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余命1ヶ月の花嫁になれなかった人へ

令和元年 でも思い出すこと。

─平成のブーム─

調べたら平成7年でした。ベストセラーになり映画化もされた「余命1ヶ月の花嫁」というドキュメンタリーがありました。余命宣告された乳がんの20代女性の婚約者が結婚式を行う話です。式の1ヶ月後、女性は亡くなります。これが流行った当時私お涙ちょうだいもので苦々しく思っていました。直視できませんでした。

というのも私が幼い頃、叔母が若くして同じ状況で亡くなっていたからです。婚約者もいましたがもちろん、結婚式なんてあげていません。

─昭和の追想─
幼い私にとって叔母は憧れの人でした。
母の妹で、ピアノを演奏して日舞を踊り、ドライヴで一緒にお出かけしてくれて、おしゃれで優しい人でした。私は母方で初孫だったこともあり、とても可愛がられました。
ある冬、叔母はスペイン風邪で、あっと言う間に亡くなりました。お葬式にも出席したはずですが、あまり覚えていません。叔母の婚約者だった人の背中をあの人だったのか とぼんやり覚えています。
私自身の記憶はそんな感じです。
しかし、大きくなるにつれて事情がわかってきます。叔母はスペイン風邪ではなく白血病だったこと。不治の病でした。告知はしていません。祖母が叔母には内緒で婚約解消をしたこと。だから、叔母はなくなるまで婚約者がどうしてお見舞いに来ないのかと思っていたらしいこと。私は幼かったのでお見舞いに来なくなった婚約者の人を恨んでいました。叔母は会いたかっただろうに…。

だから、「余命1ヶ月の花嫁」が流行ったとき、私は奇特な人もいるもんだと思ったくらいでした。祖母が「○子(叔母)とおんなじねえ」とテレビを見ながらつぶやいたのをよく覚えています。
「余命1ヶ月の花嫁」はブームが落ち着いてから本を図書館でかりて読みました。私の感想は、いい人もいるもんだと思ったこと 残された男の人はその後、幸せになったのだろうか?
幼い頃私は叔母の婚約者の人を恨んでいたけれど、大好きだった叔母を亡くすのと婚約者を亡くすのは、多分、婚約者を亡くす方が辛いのではないか。
それを思い到るくらいには大人になっていました。しかし今の私には、もはやその後の詳細はわかりません。叔母の思い出はこれ終わりです。

ただ有名人が白血病を公表すると思い出します。俳優の渡辺謙氏が復活なさった時は、祖母は「治る病気になったんだね〜。」と言っていました。そんな祖母も彼岸の人となりこんな話題もする人がいなくなりました。
また今年、池江璃花子選手の白血病の公表があり、少し思い出したわけです。叔母の頃より治療法も進歩したことでしょう。
私も役の立ちたい気持ちあります。しかし、持病でドナー登録も献血もできません。せめて髪の毛くらいはヘアドネーションをしたいなあと髪を伸ばしているところです。

関東はお盆です。叔母のこともお墓参りの時とこんな話題が出ない限り思い出さなくなりました。もうご先祖様になったのかもしれません。


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