【物語論】自分をかばわずに書けるか。
創作物には、作者の人間性がにじみ出る部分があるものです。
キャラクター造形にも個々のエピソードにも、作者の実体験・実生活からの影響がどうしても出てしまいますから。
となれば、およそ世間から非難・嘲笑を浴びるようなキャラクターや思想を書く時、どうしても「私は本当はこんな人間じゃないんだよ」という主張を作品の中に織り込みたくなってしまうのが作者の性と思います。
私自身、小説は元より、noteの記事にさえ「言い訳」を書きたくなります。
文章を書きながらこんな葛藤を抱いた経験は、私だけのものではないでしょう。
私は弱虫なので、大抵は保険をかけてしまいますが。
(この記事そのものが大きな保険)
しかし、こういった言い訳は文章全体のテーマや描き出そうとするキャラクター像をブレさせてしまいます。
言い訳がちらつくと大抵は全体の質が落ちる結果となる、というわけです。
持論を書くブログでも、完全なフィクション・ストーリーでも、自分を誤解されるというのは怖いですよね。
でも、そこを我慢して「自分をかばわずに」、一個の作品としての理想的な形の実現に徹することができれば、作品の「凄み」が増すと思います。
その「凄み」は強烈な魅力となって、作品を強く印象づけることでしょう。
人間は多面的な生き物です。
しかし、一個のnote記事、一個の小説作品の中で見える(見せることのできる)面は限られています。
ならば、無理に多面的に書かずに、書く面を絞ってストレートに放り投げればいいじゃないですか。
私はそういう文章が好きです。
※余談
記事の趣意は全然違いますが、考えの根となる精神性や心構えはたぶんこういうことなのだと思います。
紹介させていただきますね。