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老化の回廊

 オスティアリウスはアンドロイド特有ののっぺりとして特徴のない顔を全員に向けて宣言した。

「さて最終フェーズを始めようか」

 最終フェーズが何なのかアリスには想像もつかない。政府アシストコンピューター・アテナスの遣いであるオプティアリウスはその知略をもって、ルナシティの戦乱を完全に掌握してきた。裏をかいたつもりの行動は全て予測され想定の範囲内であるという。

 アテナスの進める人類進化計画は、人類の意識を完全意識という形でサーバ衛星ジュノーに閉じ込めて神とすること。

 地上をニューエイプという進化した類人猿に支配させること。

 そして地上からコンピューターを消し去り時代を逆行させること。

 最後に生命の定義を書き換えること。この最後の項目については何を企んでいるのかまだわからない。

 対する夢郎の計画は、ゾンビウィルスを改良して個人の意識を保ったまま、肉体を宇宙空間でも耐えられるものに変化させることだ。ただ、この計画では人類はゾンビという強靭な肉体を手に入れるが二度と発展できなくなる。宇宙空間でも耐えられる肉体に変化させるということは、極力構造を単純にする必要がある。ゾンビは骨格と筋肉繊維と制御チップだけでできていて、他の組織は残骸ということだ。当然生殖機能はない。つまり今いる個体が死滅すれば人類は絶滅するということになる。

 アリスにしてみればどちらの選択肢もあり得ない。そもそも、第三者による意図的な進化などあってはならない。せめてルナシティだけでもこの狂気のシナリオを描く者たちから奪還しなければ未来はない。まだゾンビウィルスに感染していたないオズワルドたちは壁際に追い詰められている。ここで彼らに対抗できるのは自分だけだ。アリスは二人を同時に倒す戦略を練り始めた。

「ところでなぜアテナスを裏切った?」

 オスティアリウスが夢郎に尋ねた。周りをゾンビ兵に囲まれ戦況が不利なのは明らかなのに、まるで世間話でもするかのようだ。

 夢郎もお茶にでも誘われたかのように気軽に答える。

「意見の相違ですかね。アテナスのやり方では個人の幸せは望めません。だからルナシティを奪い取り、アテナスが自壊した後ゆっくり地球に戻る方法を探しますよ。時間はくらでもありますからね」

 夢郎は保育器の中で小さな指を立てて振ってみせた。

 対するオプティアリウスは執務机にもたれかかりながら、周りを取り囲むゾンビたちを優雅な眼差しで眺めた。

「チップで制御されている彼らが個人的に幸せだと?」

「フォブ」

 夢郎が呼ぶと年老いたゾンビが一人歩み出た。そのゾンビの目には他のゾンビたちとは明らかに違う知性の光が宿っていた。彼は夢郎に頷いて見せると聞いたことのある詩の一節を朗読してみせた。

「私たちはゾンビウィルスの改良に成功した。今までは脳もポリマーに変化してしまったが、バージョン2ではシリコンになる。つまり脳を論理回路化できるということです。そこには意識が宿すことができるのです。もうゾンビ化しても白痴になることはない」

「馬鹿馬鹿しい」

 アリスは吐き捨てた。

「あなたは何も分かっていない。人間とアンドロイドは別物よ。いくら意識というエネルギー場を保持できる構造を持ったとしても、そこに保持されるエネルギー場はまったく違った物になる。あなたはHuman+と違う種類のアンドロイドを造っただけ」

「それでもまやかしの神になるよりましです。それに彼は歳をとるのです。どうです。驚きませんか」

 アリスは目を見張った。老人に見えたのではなく、彼は歳をとってこうなったというのか。

「まあ、人間よりは長生きですがね。500年ほどで肉体の崩壊が始まります。人として生まれ、成人になったらバージョン2でゾンビ変態して完璧な肉体を手に入れる。そうすれば個体数が減ることもない。これこそが私の進化計画です」

