじゃないかな。

 読解のポイント(6)

読解のポイント(6)で「梶井の最後のセリフは、伊良にどのような変化を起こすものでしょうか?」とありますけど、伊良に変化は生じるんでしょうか? 生じない気がします。 

「死んだらおれの骨をやるよ。期待していてくれたまえ」という梶井の発言は、伊良の思惑を壊す発言ですよね。伊良が梶井を道具扱いするのではなく、梶井の意思で伊良に骨がプレゼントされるわけですから。

伊良としては聞きたくないセリフですねぇ。自分の優位性を、復讐を通じた立場の逆転を、達成できなくなったら嫌ですよね。

だから、酔ったふりをして聞かなかったことにしたんでしょう。ただ、人がいい伊良のことですから、ホッとしてもいるでしょう。

ということは・・・?

ということは・・・?

聞いてないようで、梶井の発言を聞いているということですか?

そういうことです!

梶井の発言は、自分がモノではないと伊良に認識させることと、骨は自分が伊良にプレゼントするものだと立場を明確化すること。この2つの効果をもっています。

ですので、梶井にとって、死ぬまでは伊良に少しでも精神的な優位を保ったままでいようとするためには、「死んだら骨をあげる」という発言を繰り返すのが一番でしょう。これはある意味で、梶井が伊良に言わされているセリフでもあるのですが、梶井を人間扱いすることを伊良に要求する言葉でもあり、結果的に伊良の思惑をくじく武器にもなっているからです。

梶井、最低ですね。最低の人間だと思います。

これで伊良が、梶井を人間扱いしたとしても、梶井が疎開してくる前の素直な人間へと戻れるかというと、疑問ですね。

むしろ、奥さんを殺した良心の呵責にさいなまされるようになるのではないでしょうか。奥さんと梶井をモノ扱いすることで、なんとか精神の均衡を保っていたのかも知れませんし。

純朴に暮らしていたのに浮気されたという意味では、伊良は被害者で、梶井は加害者でもありますよね。

はい。伊良という温和で、心がそんなに強くない人が、自分なりの精神的ショックへの防御法として、他人をモノ扱いするという手法に逃げていたのを、サド気質のある梶井にまた精神を破壊されてしまう、という展開だって、この後、充分あり得ると思いますね。

なんだか伊良がかわいそうになってきました。心理戦がはじまったところで、小説が終わったんですね・・・

そうなんです!実に心憎いというか、絶妙というか。

先生、不謹慎です!

久生十蘭の小説の魅力

失礼しました。それにしても、久生十蘭の小説って、前提を崩していくのが巧いんですよね。

普通の小説では、主人公がいて、その住んでいる世界や世界観が変わらない中で物語が進んでいきますよね。ところが、久生十蘭の小説では、登場人物の世界観や人間関係などが、短い時間で崩れていくんですよね。その崩れゆく瞬間を切り取って小説にするのが、とてもお上手なのです。

変化のポイントをとらえることで、変化の前後を詳しく書かなくても何が起きたかが分かるのはすごいですね。なにを、どう切り取るかが大切なんですね。

他にも、こういう転換点を表現した小説があるんですか?

はい。一つだけ挙げるとすると「予言」でしょう。短編小説なのですが、1クールの連続ドラマを見るような濃密な世界が展開されています。

これも、新たな物語が始まるところで小説が突然終わってしまい、この後の展開について、読者がいろいろと考えて想像を膨らませるようになっています。

骨仏は、梶井が寝たきりだということもあって、今後の展開の幅が狭いのですが、予言は、もっと大きなスケールで話が進んでいくので、面白いですよ。(あぁ、話したい・・・)

 

・・・ (話さなくて結構ですよ。)

 


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