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#014 無意識に、自分のう○こを処理させている

先日、ある社長さんのセッションをさせていただきました。この方からは、定期的に、ランダムでの単発セッションの依頼があります。

初めの方は良かったのですが、回を重ねることに、なんだか違和感が出てきたんです。なぜか、尊重されてないような気がするんです。

でも、別にこれと言って、直接的に嫌なこと言われるとか、高圧的だとか、偉そうだとか、そういうわけじゃないんですが、何故かいつも、尊重されてないようなきがするんです。

なんでだろう、、、

そして、自分の中で、どんな感情や、言葉が出てくるのかを、内観してみたんです。

自分でやれよ
甘えんなよ
人を道具にするなよ
お前の子分でも社員でもないぞ
自分都合の良い人間に染めようとするな
支配するな
依存関係に引きずり込もうとするな
自分のペースに引きずりこもうとするな
周りの成長を止めるな
周りの価値を下げるな

これは、僕の中のう○こです(闇)です。

本当にこの社長さんがこんな人なのかどうかは別の話で、この社長さんを通して、僕の中のう○こを闇を投影してるんです。

ですので、この社長さんはあくまで僕の鏡なので、この言葉を全部自分に返します。

自分でやろうとしてなかったのは自分です
甘えていたのは自分です
人を道具にしているのは自分です
子分になろうとしていたのは自分です
自分の都合の良いようにしようとしていたのは自分です
支配していたのは自分です
依存関係にしていたのは自分です
自分のペースに引きずり込もうとしているのは自分です
相手の成長を止めているのは自分です
周りの価値を下げているのは自分です

これをすると、めちゃめちゃ自分の心がざわつきます。
ざわつくのは、その気持が自分の中にあるからです。

そして、そのざわつきを少しの間、観察します。ただただ、観察するだけ、馴染むまで。

感度がいい人は、体の何処かが勝手に動いたり、ソワソワしたり、人によったら、怒りや、悲しみ、恐怖などの感情が吹き出してきたり、肩や首が痛くなってきたり、重くなってきたりするかもしれません。

しかし、焦らずに、そのまま観察し続けて、そのままにしてあげてください。

そして、落ち着いてきたら、なにか自分の中に、メッセージなり、エピソードなり、過去のなにかの場面なりが、思い出されることがあるので、それがこのことを解決するためのなにかのヒントになるんです。

僕の場合は、なぜ自分が、このお客さんから嫌な感情を感じてしまうのか?自分の今の解釈があってないような気がしたので、なにか新しい氣づきがほしいなと思っていたんです。

すると氣づきがありました。

「自分のめんどくさい(う○こ)を、ひとに処理してもらっている」

でした。

自分の中では「おおっ!!」とクリンヒットな感じがしたんです。

なんで、この社長さんとのセッションの時って、尊重されていない気がするのか?なんで、この人といるときに、自分の価値を存分に発揮できないのか?なんでいつも、価値を下げられているような気がするのか?

それの、謎が、この「めんどくさい」というキーワードで合点がいきました。

そして、僕の何が行けなかったのか?「お客様のめんどくさいを変わりにやって上げるのが僕の仕事だ、役割だ、価値だ」って思ってたってことなんです。

がび~~~ん!!ですわ、まじで

この価値観(ビリーフ)は、間違いなく幼少の時に形成されたのを覚えています。

小学校の時も、人がめんどくさくてらないことが僕に回ってきて、僕はそれを楽しそうにやっていたし、先生も周りも喜んでいたので、この部分に自分の存在価値を見出してします。

めんどくさいことをする=僕の仕事

なので、独立してからも、人がめんどくさいと思うところがビジネスチャンスだと、隙間産業だと、僕の価値が生きるところだと、そう思って、なおかつそれでそこそこ上手く行ってきたので、より一層、周りの人のめんどくさいを請け負う癖が強化されていくんですよね。

ですので、僕の中にこんな「マインドバグ」が生まれます

・僕は、めんどくさいことをしなければいけない(ビリーフ)
・僕は、人がめんどくさがることをした方がいい(プレミス)

けど、自分の本心は違ってきているんです。
前までは、周りの人がめんどくさがっていることを代わりにやって、自分の存在価値を上げてきて、証明して、承認欲求を上げてきたんだなぁと思うんです。

その時はそれで良かったんですが、それは、「他人のめんどくさい=自分が楽しい、やりたい」が一致していたんです。

だからやれたし、うまく行ったし、自分もお客様も喜べた。それは、ちゃんと対等な関係で、協力しあって、補い合って、お互いの足りないところを補い合っていたんです。だから自然と感謝もできるし、喜びもある。

