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幸せのデルタ。


欠けた何かを捜すように、寒い、寒い、と言いながら窓の外を見た。落葉樹は、言葉通りにうつくしく落葉し裸一貫でシュッと立っていて見るからに冬の様相だった。私は、植物の適応能力に深く感心した。暑いときは、強い陽射しから幹を守るように葉を茂らせて涼しい影を作り、寒いときは幹へ陽射しが届くように葉を落とす。その自然の摂理をいとおしく思った。姿は見えないけれど、雀の啼き声はかわいらしく冷えた空気を振るわせる。薄らと白く透ける月はいまにも消滅しそうで、次にやって来る太陽へその道を譲るような気配を感じた。ひと匙の花鳥風月は、かさかさに渇いて縮こまったこころを潤してくれた。こういう何気ない瞬間が私のこころを平穏へと導いてくれる。

花鳥風月という言葉には人が入っていない。だから、私は好きなのだ。人ほどごちゃごちゃと難しい生き物はいないし、普段人と関わることで気力も体力もすり減らしているから、人のいないまあるい枠からはみ出た花鳥風月に癒される。

そう思いながらぽつりと窓の外を眺めて飲むコーヒーは、格別だ。そのとき、私の体内では「ダバダ〜。」と軽やかにネスカフェゴールドブレンドのCMソングが流れた。





ひと通り「ダバダ〜。」を堪能した後に母がやって来て「ほれ。」と私に何かを手渡した。私は受け取ると、その紙袋へ入ったものは何かの生き物みたいに小さい熱を持っていた。私は「これなに?」と訊くと母は

「あのー、〇〇さんが作ったスコーンやってさ。家でスコーン作るなんてすごいよね。チョコレートが入って美味しかったよ。」

と、言い残してまた部屋を後にした。

こんな朝早くにスコーンを焼くなんて、マジ神!そう思いながら私は小袋の中を見ると、デルタ状のスコーンがひとつ入っていた。私はそれを取り出して眺めた。かわいい、チョコが所々に混ざりきれいなデルタになっていた。これを川の真ん中へ置いたらとてもうつくしい洲になるだろう、と思った。私は、いただきます、と唱えてからスコーンをひと口齧って味わった。遠くにバターの香りが漂い、甘いチョコレートとホロホロの生地が咀嚼するたびに絡まり溶けてなくなる。そして、その余韻をコーヒーで流して、また齧った。そして、最後のひと口を食べるころにはじわーっとやさしい幸せを感じた。

しんどかったけど、こういう小さな幸せに助けてもらいながら生きているんだ、と思った。歳を重ねるということは大切なものが増えるということだ。そのことに今更ながら気がついて、すこし嬉しくなった。




ほろほろのデルタを食べるそのときに
いつもの笑顔
取り戻すのさ

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