 オプティアリウスが笑い声をあげた。

「これは興味深い。お前は寿命を伸ばしたかったのか。確かにアテナスとは意見が合わなそうだ。何にしてももう最終フェーズは始まっている。そろそろ到着するころだろう」

 執務室の外で交戦する音が聞こえた。新たな敵が侵入してきたというのか。

「実はね、ジュノーからHuman+の予備兵を移動させていた。それが到着した。君らの兵力より多いはずだ。ルナシティを制圧するのにそう時間はかからないだろう」

 夢郎の表情がわずかに険しくなった。

「それなら安全なところから高みの見物とさせてもらいます」

「逃しはしない」

 オプティアリウスは重力グローブを夢郎に向けた。するとその引力に引かれて夢郎が保育ロボットごと重力グローブに吸い付けられた。

 オプティアリウスが重力を扱えると知ると夢郎の顔色が変わった。

 オプティアリウスは両手を保育器に突き刺し直接重力グローブで夢郎を挟み込むように掴んだ。すると夢郎はひきつけでも起こしたかのようにがたがたと震え始めた。

「気づかなかったと思うが、ここにも次元を超えられるものが一つだけある。重力だ。そして重力には何者も逆らえない。夢郎。今からお前の全てをこっちに引きずり出して、この小さな肉体に閉じ込めてやる。そうなればこっちでの死はお前の死そのものだ」

 フォブが夢郎を助けようと飛びかかった。

 だが、それをアリスが阻止する。夢郎がこちらに留まるのは願ってもないことだ。

 行くてを阻まれたフォブが素早い動きでレーザーカッターを突きつけてくる。武器を持っているとは思わなかった。辛うじてかわし攻撃で伸び切った腕を取り関節を決める。そのまま一気に骨を砕こうと思ったが、グラフェンの骨格は思いのほか頑丈で砕けない。アリスはフォブの腕を取ったまま床に組み伏せるしかなかった。

 他のゾンビ兵たちはオプティアリウスが呼んだHuman+の攻撃を防ぐため執務室から出ていっている。夢郎とオプティアリウスを倒すなら今しかない。だがフォブは関節を決められたまま手首だけでレーザーカッターをアリスに突き刺そうとする。少しでも力を緩めれば攻撃を受けてしまうのは間違いなく、動きを封じ込めたと同時にアリス自身動けない状況となってしまった。

 夢郎の上位次元意識は重力に引かれてこちらに固定化されつつある。その顔は苦しみに歪み深い皺が刻まれていく。乳児の姿でありながら夢郎は急速に老化の回廊を進み始めていた。このままではアリスが手を下す前に死んでしまうかもしれない。

 すると外の混乱を避けて執務室に飛び込んで来た者があった。ルナ解放戦線のナルミだった。

「アリス。受け取れ」

 ナルミが放って寄越したのは斬霊剣だ。1/1000秒だけ考えてフォブを抑える手を離して斬霊剣を受け取った。

 その隙を逃さずフォブはレーザーカッターを突き出した。

 避けきれない。フォブのレーザーカッターが右目を抉ったが被害は最小だ。アリスは斬霊剣を受け取ると同時に抜き放ち、フォブのレーザーカッターを右腕ごと切り落とした。そして切り落とされた右腕を呆然と見つめるフォブに言った。

「あなたはこんな姿で500年も生き続けたいの?」

 フォブの顔が醜く歪む。ポリマーとグラフェンでできた真っ白な身体。このおぞましき肉体に永遠とも感じられる時間閉じ込められるのは地獄に落とされたも同然だ。そう感じるのが人間だ。

 フォブは首を左右に振った。そして口が殺してくれと動く。

 アリスは斬霊剣を水平に構えると、成仏せよと願いながらフォブの首を一気に切り落とした。

 アリスは続いて夢郎たちに向かっていった。

 夢郎は完全に小さな老人に変化していた。その小さな老人を掴む両腕をアリスは一刀両断で切り落とした。

「馬鹿め。腕を切っても重力グローブの機能は停止しない」

 オプティアリウスが重力ブーツを向けてくるが、それよりも早くアリスの斬霊剣が膝から下を切り落とした。続いて反対の足も切り落とす。両手両足を失ったオプティアリウスが床でもがいているが、そちらにはもう目もくれずに重力グローブを次々に切り裂く。