でも、このお客さんの場合は、何が違うか?
ただ、その人が「本当は自分でできるけど、めんどくさいな~」があって、それを誰かにやってほしいと思っているです。

何が前者と違うのか?
この、「本当は自分でもできるけど・・・」ここが、かなりのエゴになっている。「本当は自分でもできるけど、めんどくさいからやってくれない?」って言うのは、かなり相手に失礼なことを要求している。

自分で「おしりの「う○こ」自分でも拭けるんだけど、めんどくさいか拭いてくれない?」って言われているようなもんなんだと思うんです。

この要求を、なんとも思わず飲み込める人って、相当洗脳されているか?自己肯定感が低すぎる人くらいで、まともな人は近寄らない。

だから、このことを僕自身が感じだしたってことは、自己肯定感が上がってきている証拠なんだなと思ったんです。

もちろんこのクライアントさんも、わざとそれをやっているわけでもなくて、無意識に、無自覚にそれをしている。

なぜか?
自分が親に、そうされてきたからです。
詳しい部分は、話せば長いので、ここは割愛します。


特に、それを従業員や、周りの近しい人たちにやる。すると、何がおきるのか?周りに、自己肯定感が低い人しか集まらないし、その人が自立し始めたときに、逆に邪魔してしまう。そして、まともな人、自立した人から、離れていく。

そんなスパイラルになっていくんです。

だから、僕もこのクライアントから、何度も離れようとしたのか~~と。

今の僕の気持ちとしては、
・自分の価値をもっと上げていきたい
・もっと自分の力を発揮して、成果を出したい
・もっと自分の表現の仕方で、相手に貢献したい

けど、このクライアントは、うまくこれをさせないように持っていくんです。自分のめんどくさいところだけやってほしい。それ以外はやってくれるのは嬉しいけど、お金は払う気がない。

最小限のコストで、最大限の効果を得たい

だから、ここだけでいいよ。

めんどくさいことを代わりにやってもらうという依頼は、そのクライアントが絶対に損はしない依頼なんです。なおかつ、それ以上のことが起きたら、ラッキー得する。

なるほど~、現代の闇だと思いました。

そして、その部分を僕も持っている。僕が投影している。

昨年くらいに、女子の制作仲間に言われたことがあって、
「「めんどくさいから仕事を振る」って言われて、振られるととても嫌な気がするんです。」

これを言われたときに、「はっ!」として、

あ~、そんなふうに受け取っていたんだ~という氣づきと
あ~、そんなふうに仕事を渡してたんだ~という氣づきと
あ~、仕事=めんどくさいもんだ、ってまだ思ってたんだ~と言う氣づきと
あ~、そんなふうに仕事振られると、嫌なんだ~っていう氣づき

だったんですね。

だから、僕の中で

めんどくさい=仕事

っていう価値観を、そろそろマジでぶっ壊さないといけない。

僕は、めんどくさいことが好きなんじゃなくて

場の状態
全体のバランスや
その人のバランスを
崩している、邪魔している原因を見つけて
整えて、良い場にすることが好きなんです

だから、農業も、作物作るより畝作りや土作りに興味がある。

あと、掃除とか、整理整頓とかもやりだしたらとても好きな方だと思う。

そういうものを自由に、創造的に、独創的に表現したい感じかな?

むかしは、それらを
「人がやりたがらないめんどうなこと」として、一括りに、曖昧にしていて、めんどくなこと=僕の仕事 としていたから、めんどくさいことばかりが自分に起きたいたのかと、気づきました。

人の心、頭、状態を
分析し、整理し、整え、調和させて、表現し、自立させる

そのために必要なことをやっている

あなたがめんどくさいと思っていること
あなたのう○こを拭くことが仕事じゃない!!

僕は、僕が喜ぶため、楽しむため

そして、
あなたと一緒に、表現し、楽しむために存在しているのだ

自分のケツは自分で拭け
自分でできることは自分でしろ

まずはそこからだ

そのあと、
ちゃんと自分ができることとできないことを自覚したら
相手に対する本当の尊敬や尊重ができる

まずは、ぼく自信もちょっと自分を見直して
自分でやることなのに、めんどくさいからやってないとか、人にやらしていることはないか?

また、逆に、
能力的にはできるかもしれないが、現実できない、できてないことで、自分でやろうとしていることはないか?

そのあたりを、ちゃんと見直していこうと思いました。

当たり前のことなんだけど、できていないことってたくさんあります。


こういう投影のワークをすると見つかるのでおすすめです。


今日もあなたに
最高の氣づきが訪れますように♪







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