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小説版「でもね。」

ある日、赤い帽子を被った1人の小さな男の子が、物知りなお爺さんに聞きました。

「人生ってなに?」

聞かれたお爺さんは少し考えた後、とある1冊の古い絵本を男の子にあげました。
貰った男の子はその絵本を開く。
すると、中には色鮮やかな絵と1行の言葉を記した見開きが。
この絵本は全て左半分に絵、右半分に1行の言葉があった。
そして。
右に記されている1行の言葉の下には、この絵本の元々のものではないであろう“誰かが書き足した”ような文字がありました。

「この文字はお爺さんが書いたの?」
「いいや、ワシではないよ。誰が何時この文字を書き足したのかはワシにも分からん…。
でもね、その文字を書き足した人もきっと今の君と同じように、人生とは何かを探していた筈じゃよ」

お爺さんはそう言い、男の子は静かにその絵本を読み始めました。

左側には鮮やかな絵。右には言葉。
『努力は必ず報われる』
そしてその言葉の下には書き足した文字が。
“でもね、全ての努力が報われる訳ではない。時には報われない事も数多くあるけれど、何かを手にした人は少なからず努力している”

書き足された文字。
それは次のページも、そのまた次のページも同じであった。

『世の中に絶対は無い』
“でもね、それは自分の中にちゃんと持っていれば心配はない。その気持ちがあれば絶対大丈夫”

『外見よりも中身が大事』
“でもね、やっぱり外見が大事な時もある。どこが大事と見るかは結局その人次第。外見は中身の一番外側なのだから”

書き足された文字が正解と言えるかは分からない。あくまで書き足した人の意見だろう。
だが、絵本の言葉がそのまま正解と言えるかどうかもまた分からないものである。

絵本のページはまだ続く。

『世界は愛に包まれている』
“でもね、多くの人が持っている筈なのに、いざ得ようとするととても難しい。だから人に求めるよりも、自分の愛を育てよう”

『人は皆平等である』
“でもね、生まれつきの持ち物には個人差がある。だから無い物ねだりより、ある物で勝負するしかない。それが不平等への勝ち方”

きっとこの絵本のメッセージの受け取り方は人それぞれ。
簡単なようで明確な答えのないこの絵本も、のこり僅かのページ数となった。

『時間には限りがある』
“でもね、時間が無いと言うのは言い訳。それを言う人の大半は、時間を作ろうとする自分の努力が足りていない”

『人生は決断の連続』
“でもね、例え自分の決断で手にしたレモンが苦く酸っぱくても、そこから諦めず何とかレモネードを作り上げたその経験が、後の決断に繋がる”

……パタン。

絵本を読み終えた男の子はそっと絵本を閉じました。

すると、男の子は不意に聞かれます。

「ねぇねぇ、生きるってなに?」

声のした方を振り返ってみると、彼の目の前には“あの日の自分と同じ”ぐらいの歳の小さな女の子が1人立っていました。

そして、男の子は自分が持っていた1冊の絵本をその小さな女の子にあげました。

「これはなに?」
「これは昔、ワシが物知りなお爺さんに貰った絵本だよ。今のお嬢ちゃんの質問の答えが分かるかもしれない」
「そうなんだ! 赤い帽子のお爺さん、ありがとう!」

絵本を貰った女の子はとても嬉しそう。
お爺さんは目の前の女の子がいつかの自分と重なって見えました。

「お嬢ちゃんの質問の答えは人ぞれぞれ。皆が絵本のように自分だけの物語りを歩んでいるんだよ。その答えがどこにあるかはワシにも分からん。

でもね――」

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