これは日記ですか?


それは、”夏休み、始まりました!”
の2日目に起こった出来事であったと記憶している。

私の夏休みは長かった。

ほぼひと月休みがあった。


こんな長い休み、なにかで充実させなきゃもったいない。

と思いつつも、実際にどうしたらよいものか、と考えあぐねていた。


とりあえず、本を読もう。

まだ読んでいない本は、本棚に幾冊か置いてあったけれど、
あまり好みのものではないため、読まずにいた。

自分が読みたいと思う本であれば、もっと意欲的に読めるだろう。


カバンにしまわれているけれど開かれない本ではなく、ページをめくる手が早くなるような、すぐにでも開いて読み始めたくなるような本を4冊選び買った。

夏休みが終わった今、結局読み終わった本は2冊であった。

本を読んでいる暇もないくらい充実していた夏休みであったという事にしておこう。


本を4冊とパンを買って、家に帰るため、私は駅前のバスロータリーに停まっている、海岸行きのバスに乗った。
時刻は、16時ごろだっただろうか。

私が乗り込んだ時、乗客の数は、数人であった。

私は、バスの後方、段をあがったところの一番前、二人掛けの座席に座った。

本を開く気にはならなかった。

ぼーっと前方を見ながら、音楽を聴いていた。
なんの曲を聴いていたかまでは覚えていない。

なんの曲を聴いていたんだっけ。


とにかく、私は本を開くこともせず、携帯を見ることもせず、ぼーっと座っていたのである。

しかし、私は不意に立ち上がる。

自分でも、何で立ち上がったのだろうと思いながらも、足はバスの入り口の方へと向かっていき、おばあちゃんがよく押しているような車(シルバーカーと言うらしい)を、車内にあげられずにいた女性に声をかけていた。


「大丈夫ですか?手伝いましょうか?」

とかなんとか言いながら、その女性を見ると、おばあさんではなく、どちらかというと、おばさん、と表現した方がいいような女性が、笑って「ありがとうございます。」と言ってきた。

おばさんは脚が悪いようで、杖みたいなやつ(ロフストランドクラッチと言うらしい)を持っていた。

私が、シルバーカーを持ちあげていると、優先席あたりに座っていた女性が立ち上がり、そのおばさんに席を譲った。

私は、その座席の横あたりに、シルバーカーを置いた。

おばさんは、席を譲ってくれた女性に、丁寧にお礼を言っていた。
しかし、その女性はほぼ無反応だった。


そのおばさんは、席に座ると私にも丁寧にお礼を言ってくれた。

「いいえ~お気をつけて。」
とだけ言うと、私は自分が座っていた場所に戻った。
そこには、本もパンも置きっぱなしだった。


きっと、私の後方に座っていた乗客たちは驚いただろう。
私が突然立ち上がり、荷物もすべておいたまま、乗車口へと降りていったから。

私自身も、”あ、困っているかもしれない人がいる…どうする?助ける?”くらい考えてもぞもぞした後に立ち上がったのではなく、考えるよりも先に立ちあがっていたため、驚いた。

おばさんは、私が席に戻った後も、後ろを振り返り、私の姿を探して、もう一度お辞儀をしてくれた。
私も、マスクで見えないだろうけれど、微笑みながらお辞儀をした。


その後、すぐにバスは発車した。

私は、終点の一つ手前の停留所で降りる。

おばさんは、それよりも2つほど手前のバス停で降りた。


降りる時、”大丈夫かな?”と心配はしたが、手を貸すことまでは考えなかった。

降車口は前方、運転手さんの横である。
そして、その付近には多いとはいえなくても、座席がすべて埋まるくらいの乗客がいた。

きっと、誰かが手を貸してくれるだろう。

見知らぬ人の手助けをすることは、勇気のいることであるのかもしれない。
声をかけても、断られる事だってあるだろう。
しかし、そのおばさんは快く私の心遣いを受けとってくれる人であった。
あとはもう、何も考えずに、手助けをすればいいだけの話しなのだ。
難しい事はなにもない。


しかし、そのおばさんに、”手伝いましょうか?”と声をかけた人は一人もいなかった。


人の優しさは、伝染するものだ。
優しさを受けた人は、また別の誰かに優しさをもって接したいと思うだろう。
そして、受けただけでなく、その優しさに触れた人、出会った人にだって、同じことが言えるものだと思っていた。


世界は愛で変えられる。
本気でそう思っていた。


そのバスに乗っていた乗客は、
”それは間違っている”…と私の中にあった夢や想いを否定した。

乗客だけではない、運転手までもだ。

おばさんの声は一切聞こえなかった。
女の運転手の声だけが、マイクを通して車内に冷たく響いた。

「何?下ろせないのね?ちょっと待ってて、そっちいってあげるから。」

そんな声が聞こえたとき、私は思わずまた席を立とうとした。

悲しかったし、悔しかった。
おばさんが今、どんな気持ちになっているか考えたら、ひどく辛い気持ちになって、本当の意味で胸が痛かった。

自分が運転手だったら、そんな言い方はしない。
頼まれる前に、勝手に手を貸しただろう。


なんでだろう。
なんでそんな言い方をするんだろう。

答えはあっさりと見つかった。

もし、あの場にいたのが、おばさんではなく、男性だったら?

可愛い人だったら?格好いい人だったら?

いかにも高貴な身なりをした人だったら?

見た目は綺麗とは言えなかった。
どちらかと言うと、みすぼらしかった。
髪はボサボサに近いし、服はヨレヨレだった。

だからなのだろうか、誰も手を貸さなかったのは…。


私はおばさんの姿は見ていなかった。

ただガタガタと揺れているシルバーカーを見ただけで、困っているのかもしれないと勝手に判断し、手を貸してあげようと思い立ち上がったのだ。

もしそのおばさんの姿を見ていたら、手を貸そうとはしなかっただろうか?

深く考えるまでもなく、そんなことはない、と思う。


先日、「あなたって、人によって態度を変える人ではないよね。」
と言われた。

自分では自分の態度や様子は見えないから、何とも言えないけれど、そう見えるのならそうなのかもしれない。

先日も、年下だと思っていた職場の同期が、実は自分よりも7つも年上だと知った後も、彼女に対して話し方や接し方が変わらなかったことに、不思議さを感じていたが、それもきっとそういうことなのだろう。



気がつけば、バスは私が降りる停留所に停まっていた。
終点の海岸駅まで乗っていく客は、いつもほぼいない。

バスを降りる時には、必ず運転手さんにお礼を言う。

その運転手さんに、正直お礼なんて言いたくないと思ったけれど、私はいつもと同じように礼を言って降りた。


いつも、バスを降りた瞬間は、潮の香りが鼻をかすめる。
その度に思わず目を瞑り、大きく潮の香りを吸い込む。

しかしその日は、いつもより潮のニオイがしょっぱく感じて、私は思わず顔を歪めた。









この記事が参加している募集

スキしてみて

夏の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?