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意識高い系の終わり

数学はかなり抽象的、出題意図が読めない不思議な問題。

なんとか解いて提出したがそれではダメだと気づいた。

試験問題の正答数でこの学校合格できない。

「気づきと行動」が必要、配点はこちらが高い。

会場教室のエアコンが不調だ。
直すのは無理でも直そうと試みたか?

外が何やら騒がしい。原因を調べるために動いたか?

部屋の空気が試験会場として適切かチェックしたか?

どうやればいいのかわからなければ調べたか?

要するに、「気づきと行動」。
これが数学の点数より重く加点される。

・・・目覚めた。

あくまで夢の中、架空の入試。

これって、仕事の姿勢と同じだなあ。それを教えてくれたんだね。

目の前のタスク(TO DO)ばかりやっていてはダメで、いまの世の中の流れや環境変化への「気づき」と、それを反映した「行動」こそが、必要。

このためにガウディとサグラダ・ファミリア展行ったり、海外の動きをメディアチェックしてる。

デジタルやインターネット、SNSが席巻したこの20年、アナログ&リアルへ揺れ戻しがあると読んでいる。振り子は戻る。それを裏付ける記事を発見した。馬のしっぽのように長い。短くまとめて欲しいのだが原稿料のためだろう(笑)

直訳すれば「ウェルネス時代の終焉」。
言い換えよう。
「意識高い系の終わり」。

予約の取れなかったヴィーガンレストランが今や青息吐息、タバコが復活してる。

ELLE記事(20 DECEMBER 2023)より

画家のデイヴィッド・ホックニーが自身の展覧会で咥えタバコで登場。著名人が公の場で堂々とやるってのは新しい潮流なのだろう。

「D.E.I.(ディー・イー・アイ)」は、「Diversity(ダイバーシティ、多様性)」「Equity(エクイティ、公平性)」「Inclusion(インクルージョン、包括性)」の頭文字からなる略称で、一時期もてはやされた。D.E.I.コンサルティングの「スキル」をもった担当者は華やかなキャリアだった。

しかし。『ニューヨークタイムズ』記事タイトルは「D.E.I. Goes Quiet」、D.E.I.は鳴りを潜めた。

見事に右肩下がり

驚いたのは、代替肉で一世を風靡したビヨンド・ミートの株価がたったの7ドルに暴落していること。

2019年7月には230ドル。ブイブイいわせてた。

持ち上げる記事もある。日付見ると2020年2月27日。4年前。

このような「意識高い系」からの全地球的な「離れ」が始まっているのではないか。

意識高い系は禁欲的であり、倫理的だ。簡単に言うと、「疲れる」。

昭和レトロの流れがある。昭和って、まあ、欲望バリバリだし、倫理的にはいかがなものか、な時代だった。意識高くない。むしろ低い。

この3年ばかり、意識低い「Low 意識学園」という架空の学校創って遊んでる。これ、時代の流れに沿ってるなあ(笑)

現実は、いまデスク上でやってる仕事の延長線には出てこない。

ふっと違う方向へゆれる。

クォンタムジャンプ(quantum jump)、跳躍する。

だから、いま目の前のタスクばかりやってると、好ましい現実を創造できない。

夢に出てきた入試のように、「気づきと行動」が必要なのだ。

振り子はデジタルとアナログを行ったり来たりするだろう。

同じ場所ではなく、らせんを描きながら。

*ここからはオマケのお話。

もうすぐ節分。

豆まきしますよね。

そのお豆、できれば神社さんからいただいてください。

『古事記』

愛し合ったイザナミとイザナギ。

亡くなってしまった愛しの妻イザナミを取り戻すため黄泉の国を訪れたイザナギ。

「覗いてはいけません」というイザナミ。
お約束で、イザナギは覗く。
恐ろしい姿に変わり果てたイザナミ。
イザナミ「わたしに恥をかかせたなー!!」
恐ろしい化け物となったイザナミはイザナギを殺そうと追いかける。

「何? あれがあの美しかったイザナミ?」

慌てて逃げるイザナギ。

追跡劇の最後、イザナギが桃を三つ投げつけ、これでイザナミは追うのをあきらめる。

節分で豆をまくのはこの古事記に拠ります。

「桃」の代わりなんです。節分のお豆さん。

イザナギイザナミのエピソードを祝詞にして神主さんたちがお豆さんに込めてくれています。
だから邪気払いに効果あるわけです。

というミニ知識でした。ちゃんちゃん!!

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