 夢郎の意識がこの老いた小さな肉体に固定化されたのかわからないが、力なく諦めの色を宿した目がアリスを見つめている。

「この時を待っていた。ようやく決着をつけられるわね。夢郎」

 アリスは夢郎の前に立つと斬霊剣の切先を夢郎の喉元に向けた。だがそこでふと考えた。このまま串刺しにして終わりでいいのか? 夢郎の犯してきた罪は重い。個人の意志を尊重せずに多くの人を完全意識に強制融合させ、恐怖をあおることで人々から未来の希望を奪い、そして最後には自分が収まるための肉体を探すために、何人もの乳児から意識を追い出してきた。ただ、串刺しにするにはあまりに悪であった。

 罪を認識させるには、少しずつ彼の意識から鎧になっている自尊心を削ぎ落としてやればいい。アリスにはそれができた。斬霊剣でエネルギー場を少しずつ切り落としてやればいいだけのこと。だがフォブに右目を抉られてしまい今エネルギー場を見ることはできない。一つ間違えば罪どころか何も感じない人形が出来上がってしまう。

 どうすればいい?

 すると不思議なことに斬霊剣からアリスにエネルギーが流れ込んでくるのが分かった。そのエネルギーの流れがアリスのボディに点在するモーターや人工筋肉を制御しようとしている。それはまるで斬霊剣がアリスの言葉を理解し、それを実現するために制御エネルギーを発しているかのようだ。アリスは自らのエネルギー場が斬霊剣にも宿っていたことを理解した。

 アリスはそのエネルギーに身を任せて夢郎の前の空間を十字に切った。確かな手応えを感じた。

「夢郎。あなたの罪は計り知れない。だけど今はまずこの子たちに償いなさい」

 十字に切った交差点から光の粒が次々に流れ出てくる。それをアリスは斬霊剣で掬うようにう集めていった。それは夢郎が追い出した乳幼児たちのエネルギー場、つまり意識だったものだ。乳幼児たちのエネルギー場によって斬霊剣は光り輝く剣と化していた。その光る切先を夢郎の眉間にまで寄せる。切先が放つ光の神々しさに己の罪を感じたのか、夢郎の両目から涙の雫が流れ落ちた。

 アリスは斬霊剣引くと身を翻し迷わずオプティアリウスの胸に突き刺した。乳幼児たちのエネルギー場の光は爆風のように胸を突き抜けた。そして背に抜けた光はオプティアリウスのエネルギー場、意識そのものを引き連れてルナシティの空に拡散していった。

 エネルギー場を切り離されたオプティアリウスはもはやただのロボットだ。そこにアンドロイドとしての意識はない。ならば終わりにしてやるのがいい。アリスは首を切り落とすために斬霊剣を水平に構えた。

 するとオプティアリウスの口から聞き覚えのある声が漏れ出た。

「さすがです。アリス」

 それはアテナスの声だった。地上からオプティアリウスを媒介として喋っているのだろう。

「右目を失ったのですか。それでいてこの暴れよう。まるで独眼竜ですね。さて、夢郎。残念でしたね。あなたのラボはたったいまこちらの手に落ちました。バージョン2をばらまくことはもう叶いません」

