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自分の中の戦闘心に気づくことで、人は初めて優しくなれる

私は短気だ。

ちょっとしたことですぐにイラッとするし、「どうしてあの人はああなんだろう?」とすぐに敵をつくろうとしてしまう。

燃やそうとしなくても勝手に燃えてしまう着火剤のようなもの。

この火種、いわば戦闘心にいちはやく気づくことで、人は初めて他人に優しくできるのだと思う。

どういうことか?

つらつら考えたことを備忘録として記しておく。

自分の周囲をウロウロとうずまく、人や環境やシチュエーションに対し怒ることは、すなわち『自分を神様にすること』だ。

自分だけが”善”と”正”であり、対するものごとは押しなべて”悪”と”誤”。

傲慢に断罪することなのである。

電車の中で九官鳥みたいに騒ぐ女子高生や、要領を得ない喋り方をするセミナー講師、やたらと年末年始の帰省を強要してくる家族もそう、あまつさえ、カレーさえもまともにつくれない料理下手な自分に対しても、私は、暇さえあればあらゆるものに怒る。

(そして、それらのほとんどは主に、文章のネタにして昇華している)

人に対して理不尽に怒りを表明できるほど、私は正義ではない。

イライラし、怒ることは、一切間違えない、何をしても正しい、唯一無二な存在=神のようなポジションに、自分を押し上げてしまうことなのだ。

そんな思い上がりって、ない。

自分の心の中にボウッと燃える怒りの火種 / 戦闘心に気づいたら、”魔女裁判”を思うことにしている。

かつての魔女裁判も、間違った勘違いと思い込みと正義と怒りで、罪のない人をたくさんたくさん殺した。

正義って、そんなにいいものか。

みんな、そこまでバカではないから、正義なんて価値観のひとつでしかないってことにとっくに気づいているはず。

私は、正義を振りかざす勘違いヤローではなく、接するすべての人に優しく在ろうとする、客観的な人間になりたい。

自分の中の戦闘心に気づくことで、どうにかギリギリのところで、人で在りたい。

……と、歯切れの良い言葉で締めようと思いましたが、どんなに格好良いことを言おうとしても私は私なので、そう簡単に短気は治せません。

どうしても怒りの感情を与しきれないときは、これまで通り、文章のネタにすることで対処しようと思います。はい。


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