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抜粋『人生論ノート』~その4~

終戦直後のベストセラー、三木清氏の『人生論ノート』を読了したので、私の琴線に触れた部分をただ抜粋します。
その1はこちら。


■成功について

古代人や中世的人間のモラルのうちには、我々の意味における成功というものはどこにも在しないように思う。彼等のモラルの中心は幸福であったのに反して、現代人のそれは成功であるといってよいであろう。

これはやや言い過ぎかと思いました。
古代人はどうか知りませんが、中世には中世の成功(立身出世の願望)があったでしょう。
しかし成功を夢見られる人の割合は現代より少なかったには違いありません。あまりにも手が届かない場所にあるとそれを欲する気持ちも起こりませんから、完全な平等とは言えないにしても誰もが一定以上の機会・土台を与えられている現代だからこそ、成功と幸福を関連付けて考えてしまうのだと思います。


成功というものは、進歩の観念と同じく、直線的な向上として考えられる。しかるに幸福には、本来、進歩というものはない。

GDPと幸福度が比例しないとか、漁師とコンサルタントの話とかを想起しました。


成功も人生に本質的な冒険に属するということを理解するとき、成功主義は意味をなさなくなるであろう。成功を冒険の見地から理解するか、冒険を成功の見地から理解するかは、本質的に違ったことである。成功主義は後の場合であり、そこには真の冒険はない。
一種のスポーツとして成功を追求する者は健全である。

一種のスポーツとして人生を楽しみながら取り組めたらいいですね。


もしひとがいくらかの権力を持っているとしたら、成功主義者ほど御しやすいものはないであろう。部下を御していく手近な道は、彼等に立身出世のイデオロギーを吹き込むことである。

現代の若い世代は(私も該当します)、会社組織の中での立身出世への興味は薄まったように思います。ゆえに上の世代の人からしたら御しにくいのかもしれません。
一方で情報商材みたいなものが売れるのですから、本質的に成功主義者が多いのは相変わらずなのでしょう。


■瞑想について

この章には特に抜粋したいところはありませんでした。単純に難しくてよく分からなかったです。


■噂について

評判を批評の如く受け取り、これと真面目に対質しようとすることは、無駄である。いったい誰を相手にしようというのか。相手はどこにもいない、もしくはいたるところにいる。しかも我々はこの対質することができないものと絶えず対質させられているのである。
ひとは自己の不安から噂を作り、受け取り、また伝える。

現実でもネット上でも、あらゆるコミュニケーションにおいて念頭に入れておきたい考え方です。


歴史的なものは批評の中からよりも噂の中から決定されてくる。
噂より有力な批評というものは甚だ稀である。

私は小説を書きます。批評で褒められる作品より、大衆の噂になる作品が書きたいです。ハイ。


■利己主義について

一般に我々の生活を支配しているのは give and take の原則である。それ故に純粋な利己主義というものは全く存在しないか或いは極めて稀である。いったい誰が取らないでただ与えるばかりであり得るほど有徳或いはむしろ有力であり得るだろうか。逆にいったい誰が与えないでただ取るばかりであり得るほど有力あるいはむしろ有徳であり得るであろうか。
ギブ・アンド・テイクの原則は、期待の原則である。与えることには取ることが、取ることには与えることが、期待されている。
期待は他人の行為を拘束する魔術的な力をもっている。我々の行為は絶えずその呪縛のもとにある。道徳の拘束力もそこに基礎をもっている。他人の期待に反して行為するということは考えられるよりも遥かに困難である。

内田樹氏だったかな。現代人(確か若者)についての洞察で、「彼らは迷惑をかけたくないんじゃなくて、迷惑をかけられたくないんだ」と言っていたのは。
まったくその通りです。私が自身の生き方において自己責任や自力救済を望みがちなのは、誰かの手を借りた場合、今度は手を貸さなくてはならないことを嫌っているからです。三十過ぎた今でも、例えばもし金に困って実家に帰るくらいなら道端でのたれ死んだほうがマシ、と本気で思っていますから。親の面倒なんかみたくないのです、正直。実際にのたれ死ぬ根性があるかは疑わしいですが。
しかし「助けてください」が言えるのも必要な能力には違いないと思います。この一言が言えないばかりに一人で抱え込んである日突然爆発する種類の人間にならないようにだけ、肝に銘じなければ。

「期待してるからな」という言葉をかけられたことがあります。私はあれが嫌いです。特に上司とか教師とか親とかの立場の人が、この言葉を万能のポジティブワードだと思ってつかっているなら考えを改めてほしいです。
期待されることでパフォーマンスが上がる人間もいるのでしょうが、そうでない人間もいることをわきまえていただきたい。私のような人間は、期待されてもそれを重圧としか思いません。圧をかけて大きく跳ね得るのは元々バネのある人間だけです。安いバネしか持たない人間はそのままぺしゃんこになりかねません。私は他人の期待があろうとなかろうと、やれる限りのことはやります。期待をかけるならセルフでかけられるのでどうぞお構いなく。
それでも他人に期待を口にしたいなら、著者の言う「他人を拘束する魔術的な力」「呪縛」という側面を理解した上でつかいましょう。

利己主義という言葉は殆どつねに他人を攻撃するために使われる。主義というものは自分で称するよりも反対者から押しつけられるものであるということの最も日常的な例がここにある。



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