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いままでのこと(自伝1)

41歳 女 子ども3人 バツイチができるまで 
41年かけて歩いてきた道のりを、記していこうと思います。わかったつもりでいたものを、いま一度眺めて整理するために。過去のものをちゃんと過去のものにするために。そしてまた新しく歩くために。

遊び人の父と負けず嫌いな母
父は、子どもがそのまま年取ったような、多趣味な遊び人。夏はゴルフにダイビング、冬はスノーモービルで駆けまわり、夜の街もパトロール。でもイケイケというより口下手で、カンと運だけで渡り歩いてきたおとっつぁん。

母は、負けず嫌いで我が道をいく一匹狼。ドライで口が悪く、愛情表現能力皆無なカカア天下。独自のマイルールをどこでも押し通す怖いもの知ラズ。

祖母(父方)は動植物を愛し、曲がった腰で一人畑を耕しお寺通いが趣味。就寝時には仏説阿弥陀仏教のカセットテープを聞きながら就寝。もう寝たかな?と思って私がテープを止めると瞬時に再生ボタンを押す秘儀の持ち主。

6歳上の姉は、勉強ができスポーツにも熱心で面倒見が良く、母の右腕的なポジション。4歳下の妹は目を引く顔立ちでアーティスティックな感性が天才的。

父の営む看板屋の工場の2階が居住空間で、そこに父、母、姉、私、妹と、同じ階の隣に祖母。で暮らしていた。

私は3人姉妹の真ん中。常に心に思っていたのは「誰も私のことなんか興味ない」。いつもみんなから頼られるのは姉だし、妹は力技で(喘息や癇癪)注目を集めるし、大人しい私はいつまでたってもスポットライトが回ってこなかった。

母はいつも仕事(家業を手伝っていた)と家事で忙しく、私は何とかして注意を引きたくて、しょうもない質問をしたり(誰がトースターって名前をつけたの?とか)、お手伝いを買って出たりした。掃除、洗濯、食器洗いや、お米とぎ。母の命令は絶対。母の機嫌を損ねない様、任務遂行はマスト。父がほとんど不在のこの家の主である母に見捨てられない様に、褒めてもらいたくて、存在を認めてもらいたくて仕事をこなす。でもやっても褒められはしない。当たり前のことをやっただけ。

父は昼間は1階部分の工場で仕事をしているはずなのだが、なぜかあまり家には帰ってこなかった。子ども心にはそれに疑問を抱くこともなく、そーゆーもの。として受けとめていたが、父の事で一番嫌だったのは、約束を破られること。「明日、お祭りがあるから連れてって!」とお願いしたのに、当日帰宅せず、ポケベル(時代!)をならしてもなしのつぶて。がっくりして首がもげそうである。こんな事がしょっちゅうあった。その度に、約束を忘れられてしまう、価値のないどうでもいい存在なのだ自分は。と心に彫刻刀でギザギザハートを彫り続けていた。

そういや小さい頃、私はチェッカーズが大好きで、生まれて初めて映画館で映画をみたのは「CHECKERS IN TAN TAN たぬき」(1985年)。しかも父に連れて行ってもらったのだ。生まれて初めてライブに行ったのもチェッカーズ。そのチケットはスナックだかクラブだかのお姉さんから父がもらったらしい。7歳頃の話だ。
望みを叶えてもらった、嬉しかったことも体験しているのに、そんな事はまるでなかったかのように、悲しかった事や辛かった事が鮮明に刻まれているのにハッとされる。

物心がついた頃から両親はよく喧嘩していた。
ある年のバレンタインデー。珍しく家にいた父に私は「今年もたっくさんチョコレートもらってきてね!」と屈託のない笑顔で頼んだ。すると父は「おお!よっしゃ、わかったど!」と嬉しそうに答えたのも束の間「今年はお母さんがあげるから他所へは行かんでいい!!!」真っ赤な鬼の形相の母。

ああ、やってしまった…。どうやら去年父がもらってきた沢山のチョコレートは、クラブやらスナックやらのお姉さんにもらったものだったらしい。私が余計なことを口走ったばっかりに、チョコレートボンボンが食べたかったばっかりに、母を怒らせ、父は母の前で正座をして下を向いている。
ああ、口は災いの元。私の口は災いの元。私は何も考えずに言葉を発すると、迷惑をかけてしまう。気をつけなくては。一度頭の中で言葉を推敲してから話すようにした。頭の中で一度言葉にすると、もう音声にしなくてもいいような気がして、のみ込んだ。

ある晩、母が1枚の写真を発見したことから嵐のような大喧嘩になっていた。写真には、旅館での浴衣姿の男女4名。父と女性、知人男性と女性のダブル2ショット写真。愛人とダブルデート&お泊まりの決定的証拠写真。泣きながらも口撃する母と、もう開き直る父。私は寝室で妹と寝ていたのだがリビングのあまりのうるささに起きてしまい、大喧嘩の現場を目撃し、泣きながら寝室で嵐が収まるのをただ待っていた。どなる声、泣き声、わめき声、叫び声。母をあんな姿にしてしまう父が許せなかった。いつも冷静で絶対的権力を持っている母はそこにはおらず、泣き叫び半狂乱のかわいそうなお母さん。お母さん、かわいそう。お父さん、お母さんに優しくしてあげて…!
母は体調を崩し入院。退院後も挙動はおかしく、突然私と妹を連れて旅に出たり、「死ぬなら山が一番いい」と呟きながら山道を歩いたりした。
私はこの状況を小学校の同級生には言えず、心の中で、「両親の不仲は大した事じゃない。」ということにして、何も起こっていない、ごくごく普通の小学生として努めた。その代わり(?)妄想ですごく年上のイケメンと付き合ってることにして幸福感を作り出そうとしたり、近所の犬をかたっぱしから写真に撮り(当時は外の犬小屋で飼われていた)集めて眺めたりした。
改めて振り返ると、41歳の現在と大差ない一人遊び性癖に時空が歪んでいるのを感じずにいられない…。(つづく!!!)

 

3人の息子と賑やかに暮らす毎日。 いろんなことがあるけれど 人生しっかり味わって進んでいきたい。 kitowa_氣と輪 主宰 カードリーディング、ハーモナイズヒーリング、Webショップ