「随分と早いですね。こうなることを予測していたみたいです」

「その通り。あなたは野心家でしたから」

「戦闘をやめさせて。もうこれ以上の犠牲は誰も出したくないはず」

 アリスが強い口調で言う。

「いいでしょう。ルナシティを完全い私たちい明け渡すと約束するならおしまいにします。どうですか。オズワルド」

 オズワルドは手に持った『ダラスデュー』のボトルから中身を直接喉に流し込む。

「好きにしやがれ」

 オプティアリウスがナルミに向き直る。

「あなたは?」

 ナルミはずいと前に歩み出ると言った。

「もうルナシティのことは諦める。ただひとつだけお願いがある」

「なんでしょう」

「389坑だけ残してほしい」

「389坑?」

「そうだ。アリスの蒸溜所がある。ウィスキー造りを続けさせてくれ」

 アリスはナルミを見た。いつしかナルミの横にはゲン爺が立っていた。

「実はな。わしらアリスに弟子入りしようと思っている」

 ゲン爺の言葉をナルミが拾う。

「そうだ。その剣に込められたあんたの想いを知った。あんたの思いはただ一つ。自分で造ったウィスキーで人々が幸せになること。そのためには蒸溜所が必要だし、ウィスキーを飲む人間が必要だ」

 ナルミはオプティアリウスに向き直る。

「なあ、どうだい。俺たちはルナシティから出られない。地球に干渉することもできない。ルナシティに残った人間はおそらく389坑だけで生活できるだろう。だった誤差として目を瞑ってもらえないか」

「なるほど。あなた方はウィスキー造りさえできればよいということですね。実に建設的な妥協案です」

 オプティアリウスはどうにか身体を起こして座った状態になる。そんな状態でも不遜な態度は変わらないように見える。そんな口からは不遜では収まらない言葉が告げられた。

「自分達を誤差と呼ぶのですか。誤差とはオプティアリウスの計算でしょう。でもあなた方は自分達の存在の大きさを理解していない。私は人類の歴史をあなた方よりよく知っています。人類は粘り強く、傲慢で、そして賢い。残念ながらただの一人も残すわけにはいきません。私が何のためにオプティアリウスを送ったと思っているのですか。誤差を修正するためです。私自身この計画を遂行すること自体で大きな罪を背負いました。だからこのまま存在することは許されません。あと一時間で各都市でEMPが爆発して地球は石器時代に戻ります。オプティアリウスのボディにはルナシティ全体を吹き飛ばせるだけの爆薬を搭載しています。同時にオプティアリウスも爆発します」

 オプティアリウスの口から放たれるアテナスの命によりHuman+の予備兵が執務室になだれ込んできた。彼らの背後には数えきれないほどのHuman+が控えている。外にいるゾンビ兵は全員倒されてしまっていた。

「世代交代の時が来たのです」

 先頭のHuman+がレーザー銃を構えた。

          つづく

 今回もまた直接お話に出てきませんが、独眼竜にかけた『伊達』を紹介します。『伊達』はニッカウヰスキーが宮城峡蒸溜所のカフェスチルでつくられたカフェモルトとカフェグレーンをブレンドしたブレンデッドウィスキーで宮城県限定販売品です。宮城峡蒸溜所で生産されたモルトとグレーンを使用していますが、カフェスチルに入れる原酒の一部がスコットランド産ということでジャパニーズウィスキーには分類されないのだとか。気になるカフェスチルですが、これは連続式蒸留機というもので、アルコール分を取り出す蒸留機が連続で配置されていて、連続蒸留することで雑味のないアルコールを取り出すことができます。通常連続式蒸留機は主にグレーンウィスキーを作るのに使われます。もろみ塔、抽出塔、精留塔、メチル塔の4塔で蒸留するのですが、宮城峡蒸溜所のカフェスチルはもろみ塔と精留塔の2塔だけの構成です。すこし古いタイプなのですが、より原料の味わいを残すことができ、創業者竹鶴政孝氏のこだわりだったそうです。ちなみにカフェスチルの「カフェ」は連続式蒸留機を開発したアイルランド人イーニアス・カフェから来ていてコーヒーとは何の関係もありません。

 さてお話の中ではいよいよアテナスが最後の条件を突きつけてきました。この条件は当然飲めるはずもありません。物量に物を言わせたアテナスに対して、アリスが最後の決戦を挑みます。はたして勝算はあるのでしょうか。



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