これは日記

これは日記である。

だから、その日実際に私の目の前で起こった出来事である。

私はそこに脚色することはしない。

もし、そのような事をした場合、それはその時点で、日記ではない別の何かとなってしまう。

私が事実を脚色して、ここに公開することに関しては、なんら問題はないけれど。

私が、ここに”これは日記”と書いてあるうえでは、それは、間違いなく日記でなければならない。

そんなことを書きながら思う。
日記とエッセイの違いって?…と。

調べてみると、、、
「日記は毎日書くもの、エッセイはそうではないもの」
と考えている人がいた。


ってことは、これは日記ではなく、エッセイというものになりますかな?


でもエッセイって、実際にあった出来事よりも、私自身の意見だったり、感想だったりにフォーカスしたものであって、よりその感情の部分を細かく、そしてよりユーモアに富んだ表現に努めないといけませんよね。


そんなハードルを上げること、したくないと思いつつも、これは日記ではなく、エッセイに近いものであるのではないか、という気が段々としてくる。

でも私は自分の感情だけをここに記したくはない。
実際にその場に起こった出来事を読者にも紙上体験(いやこれは、紙に書かれたものではないから、スクリーン体験?)していただき、
自分だったらどう感じるか、どう考えるか、どう行動するか、について考える機会としてほしい。


私はその答えに興味があるわけではない。
むしろどうでもいい。


私は私がやるべきだと感じたことをするまでだし、したまでであって、それに対する誰かの意見を聞く気もなければ、誰かの考えに対し意見するつもりもない。

大事なのはそういうことではないのだと思う。


考える機会をつくりだすこと。


普段考えることもないようなことについて考えてみる。

それは無駄な事ではなく、より人生を理解するために必要な事であると思うのだ。

よくよく、小説の中の登場人物は言う。

”なんにも考えないで生きているヤツが嫌いだ”と。

なんにも考えないで生きているヤツなんてそんなにいないとは思うけれど、考えている内容には幾分差があるに違いない。


人より優位な立場に立つことばかり考えている人もいるし、
より多くの人を幸せにするにはどうしたらよいかと考えている人もいる。


どっちが正しいか、に関しては言及しない。
ただひとつだけ言えるとしたら、
私はいつでも、
正しいかどうかではなくて、人として美しいかどうかを行動の判断基準としているということ。


さて夏ももう終わる。
日もだいぶ短くなってきた。

本当はこの事について、書く気もだんだんと薄れてきている。

でも、日記として記録しておこう…くらいの軽い気持ちで書いておきたいと思っていることがいくつかあったのだ。

この夏の思い出。

これは、エッセイなのか、日記なのか。








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