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ドライブインなみま|小説 プリン編


だいたい甘くてやわらかいものは、すぐに口の中から溶けてなくなるから信用ならない。アイスクリーム、チョコレート、キャラメル、マシュマロ、ゼリー、プリン。それらは、舌の上でさらさらと解けて甘い刹那を残して消えていく。私は友達の更科から貰った透明なフィルムに包まれたサイコロみたいなチョコレートを食べながらそう思った。それは私の体温に溶かされて甘い刹那を放っている。透明なフィルムの皺を指で伸ばしていたら、更科が声を出した。

「おれな、伊藤のことが好きやねん。」

更科は、なんの予兆もなく強い語気でそう言った。私は、なんで若干キレてんねん、と好意に対する喜びを感じる前にそう思った。そして、指で皺を伸ばした透明なフィルムから視線を上げて、更科を見た。すると、更科は眉間に皺を寄せて鋭い眼光で私を睨むように見ていた。その直線的な視線はショッキングなくらい野性の肉食動物で、私は逃げ場を失った草食動物のように追い込まれた気分になった。なんで告白されたあとに睨まなあかんねんな、と思ったあとに気がついたらチョコレートは口の中から溶けて無くなっていた。私は甘い刹那が残る口を開いて

「あ、ありがとう。」

と、感謝を伝えると更科は「お、おう。」と、私から視線を外し、車の整備を再開した。機械音がぼわんと反響する倉庫で、椅子に深く深く体を沈めて大人しくしていたけれど、妙に居心地が悪くなり、帰ることにした。

「更科、ほな私、そろそろ帰るわ。また車取りに来るから。」

なるだけ笑顔を作って更科に声をかけると

「おう、また車が直ったら連絡するわ。」

と、その時はいつもの温厚な更科に戻っていた。私は「じゃあまた。」と手を振り倉庫をあとにした。そして、色褪せたアスファルトの上を歩きながら、心の中で先ほどの出来事をするすると反芻した。

「知っててん、更科のきもち。」

私は、獰猛な月と奔放な薄暮が夜を塗りつぶそうとしているその狭間へ向けて、そっとつぶやいた。

更科は高校の同級生で、学校を卒業してからも連絡を取っていた。実家の自動車整備工業を継ぎ、整備士として働く更科と、助産師として働く私は、互いの休みが合うと釣りへ出かけたり、ドライブしたり馬の合う友達のひとりとして接していた。けれど、いつしか更科の私へ対するきもちを感じるようになり、私はそれに気が付かないフリをするようになった。この他愛のない気楽な関係性が壊れないように、必死になって芝居をする私に対して、更科は堪忍袋の緒が切れたように、イラつきながら告白した。それは、この関係性をプツリと断ち切り、新たなステップへ進もうと舵を切るような勢いがあった。けれど、私は更科の純な想いを無かったことにして、なんて事ないような態度を取った。私の薄っぺらい罪悪感が臍の辺りからふつふつと湧き上がり、私を責め立てる。

あんた、向こうは真剣に言うてんねんから、もっと誠実に返事しいや。

とか

あんたは更科のことどう思てんの?

とか、それは細い針で刺すように苛む。

「うわっ!びっくりしたあ!あんた玄関の前で腕組んで何してんねんな?」

玄関のドアが開くなりおかんは、驚いて大きな声を出すから私もびっくりして、脳みそにあった更科のことは、突風で何もかもを吹き飛ばされたように空になった。

「え?ちょっと考え事してただけやん。知らんけど。」

私はそう言っておかんの横をすり抜け家の中へ入った。そのあと、おかんと食事をいただきながら他愛のない会話をした。

「あんたさ、彼氏ツくらへんの?」

おかんが突然つぶやくから私は「ええ?」と、麒麟の川島氏くらいええ声が出た。

「私らの時代はな、誰でもアッシーくんとかメッシーくんとかおったんやで。だからあんたも積極的に出会い探しーや。」

「え?なんやの、アッシーくんとメッシーくんて?どっかの湖に生息しているネッシーくんみたいなん?知らんけど。」

「あほ。なんで湖に生息してるネッシーくんとデートせなあかんねんな。あ!そうや!いつも仲良くしてる更科くん!私はええと思うでえ、あの子。優しそうやし、背え高うてイケメンやし。なんで付き合わへんの?」

私は動揺してお味噌汁を盛大にテーブルへこぼしてしまい、その話はちゃらになったけれど、おかんの勘というか動物的直感に内心しどろもどろになっていた。

私は、恋愛が苦手だ。高校生の時に三ヶ月だけ付き合った彼氏に「伊藤は、よくわからん。」と言われてフラれてから好きな人もできないし、真っ当な言い訳をするのなら、新しい命をとりあげる助産師という仕事に邁進しているし、それにまず周りにええ男はおらんし──すると、ぽわんと頭の中央に更科が浮かんだ。私は慌てて髪の毛をグチャッと掻き乱し更科を頭の中から追い出して、ベッドへ深く深く潜り、瞼を閉じた。


