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南からの贈り物6 タニワタリノキ

朝早く涼しいうちに散歩に出かける。しばらく歩き回って家に戻る頃になると、南の島の真夏の日差しの強さはもう容赦無くなっていて、じりじりと長袖シャツの中の肌をも焼いた。それでも、自宅近くの狭い道に差し掛かると、木々の枝は低く木陰を作ってくれていてほっとした。近くに迫った頭上の熊蝉はシャンシャンシャンと物凄く煩いのだが。

屋久島の庭の横にあった小さな谷川沿いにも背の高い自然林が生い茂っていたので、川に面したあたりは、熊蝉の声がとても響いた。その谷川に面した部屋は景色は良く、せせらぎも涼しげで、客人を迎えるのにはお誂え向きだった。

引っ越して来て初めての夏、立て続けに四組の訪問客があった。そのうちの一人に、植物で繋がりのある友人がいた。彼女は樹木に詳しかった。その彼女が、谷川沿いの庭に影を落とす一本の木に気が付いて教えてくれた。タニワタリノキだと。よく見ると、何本かあるのもわかった。夫も私も、タニワタリノキなどというものを知らなかった。それもそのはずで、その木は、日本では九州南部から南西諸島にしか分布しないものだった。残念なことに、友人が来訪したのは花の時期より少し早過ぎた。

タニワタリノキ

夫と私は、タニワタリノキの咲くのを心待ちにした。蕾はまん丸の球形で、それが日増しに大きくなっていった。その球形は小さな花の集合花だった。ある日を境に、つんつんと雌蕊を突き出して、真っ白い花をいっせいに咲かせた。なんて面白い花なんだろう。二人で、こんな素敵な花が庭に咲くのを喜んだ。高い木々からは、熊蝉の声が降り注いでいた。

タニワタリノキの花

何年かするうちに、夫は、屋久島の野生植物の写真の絵葉書を土産物として出すようになったが、その中にタニワタリノキの花の写真もあって、それは一番人気があった。ある時知人が、これは何という木なのかと、枝を手にしてやって来たことがあった。夫と私は思わず微笑んで、これが絵葉書の中にあるタニワタリノキだと教えた。彼女は、自分のところのぽんかん畑のやはり谷川沿いに、タニワタリノキが咲いているのに初めて気が付いたのだった。屋久島は川の多い島だった。その屋久島の谷川沿いには、タニワタリノキはけっこう多かったのだが、案外、知る人は少なかったりするのであった。
谷川を覆うように茂るのが、タニワタリノキだった。

小さな谷川

庭の横の小さな谷川はとっておきの場所だった。夫は庭仕事が終わると、川で手足を洗い、道具を洗った。浅い川ではあるが小さな滝壺もあり、子供が遊ぶにもちょうど良かった。夫の甥の子供達が来た時には、その小さな川で大騒ぎをした。

私も遊ぼうと、一人ざぶんと滝壺に浸かった。水温が低いので、長く涼むにはウェットスーツを着て入るとちょうど良いくらいだった。静かに水に身体を沈ませていると、透明な蝦が素足をくすぐった。何という名前の蝦だろう。筋模様のあるものだった。手長蝦もいるようだ。それに鯊もいた。海から昇って来た坊主鯊だろうか。夫は、庭仕事の合間に大きな鰻を見たこともあると言っていた。鬱蒼と覆いかぶさっている木々の影が水面に揺れ、暑い夏の一日もゆっくりと流れて行くのだった。

タニワタリノキの花にカラスアゲハ

タニワタリノキの花はニッキのような香りを一面に漂わせた。それで花が咲いたのに気付くこともあった。開花の期間はことのほか短かかったが、黒い大きな揚羽蝶が訪れたりもした。それはきらきらと輝く川の水の煌きのような、夏の果てようとする一瞬の出来事のようでもあった。やがてあっという間に、花は終わりを告げた。

熊蝉の声はまだ響いていた。が、季節は少し移ろいだのだろう。夏休みの客人ももう帰ってしまった。夫は庭仕事を、私は散歩を、また始めるのだった。

谷渡る木々の記憶の蟬しぐれ            清子

(2016年8月5日発行、
 季刊俳句同人誌「晶」17号に掲載)

後記)
つい先日、オンラインレッスンの自由課題でシマタニワタリノキの花を大きく描いた。
ホームセンターで何年か前に見つけた盆栽仕立ての鉢植えで、あっ!あの懐かしの屋久島のタニワタリノキと思い込んで買ったが、初めて今年花が咲いてみてその鉢植えは、タニワタリノキの名前の前にシマの付く、シマタニワタリノキだとわかった。それを描いたのだ。
トップ画面が、その絵の部分です。

何枚か花を大きく自由課題で描く最中、私はずっとYou Tubeで、とあるクロッキーデモンストレーションの動画にはまっていた。

そして自由課題の提出も終わり、私は東京に出かけた。
この時と同じ顔ぶれ、四人の方のクロッキーデモンストレーションを、午前はかぶりつきの床座り席で、午後は立ち見で堪能して帰って来た。

家に帰って来た私は、大きな大きな大きな絵を描いた。調べたら120号くらいの一枚だった。それは、鹿児島が懐かしい頂いたウコンの花やオキーフの大きな花カラーと同じ科の庭の小さな小さなカラスビシャクや何やかや植物を脇に並べて、先生方の人物クロッキーみたいに、この大きさにしてはえいやっと短時間で描いたものだ。
人物だけではなく、植物のクロッキーなんてものもあるのかなと思ったけど、植物なんかはスケッチって言うのかな。

そうこうしているうちに、今うちにある盆栽仕立てのシマタニワタリノキの花も終わった。
思い出の植物たちや今身近にある植物たち、そこから派生した絵が描けたならなと思っている。