見出し画像

『死ぬのが仕事だあ』と言った婆ちゃんがいよいよ。

 昨夜母から電話があった。第一声から悲しみの夕暮れみたいな声だったので、「ああ婆ちゃん死んだかな」と思ったら早とちりだった。もうじき死ぬだろうという話だった。私の実家を死の床とする祖母に今日、私は会いに行ってきた。

 医者いわく、祖母にはもう食物を処理する力がなく、食事させると余計に苦しいだけらしい。木曜から水すら口にしていない祖母は痩せこけて、しかし穏やかな顔をしていた、というのは私の願望を見ただけに過ぎないのかもしれないけれど、正直な印象だ。何色でもなくこちらを見つめ返すだけの瞳は赤ん坊のようだった。

 赤子はじゃんじゃかおしっこをしてオムツを汚すが、あれこそが命の躍動、食事をやめた老人は小便が出なくなると〈一日〉だそうだ。こうして「もうじき」がわかる死に方ができるのは婆ちゃんが徳を積んだからに違いない。突然の死は、死を特別なことのように錯覚させる。だが本来特別なのは生きていることであって、死こそ日常なのである。刻一刻と今際が迫る、そんな日常の延長にある死に様を見せてくれた祖母に感謝する。おかげで私は、自分の生が際立つのを感じられた。

 婆ちゃんは最高の〈仕事〉をしたよ――。

 とみ田のカップ麺を食べながら祖母の偉大を思った。