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抜粋『人生論ノート』~その2~

終戦直後のベストセラー、三木清氏の『人生論ノート』を読了したので、私の琴線に触れた部分をただ抜粋します。
その1はこちら。


■虚栄について

人間は虚栄によって生きている。虚栄はあらゆる人間的なもののうち最も人間的なものである。
虚栄によって生きる人間の生活は実体のないものである。言い換えると、人間の生活はフィクショナルなものである。
紙幣はフィクショナルなものである。しかしまた金貨もフィクショナルなものである。けれども紙幣と金貨との間には差別が考えられる。世の中には不換紙幣というものもあるのである。すべてが虚栄である人生において叡智と呼ばれるものは金貨と紙幣とを、特に不換紙幣とを区別する判断力である。

2010年代にベストセラーになった『サピエンス全史』にも、現生人類はフィクションを共有する力によって勝ち残った、という話が書かれているそうです。
本著は半世紀以上前に書かれたものですが、人間社会がフィクションの上に成り立っているという視点がこんなに前からあったとは驚きでした。

『すべてが虚栄である人生において叡智と呼ばれるものは金貨と紙幣とを、特に不換紙幣とを区別する判断力である』
これは考えさせられます。別の段落にこれを受けての以下のような文言もありました。
『道徳もまたフィクションではないか。それは不換紙幣に対する金貨ほどの意味をもっている』


人間が虚栄的であるということは人間が社会的であることを示している。つまり社会もフィクションの上に成立している。従って社会においては信用がすべてである。あらゆるフィクションが虚栄であるというのではない。フィクションによって生活する人間が虚栄的であり得るのである。

貨幣経済の先に信用経済・評価経済があるという話も聞くし、現代に通ずる視点がありまくりです。


いかにして虚栄をなくすることができるか。
――(中略)――
創造的な生活のみが虚栄を知らない。創造というのはフィクションを作ることである、フィクションの実在性を証明することである。
虚栄を排することはそれ自身ひとつの虚栄であり得るのみでなく、心のやさしさの敵である傲慢に堕してることがしばしばである。


■名誉心について

人生に対してどんなに厳格な人間も名誉心を放棄しないであろう。ストイックというのはむしろ名誉心と虚栄心とを区別して、後者に誘惑されない者のことである。その区別ができない場合、ストイックといっても一つの虚栄に過ぎぬ。
虚栄心はまず社会を対象としている。しかるに名誉心はまず自己を対象とする。虚栄心が対世間的であるのに反して、名誉心は自己の品位についての自覚である。

「名誉」という言葉を「信用」や「評価」といった社会ありきの概念として捉えていないところが面白かったです。
私は他人にどう思われるかを行動基準・選択基準にするタイプの人間を「自分のモノサシ持ってないのかよ」と小バカにしがちなので、「社会を対象にするのは虚栄心だ」という部分だけ都合よく抜き取って痛快でした。

ただし、別の段落において著者は名誉心も虚栄心も同様に社会に向かっていることを一部認めています。
その中で、虚栄心が向かう社会とはアノニム(匿名)であるのに対し、名誉心が向かう社会は「それぞれの人間が個人としての独自性を失わないでいるところの社会である」と言及しています。
『虚栄心は本質的にアノニム(匿名)である』と。
現代において匿名性の高いインターネット上でのやり取りを眺めていると、この視点もまた痛快です。


全てのストイックは本質的に個人主義者である。彼のストイシズムが自己の品位についての自覚にもとづく場合、彼は善き意味における個人主義者であり、そしてそれが虚栄の一種である場合、彼は悪しき意味における個人主義者に過ぎぬ。

「自分のモノサシ」も結構だけれども、「悪しき意味における個人主義」にならないように気をつけねば……。


抽象的なものに対する情熱をもっているかどうかが名誉心にとって基準である。
――(中略)――
抽象的な存在になった人間はもはや環境と直接に融合して生きることができず、むしろ環境に対立し、これと戦うことによって生きねばならぬ。
名誉心というのはあらゆる意味における戦士のこころである。騎士道とか武士道とかにおいて名誉心が根本的な徳と考えられたのもこれに関連している。
宗教の秘密は永遠とか人類とかいう抽象的なものがそこでは最も具体的なものであるということにある。宗教こそ名誉心の限界を明瞭にするものである。

難解な部分でした。というか私には咀嚼できませんでした。
虚栄心に生きる方が環境に対してより自然的(あるがまま)≒野性的で、名誉心に生きるほど環境に対してレジスタンス的ということでしょうか。
武士道における徳なんて確かに不自然と言えば不自然ですからね。

著者は、虚栄心におけるアノニム(匿名)なものと、名誉心における抽象的なものは同じではないと言います。
前出の「虚栄について」の章において、『虚栄はあらゆる人間的なもののうち最も人間的なものである』と言っているわけですから、名誉に生きるということは(少なくとも動物的な意味での)人間を超越することを目指す生き方なのかもしれません。
そう考えると『宗教こそ名誉心の限界を明瞭にするものである』という文言も理解できます。



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