𓅼 𓅼 𓅼


「──でえ、楓!こっちへおいでえ。」

「おとん、どうしたん?」

「ほら、楓の好きなプリンをな、食べに行こか。おとんな、パチンコと競馬で勝ってん。」

おとんの大きな手は私の小さな手を包み込む。あったかい、そう思っておとんの顔を見ると、顔のパーツがカカシのように、へのへのもへじになっていた。

「おとん!なんで!どないしたん!?」

私はそう言い放つとおとんの手はいつの間にか冷たい藁になっていた。すると、ぽつりと垂れる孤独が足の裏から這い上がってくる。

「おとん!どこやねん!私、ここにおるで!」

喉から飛び出る声は空気を切り裂いて青い青い空へ反響するのに、おとんはどこにも居なくて、熱い痛哭が眼から自然と流れ落ちる──


𓅼 𓅼 𓅼


私は、自分の唸り声で覚醒した。乱れた呼吸を整えたあと、額に浮いた汗をタオルで拭い、起き上がり携帯を見るとまだ朝の三時半だった。

「夢──、久しぶりにイやな夢。」

私は透明な暗闇へ浮かべるように言葉を落とした。すこしでも気持ちが落ち込まないように深呼吸を繰り返して瞼を閉じると、意識はまた闇夜に紛れ込んだ。

おとんは私が小学生高学年の頃に「ちょっと競馬場へ行ってくるわ。」と言い残したまま帰って来なくなった。それからおかんは、警察に相談して捜索願を出したり、親戚や近所の人までおとんを探してくれたけど、結局見つからなかった。そのうちに大人たちはそれを「蒸発」と呼んだ。私は、頭の中で焼石に水を差してジュッと蒸発するような想像をした。そんな面白い想像をしても、誰にも言えないし、結局おとんは帰ることはなかった。悲しんでいたはずのおかんは、ある日からパタリとおとんのことを探さなくなり、蝉の抜け殻のようなおとんの服やズボンをすべて捨てた。そのときのおかんの顔はどこか吹っ切れて爽快感に満ちていた。おかんは、抜け殻の始末がつくと、私に

「これからあんたと私とふたりだけで生きていくねん。頑張ろうな。」

と、強く言い放った。けれど、私は知っていた。その言葉の裏にある不安や悲哀は、おかんの目尻辺りで右往左往していることを。今思えば、おかんは自分自身に言い聞かせていたのかもしれないし、そのときに私とふたりだけで生きていく決心をしたのかもしれない。そして、腹を括った女は強かった。おかんは今まで以上に美容師の仕事を頑張り、私を育ててくれた。おかんには感謝しかない。そのことをわかっているから、おかんと私を捨てたおとんが憎かった。なのに、いつも夢に現れるおとんは、あの頃のように笑顔で優しくて。そのことが火に油を注ぐように私の憎悪を増大させる。夢に出てくるおとんが優しければ優しいほど、憎悪と嫌悪と悲壮が私の心を蝕んだ。それは一種の呪いのように私を苛む。大人になった今でも、心の片隅ではどす黒い感情が蠢いている。


𓅼 𓅼 𓅼


その日は休みで、家で遅めの昼食を摂ったあと携帯へ通知が入った。

おっす!車直ったから。

更科からの通知にドキッとした。私は胸に手を当てて「平常心、平常心。」とつぶやいて、車を取りに行く旨を伝えて準備をした。その間も鏡の中の自分に「いつも通り、平常心。」と言い聞かせて家を出た。

倉庫に到着すると更科が私の車を洗っていた。

「伊藤さ、洗車しろよ。車が泣いてるで。」

私の姿を見るなり更科はすこし呆れたような仕草をして洗車している。私は

「そやねんなあ。洗車せなと思いながらいつも後回しになるねん。」

私は申し訳なくそうつぶやくと、更科は

「なんかそれも伊藤らしいけど。とりあえず洗車はサービスにしとくから。」

と、言うけれど、私はとても申し訳なくて、サービスしなくてもいいから料金を取ってくれ、とお願いした。すると、更科は

「うーん、それやったら、これからドライブインなみまでなんか奢ってや。それでチャラにするから。」

と、笑顔になり私は戸惑いながらも

「じゃあ、私の運転で行こうか。」

と、言うと、更科はツナギを着替えてから助手席へ乗り込み、ドライブインなみまを目指した。その間、車中では、同級生の話や仕事の話など気楽な話をしていたら、すぐに到着した。久しぶりに見るドライブインなみまの椰子の木は、寒さに揺れていた。澄んだ空気が優しく頬へ当たり、その向かいでは漣の音が耳を擽る。生の自然を感じながら私たちは店内へ入ると、店主の由美子さんが笑顔で出迎えてくれた。

