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真夜中に みさおとふくまる


空咳をひとつして照明を落とした。ポツンと音が聞こえそうな程の暗闇に身を委ねると、はじめは視界が闇に覆われていたのに、そのうちに物の輪郭が、ぼんやりと浮き上がってきて、どこに何があるのか把握できるようになる。闇に順応した眼で柔らかく熱い塊を撫でると、それは「ニャー。」と鳴いたあとに、私の手を甘噛みした。まるで、「寝てるんやから触らんといて。」と、言われているようで、私は「ごめん。」と言ってから手を引っ込めた。そうしたら、外からオス猫が「タロ〜ン、タロ〜ン。」と、独特な鳴き方でメス猫を呼んでいる。

窓の外には煙たい春がすぐそこまで来ている。

そう思うと、からだの芯が火照ったように気怠くなり余計に眠れなくなったから、眠るという行為をやめにした。そして、透明な夜の底にストンと座り、こうなれば本か映画かドラマを観ようと思い、思案してから暗闇を歩いて本棚に辿り着くと、人差し指で本の背表紙をなぞりながら安定のドラムロールを口にする。「ドゥルルルルルルル。(結構リアル)ジャンッ!」と言いながら、引き当てた本を手に取り照明を点けると、写真集だった。


写真家、伊原美代子さんの『みさおとふくまる』


人と人とか、人と動物とか、人と物とかが繋がるのは表面張力とおなじ原理なのかもしれない。互いに近付こうと分子が収縮する瞬間に一気に惹かれ合うのだろう。私は十年くらい前に本屋でなんの違和感もなく吸い寄せられるようにこの写真集と出会った。それを手に取り家でプレゼントのリボンを解くときのように少し興奮しながら、表紙を観察したり撫でたりして、表紙を捲ると、こんな言葉がポーンと現れた。


青い空に白い雲がプカプカと浮かぶ頃、
みさおおばあちゃんと猫のふくまるは
今日も畑へ出かけます。


そのページをゆっくりと捲ると、草や稲が作る緑色の絨毯に腰掛けて、遠くを見つめるふたりの横顔は、柔らかな光に照らされて瞬いていた。なんてやさしく柔らかい世界観なのだろうと、心の芯が小さく震えた。

オッドアイの白猫のふくまるは、生まれつき耳が不自由で、年齢を重ねたみさおさんも耳が聞こえにくくなり、ふたりはあたたかく透明な視線で会話をしている。そして、ふたりの日常の余白を切り取る伊原美代子さんの、誰もが通り過ぎる瞬間に焦点を当てる素晴らしさに私もきちんと目を凝らす。ページを捲るに従って、目には見えないのにふたりの絆がはっきりと伝わってくる。

花畑で花を愛でるふたりの姿。

畑仕事を終えて泥だらけのふたりの姿。

椅子に腰掛けるふたりの後ろ姿。

重なるあたたかい手と手。

そのひとつひとつが愛おしくて擽ったくて嬉しくて、私の心は堪らなくなる。えも言われぬ偉大な力は、異種間をも軽々と越境するのだ。そして、この写真集の最後に伊原美代子さんはこう綴る。


すっかり耳の遠くなってしまったおばあちゃんと、生まれつき耳が不自由なふくまるは、いつも見つめ合い、お互いを感じあっています。時々ケンカもしますが、夕飯時には自然と仲直りをしています。
「お日様の下を生きることができれば、すべてが好日。今日もいい日だね、ふくまる」


みさおさんの心が猫のふくまると接触することにより化学反応が生じて、色々な出来事が好日に転換されるのだろう。ぴったりと寄り添うその姿が滲むから私は慌てて上を向いて鼻を押さえて、溢れそうな熱い塊をグッと抑えた。そして、もう一度想う。人と人とか、人と動物とか、人と物とかが繋がるのは表面張力とおなじ原理なのかもしれない。互いに近付こうと分子が収縮する瞬間に一気に惹かれ合うのだろう。なぜ惹かれ合うのか、それは生温かくてやさしくて煙たいアイというものがそうさせるのだと、思う。

時計を見るとすっかり夜更になっていて、心がお腹いっぱいになった私は、愛猫が眠るあたたかい鼓動が漂うベッドに潜り込んで眠りに就いた。







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