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なんやかんや言いながら、日常と折り合いつけてぼちぼち生きていきますわ

先日、北海道出張の帰りに、新千歳空港でたくさん時間があったので、ふらりと映画館に寄ってみた。

公開したばかりというジブリ映画『君たちはどう生きるか』がちょうど始まる時間だったので、観てみることにした。
ちなみに、公開していたことも知らなければ、広告宣伝を一切していなかったことすら知らず、図らずも世の中のみなさんと同じ、つんつるてんの状態で鑑賞することとなったのだ。

感覚的に、『夜は短し歩けよ乙女』のアニメ映画を観た時と似た、立ち位置が曖昧になるような奇妙な浮遊感があって、私は結構楽しめた。
(ネタバレしません)

さて映画の話は一旦置き、今回の出張は平日しっかり仕事をして、せっかくなので週末も北海道に残ってプライベートの時間も過ごすことができた。

元職場の同期とその子どもたちとピカピカのエスコンフィールドに行き、スタジアムツアーに参加して新庄監督の椅子に座ったり
現地の友人に富良野に連れて行ってもらったり
ドキュメント72時間の聖地である、すすきのの24時間営業サンドイッチ屋サンドリアに巡礼して念願のサンドイッチを頬張ったり(人生で一番美味しいサンドイッチだった)
涼しい北海道で非常に楽しい時間を過ごしたのだった。

だから、帰る時は少し寂しく、高温多湿な関西に戻るのがいささか憂鬱な気持ちになっていたのだ。
どんなに旅慣れても、この感情は毎度やってくる。

非日常から帰還するにあたって

大好きな西加奈子さんの小説の中に、こんな一説がある。

私が一番知っていたではないか。どこへ行ったって、日常から逃れることはできない、と。それは恐怖を呼び起こすだけのものではない。日常が続いているからこそ、その残酷さがあるからこそ、私たちは生きていける。
何かを忘れ、思い出し、悲嘆に暮れ、笑い、怒り、消えてしまいたいと思う。どんなときでも、ふと我に返ると、自分が圧倒的な日常に浸っていることに気付く。日常は動く。カートも動くし、私たちも、動くのだ。

西加奈子『うつくしい人』p.223

「非日常から自分を日常に戻してやる」ということは、たいていの人は自然にできてしまうのであろうが、非日常と日常の往還をスムーズに行うことは意外と難しく(少なくとも自分にとっては)、実は結構注意深くならないといけないことなんだと考える。

だって、旅の思い出が美しければ美しいほど、非日常が輝けば輝くほど、日常が冴えなければ冴えないほど、そのギャップに負けてしまいそうになるから。

非日常→日常のトンネルとは

私の場合、それは旅から帰宅した直後の買い出しである。
旅に出る5日前くらいから、できる限り冷蔵庫を空っぽにしよう運動を実施し、残りの日数で冷蔵庫の食材でやりくりする。(これも結構楽しい)
なので、基本帰宅後は冷蔵庫がほぼ空っぽ状態で、まずはスーパーに買い出しに行く。

この買い出しを終え、向こう数日分の食材が入った袋を抱えてえっさほいさとスーパーから自宅へ歩く時間こそが、日常へ戻るトンネルだ。
そして家に帰って冷蔵庫にすべて収めた瞬間、ああ、またここで生きて行くんだな、という気持ちになれる。

このような作業を意識的に噛ませて、ままならない日常に適応していくのだ。

君たちはどう生きるか

さて、冒頭の映画の話に戻ろう。
映画のタイトルが問うてくることに対して、今の私の精一杯の回答は、このnoteのタイトルの通りである。

嫌なことや理不尽なことも山ほどあって、文句垂れてばかりだけど、やっぱりこの日常と折り合いをつけて生きるしかない。

そんな日常を少しでも愛せる工夫を凝らしたいし、どれだけ心を擦り減らしても、自分を他者に譲り渡しすぎることがないよう、踏ん張りたい。

自分が生きる世界への適応、という要素を私はこの映画から受け取った。

旅行後のアラサーの買い物というショボ過ぎるスケールの話をしてしまったが、それはこれからも人生における課題であると思う。

地に足付けて必死に日常を潜り抜けたその先で、またサンドリアのダブルエッグサンドにかぶりつく日を楽しみに、生きていこう。

エスコンのダグアウト

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