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ルパート・グールド『ジュディ 虹の彼方に』ジュディ・ガーランド、最後の一年

スザンナ・ニキャレリ『Nico, 1988』と内容が全く同じって地味に凄いことなんじゃないか。全盛期を扱ってあげろよという思いも含めて。共に麻薬中毒だった人気女優の最晩年を追った作品で、子供や夫たちとの関係の描き方もステージまで到達すれば本気出せるとこまでしっかり被っている。同作と異なるのは、太りやすい体質だったせいで食欲減退用にアンフェタミンを渡され、結果的に薬物中毒になっていったという子役時代における"きっかけ"や"栄光の時代"を描いていたことくらいだろうか。いや、一番の違いは、ニコの周りに友人がいたが、ジュディは基本孤独ということか。だからなのか、それとも性的マイノリティに早い時期から理解を示していたことを象徴的に示したいからなのか、出待ちしていたゲイカップルと三人で飲みに行くシーンが登場する。流石にこれはもうファンタジーの世界でしょ。彼らは後の重要な場面で再登場するが、そこも感傷的すぎる。寧ろこっちを重点的に描きたかったからこそ企画が始まったんじゃないかって邪推したくなるくらい自然ではない。

よく考えてみると、これまた最近グロリア・グレアムの晩年を描いた『リヴァプール、最後の恋』まで公開されているじゃないか。身内ネタまで手を出し始めたと見るべきか、ないがしろにしてきた身内の再評価と見るべきかは判断難いが、この映画をきっかけに人々が『オズの魔法使』を観たり、ルーニーとの共演作品を観たりする可能性を否定できないあたり、弔いとして優秀な作品なのかもしれない。2時間もある割に薄い映画だった気はするが、これは私の心がやられているからかもしれない。もっと活躍してた時代を映画にしてやる方がいいとは思うが、どうせオスカー狙いの映画だし深く考えるのは止めた。

追記
思い返せば思い返すほど、この映画のジュディ・ガーランドに人間性が薄く、魂を感じないことが悔しく思えてくる。演技って模倣だけでは成立しないはずなんだが、レネー・ゼルウィガーはジュディの模倣をしているだけだ。彼女が終始ドヤ顔で"再現"しているのも映画への興味を阻害してくる。なんと罪な映画だろう。

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・作品データ

原題:Judy
上映時間:118分
監督:Rupert Goold
公開:2019年10月4日(アメリカ)

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