「あれ?楓ちゃんに、和馬くんやん!いらっしゃい。」

私たちは、窓際の席へ座ると、由美子さんがお冷とおしぼりを出してくれた。すると、更科が

「おれ、メニュー決まってんねん。」

そう言って、メニュー表のあるところを指差した。私は視線をそこへ滑らせると、プリンと書いてあった。私はハッとしたけれど、それを悟られないようにただ「うん、じゃあ、私も同じものにする。」と言って窓の外を見ながらゆっくりと深呼吸して、心の中で「平常心。平常心。」と唱えた。やってきたプリンの上には、生クリームとさくらんぼが乗っていた。すると、固く閉ざした蓋から、悲しくも美しい記憶が溢れ出した。

「──昔な、よく家族でここへ来て、食事しててん。その時もな、食後には、必ずプリン食べてん。」

自分の口から勝手に言葉が出て、それからは、堰を切ったように、喉を塞いでいた過去が溢れ出た。私は思い出したくもないおとんのことを熱い筆圧でなぞるように更科に話をした。更科は話に水を差すことをせず、ただ、肯きながら聞いている様子だった。私は包み隠さず、おとんに対する憎悪と嫌悪と悲壮を淡々と話した。なのに、このプリンを眺めると、あの頃の慎ましやかな家族の姿が鮮明に蘇る。笑顔のおかん、上機嫌なおとん、そして、美味しいプリンを食べる私。話が終わる頃には、熱いおしぼりが冷めていた。私は、それで手を拭いてから

「ごめん、突然、こんな話されても、困るよね。さあ、プリン食べよ。」

と、暗く塞いだ表情を風でくるくると舞う銀杏の葉のように明るく緩めた。そして、プリンをスプーンで掬い口へ運ぶと、懐かしい味が口いっぱいに広がった。私たちは無言で食べた。けれど、その無言は居心地が良くて、固い結び目が解けるようなやわらかい気持ちになった。

「美味しいな。」

更科が言うと、私も深く肯いた。

「だいたい甘くてやわらかいものは、すぐに口の中から溶けてなくなるから信用ならんのに、なんでこんなに、こんなに──」

幸せなんやろう。

胸が張り裂けそうだった。気付いた時には、私の眼から熱い塊がポロポロとこぼれ落ちた。すると、由美子さんがやって来て、「楓ちゃんどないしたん?」と、声をかけてくださった。私は横溢する感情に溺れそうになりながらも、おとんのことを話すと、由美子さんは優しく微笑みながら

「過去のイヤな記憶に囚われてると変わることができないから、それはな、そっと手放し。ほんでな、楓ちゃん、幸せはな、勝ち取るものではなくて、気付くことやねんで。そっと眼を凝らして見てごらん。すぐそこに幸せはたくさんあるから。」

そう言って私を優しく抱きしめてくれた。ぽつりと温かい由美子さんの体温に癒されるような心地になって、私の気持ちも凪のように落ち着いた。私は由美子さんにお礼を伝えてから、更科と店をあとにした。そして、ドライブインなみまの向かいの浜辺を並んで歩いた。すこし歩いた辺りで海へ向かい

「おとんのあほだらー!」

と、叫んだ。その声に更科は驚いていたけれど、私の中で過去の憎悪を嫌悪を悲壮を、まるごとひっくるめて海へ手放した。すると、心は突き抜けた解放感に満たされて、残った甘くてやわらかい記憶をそっと心の隙間へ置いた。幼い頃のドライブインなみまでの家族団欒は、深く優しく今の私を暖めてくれる。そして、私は更科を見た。いつも私のそばで穏やかに見守っていてくれる大切な人──

「あんな、私も更科のことが好きやねん。」

そう言うと、更科は突然「ええ?」と麒麟の川島氏くらいええ声が出たあとに

「よっしゃー!」

と、海へ向かって叫んだ。これから私たちに待ち受けるものは困難かもしれない。けれど、更科とだったら乗り越えられそうだし、この人とだったら小さな幸せを見つけることができそうな気がする。それが今の私にはとても重要なことだと思った。私たちはどちらからともなく

「これからもよろしくお願いします。」

と、えらく真面目に一礼をしたあとに、

「真面目かっ!」

と、言い合い、軽やかに笑った。











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