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小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑭

日本民芸館と小鹿田焼

岩田郁子は井の頭線、駒場東大前駅近くに、ずっと学生の頃から住んでいた。何度か住む家は変わったが、東大教養学部の校舎が近くにあり、緑も多く、散歩する場所にこと欠かなかった。イギリスから日本に戻った後、購入したマンションも同じエリアだった。 

日本民芸館は駒場東大前駅から歩いて10分ほどのところにあった。
2月の同窓会以来、この民芸館に、岩田は度々訪れるようになった。岩田は西洋美術を専門にしていたが、故郷で武田由平の版画の世界を見て以来、身近にある日本の美に心地よさを感じていた。そして、哲学者、宗教家の柳宗悦が残した民芸運動の遺産が新鮮に映り、その目利きの鋭さに共感していた。日本民芸館は、柳が昔住んでいた日本家屋を改修したものだった。焼き物や家具、染物、日本各地から集められた作品の展示はどれも見事で、柳の眼の確かさを岩田は好んでいた。

岩田はイギリスに滞在中、イングランドの南西部、コーンウオールを訪れたことがあった。イギリス人の友人に誘われ、海岸沿いのホテルに数日間宿泊して、近くの町を訪れた。その中に、セント・アイブスという港町があり、そこに住む画家が描いた、海に浮かぶ小船など、素朴な風景画の作品が印象に残っていた。
そして、その土地が、日本から戻った陶芸家のバーナード・リーチが窯を開いた場所であることを偶然知った。彼が日本で学んだ陶芸は、その後イギリスのみならずヨーロッパへと広がったことを知り、その地と日本との縁を嬉しく思ったことがあった。
最近、岩田は、作家の原田マハが書いた『リーチ先生』を読んで、セント・アイブスを思い出し懐かしく思っていた。

そのバーナード・リーチは日本に滞在中、度々柳宗悦の家を訪れていた。民芸館の旧居の家具にはイギリス製のしっかりとしたテーブルや椅子、戸棚があり、天井も高く、木造家屋ではあるが、ふとイギリスの家を思わせる雰囲気を漂わせていた。岩田はその雰囲気に馴染みがあり、心地よかった。

「夏ちゃん、私、前に九州の故郷に戻ったじゃない、その時に、少し足を伸ばして、隣の日田市にある小鹿田焼の里まで行ってきたのよ。そこは300年以上、昔からの工法で陶器を作ってるのよね。10世帯ぐらいしかなくて、一子相伝でやってるから、親密な空間になってるのよ。土をこねる唐臼の音が、もう日本にはここしかないって聞いたけど、その音がまた良いのよね。村全体が日本文化を大切に守ってきた奇跡みたいな存在なの。そこに戦後、イギリスの陶芸家のバーナード・リーチは3週間ぐらい滞在して、作品を作ったみたい。柳宗悦も一緒に行って、陶工たちに決して商業主義に陥らないようにと言い残したみたい。そのことを今でも里の人が守ってるようよ、素晴らしかった」

「そこは私も知ってます。友達でライターをやっている子がいるんですけど、前に取材に行って、記事を読んだことがあります」

「あら、そう、さすがによく知ってるわね。里の近くに『鹿鳴庵』という小鹿田焼のギャラリーがあってね、そこの庵主とも話をしたんだけど、ここ数年、コロナの間でも、海外からアーティストやクリエーターがよく訪れて来るんだって。もうデジタルの可能性をトコトン突き詰めたら、今度、手仕事というか、アナログの作品の方が色々な変化もあって、なんか創造力をくすぐるみたいよ。私もまだ、彼らの関心がどのあたりにあるのか分からないけど」

岩田は自宅近くに、小さなアトリエのような事務所を構えていた。そこには常時、若手アーティストが出入りしていて、事務所の仕事の手伝いもしていた。夏子もその一人だった。

「そうですね、私の周りも最近は田舎ブームですね。地方に行って、自分で古民家を改修して、そこでアトリエを作るのは流行ってますよ。地方には自然があって、まだ人の懐かしさみたいなものが残ってますからね」

「そうなんだ、私はそのあたり、あまりカバーしてなかったな。最近、近所の民芸館によく通ってるけど、昔の人は良いものをたくさん作ってるよね。地方の工芸はずっと廃れてきたと思うけど、若い人が目をつけて、その良さを引き出してくれると嬉しいかな。柳宗悦は知ってると思うけど、彼は日本全国、南は沖縄、北は北海道をくまなく回り、名もない職人による工芸品の美を収集して残してきたのよ。当時の植民地だった、朝鮮の陶芸の美を発見したのも柳なのよね」

「私も柳は少し知ってます。白樺派の思想家というか批評家の人ですよね。武者小路実篤や志賀直哉とか、小説家の人たちと文化運動をしてたんですよね」

「そう、よく知ってるわね、今じゃ白樺派って誰も取り上げないけど。私は彼らの運動を見直すべきタイミングかなって最近、思うようになったのよ。アートも原点に戻るとしたら、どこに戻るのか、私はもっと柳を読んで勉強しようと思ってる。何か、地域とアートを結び付けつけるヒントがある気がするのよ」

「そうですか、ぜひ今度、岩田さんの田舎にも連れて行ってくださいよ」

岩田郁子はさりげない会話を若いアーティストとしながら、故郷に戻って以来、宿題になっていた自分の新しい方向性を見出そうとしていた。


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