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落ち込んだ時、アートは私の心を蘇らせることが出来るのか/「みる誕生 鴻池朋子展」

関西への帰る途中、家族と離れ一人で静岡の駅に降り立った。なぜ一人かというと、静岡で美術館・企画展でいくつか寄るべき候補があったからだ。
だが実は、年末年始に仕事や人間関係の上でいろいろあり、個人的にも気持ちが塞ぎ込んでいて、一人になりたかったということもある。この時、私の気持ち、メンタリティはけっこう沈んでいた。

2023年1月4日。極めて個人的なことから書き始めるが、私の妻の実家がある神奈川県藤沢で正月を過ごした後、東海道線を乗り継ぎ、熱海を経由して静岡で降りた。
家族と別行動して、京都で合流するということになり、静岡での滞在時間は数時間と限られていた。

予定した2つの美術館は、白井晟一建築の静岡市立芹沢銈介美術館(企画展「アイヌの衣装」初日)と、静岡県立美術館だった。
四時間あれば、通常の企画展のこの2つは制覇できると踏んでいたが、予想を覆す事態が起こった。(結局、一つしか行けなかった)

神奈川県藤沢市・鵠沼海岸

昨年、大阪のあべのハルカス美術館「楳図かずお大美術展」の、コラボレーション展示で参加していた美術家・鴻池朋子さんとお会いして話したとき、高松市立美術館での個展を(近くまで行っておきながら)見逃した・・・という話をすると、後日、「今度は静岡県美で巡回します!」というDMが届いた。よし、静岡県立美術館へ行ってみよう、と私は心を決めていた。

静岡県美というのは、有名な伊藤若冲のマス目描きの「樹花鳥獣図屏風」を所蔵する美術館だ。長らくプライス・コレクションとして、この度、出光美術館に里帰りした「鳥獣花木図屏風」のヴァリエーションで、工房製作、どちらかは若冲真筆ではないという不毛な議論もあった作品である。(今回、常設展示はないが、何度も別の企画展で見ているので今回の目的ではない)

静岡県立美術館・外観

まずは鴻池さんの「みる誕生 鴻池朋子展」を見るために、駅から20分ほど歩いた。予定としては、同時に見られる常設コレクション展の「蘭亭曲水図」や久隅守景、池大雅、ロダンの彫刻などもざっと見て、一時間半。そこからもう一つの芹沢銈介美術館へ行く予定だった。
が、しかし、鴻池明子の作品は圧倒的で、とても一時間やそこらで、鑑賞者を引き離すような柔なものではなかった・・・のである。

鴻池作品は、近年では東京アーティゾン美術館(旧ブリヂストン)での個展や、国立新美での「古典×現代2020」が印象的だったが、今回の静岡はそれらを有に超えていた。

鴻池作品には空間インスタレーション(立体の作品)も多く、その作品の中をくぐって、進まなければいけない展示のものも多い。
そこに混ざって狼などの獣の皮の剥製が吊られてある。それが、ふと自分の頭や髪の毛に、その獣の足先が頭に触れそうになる。少し、ゾッとする感じがする。

絵画やインスタレーションは、時には鮮やかに、時には美しく描かれる。
しかしその鮮やかさ美しさの中には、身震いするような気持ちの悪さも隣り合わせながら、明らかに恐るべき「生き物の命そのもの、あるいはその痕跡・残像」が再現されていることがある。鴻池作品が人を惹きつける特徴の多くはこの部分にある。モノや動物に生命・魂・精霊が宿る「アニミズム」(アニメーションの語源)の信仰民俗学的解釈の要素でもある。

恐れ、怖さ、少しゾッと感じさせるもの。
この命の根幹に触れるような印象・体験が、感動・ふるえを鑑賞者に共鳴させ、それが決して美しいだけではない”美術”、アートの力の源泉となっているのだろう。

私の美術鑑賞の予定が想定外となった大きな原因は、「みる誕生 鴻池朋子展」の美術館裏山の野外展示だった。鴻池手書きの地図のコピーがあり、鑑賞で歩くと、30〜40分はかかりますと美術館の係の人に案内された。

それでは時間がない!でも急げば、なんとか半分の時間で行けるだろうと思ったが、係の人は「幅が狭く、ちゃんとした道ではない」ので、それは難しいかも、と言う。まあ、でもとにかく見ておこうと決め、裏山の展示を見るために、歩くことにした。
それで結局この美術鑑賞は、いわば小登山くらいのものになった。

しかし、この野外展示こそが、鴻池が美術館の中で生み出そうとしていた「生き物の命そのもの」山や植物、大地という自然の生命、精霊が宿る不気味さと呼応していたのだった。

山の道、斜面や樹々の根っこ、揺れる草木、風の音・・・

そこに展示される作品は、それほど多くない。でも美術館という枠の中で、再現されていたものから繋がって、見事に山や自然そのものが表現の一部となっていた。
鑑賞者は見て感じて、歩くことで、美術館に置かれて一旦命が止まっている作品群と、山や木々とその合間に置かれた作品とが呼応し、生命が繋がりを体感することになる。

気づくと、美術館2つ分(常設コレクションを入れると4〜5)の時間を軽々と消費していた。

私はアートから、そして誰かのクリエイティビティから命を与えられ、再生したように感じることができた。

それがアートや美術にとても大事なところだ、と思った。
見る上でも、作る上でも、鑑賞者にとっても、アーティストにとっても。

クリエイティブ=創造されるアート・美術が、次の別の誰かの命を生み出すこと、命を繋ぐこと。誰かのクリエイティブから感動・ふるえ(恐れ)を感じ、命に力を与えられたようなエネルギーを感じられること。

それこそが、本当に良い芸術作品が持つARTの本願なのだと、鴻池さんの作品を体感して、私はあらためてそう感じた。
(2023.01.04)

「みる誕生 鴻池朋子展」022年11月03日(木)〜2023年01月09日(月)
   静岡県立美術館(高松市立美術館からの巡回 )※企画展は終了しました。

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