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キリル・セレブレンニコフ『The Student』一人の不快が皆の不快?

ド傑作。ピエール瀧騒動の今だからこそ輝くと言っても過言ではないセレブレニコフ長編六作目。キリスト教原理主義に傾倒した学生が、聖書を引用しまくって思考停止状態の大人たちを味方に引き込み、曖昧で許されていた部分を、グレースケールの白以外を全て黒に変えていく。一人の人間の好みが全体の秩序を悪い意味で破壊するのだ。

冒頭、高校生のヴェーニャが母親と口論している。彼がプールに入りたがらないからだ。生理だから(ヴェーニャは男)、体を見られるのが恥ずかしいから、勃起してしまうから、など色々と理由を並べ立てるも、"教義に反する"に落ち着く。母親は一蹴するが、これが地獄の始まりだった。この10分近い口論を長回しワンカットで撮る緊張感が素晴らしい。セレブレニコフは『Leto』でもナウメンコのライブシーンは長回しだったが、今回は全編に渡って、何も考えていない大人たちを扇動していく姿を長回しで捉えている。

プールサイド。ビキニを着てはしゃぐ女生徒に向かって"君は集中を妨げる"と言う。ヴェーニャは"主は、女は控えめな服を着なくちゃいけない、と言っているからビキニでの水泳は間違い"と言う。周りの大人たちは確かにと頷く。聖書に書いてあるなら、と校則を振り返り、"ビキニで泳げ"とは書いてないね→ビキニ禁止となる。それに対して教育指導の女性教師レナや体育教師オレグは何も返せない。あくまで"ビキニでもいい"であって"ビキニでなきゃダメ"ではない上に、ビキニを不快に思う人間がいるのであれば自粛するしか道がないから。
では、なぜビキニがダメなのか。校長はビキニはダメと決めたのに、理由はレナが考えろと言い放つ。しかも"髪型をもっと教師っぽい控えめなのにしろ"と話題を変えて逃げ出すのだ。

ピエール瀧騒動なんかに代表される日本の自粛回収騒動にも似ているだろう。一部の人間の申立によって、電気グルーヴの音源は回収されてしまったが、実際よく考えてみると"置いといてもいい理由"は思い付いても、絶対的な"置かなくてはいけない理由"というのは思い付かない。そこにつけ込まれた企業は申立があれば回収せざるを得なくなる。見なきゃいい、聞かなきゃいい、の世界なのに、個人の気に入らないものを社会が気に入らないものにすり替えて排除しようとするのだ。

母親は心配になって教会に駆け込む。しかし、神父でさえ"オーソドックスな教育"しか施さないので心配しないどころか"聖書を礼賛するのは素晴らしい"と宣う始末である。そして、母親に対して"君は幸せか?"と尋ねて論点をズラし、議論をすり替えてしまう。後にこの神父はヴェーニャとも戦うが、一切敵わない。ヴェーニャはキリスト教を信じているわけでも神を信じているわけでもなく、自分の理論武装に使っているだけだから。

二回目のバトル
性教育の授業で、避妊を敵視するキリスト教原理主義のヴェーニャと教師側のレナは再び対立する。生徒たちは"教師への反抗"という面でこの対立を囃し立てる。現代に置いて性教育は必須なのに、2000年前の理論を振りかざして授業を遮り、終わらせてしまうのだ。すると、乱入した校長は授業に対して文句をつけ始める。聖書を引用して"ホモは死ね"と言い放ったヴェーニャを校長はまたも"科学的に我々と一緒であると証明されてない"庇うのだ。
しかし、具体的な策は出て来ない。"では、何を教えればいい?"に対して校長はまたも逃げ出すのだ。

三回目のバトル
進化論の授業で、進化論を否定するヴェーニャはレナと三度対立する。彼は猿の格好をして授業を妨害して校長がやってくるが、校長は"なぜ進化論と聖書、どっちも教えない?"と言ってレナに取り合わない。レナが聖書を引用すると揚げ足を取り、科学的根拠を述べると誰もわからないことを突きつけて考えることからまたも逃げ出す。ヴェーニャは
レナが自分に歯向かうのは、彼女がユダヤ人だからだと思い始め、殺そうとする。

しかし、レナも聖書を熟読し、ヴェーニャの隙きを突く。ヴェーニャは遂に折れた…わけなかった。

大人たちは"無かった"ことにし始めたのだ。レナをユダヤ人と呼んだのも"子供のいたずら"であるとして、葉っぱだけ摘もうとするのだ。レナは必死に食い下がり、根こそぎ問題を解決しようとするが、失敗する。ヴェーニャが"触られた"と告発し、議論は明後日の方向へ爆散する。

理論武装に用いるのが聖書であるのはロシア的というかなんというか。『狩人の夜』でも書いた気がするが、聖書を全部暗記してそれらしいタイミングでそれらしい節を引用すれば本物っぽくみえてしまうフシがある。実際の文脈からはかけ離れていても"聖書を引用した"という事実に盲目的に従ってしまうこともあるかもしれない。権力或いはキリスト教そのものに対して、そんな危険性を孕んでいることを二重に伝えているのである。

確かに、本作品は不快である。しかし、それは現実世界の不快さを誇張したからであり、我々の世界と陸続くである本作品を、映画として切り離して観ることは最早不可能だ。ヴェーニャは行き過ぎてしまったが、そこまで行かない人間で溢れているこの世界は、息苦しい世の中だと、改めて感じることとなった。が、皮肉が非常に上手かった『Leto』の興奮を考えるとより直接的に不快さを煽った本作品の皮肉は少し劣って見えた。女生徒の存在がフワフワしているのと、寓話にしても校長が狂信的すぎるのはマイナスポイント。

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・作品データ

原題:(M)uchenik
上映時間:118分
監督:Kirill Serebrennikov
公開:2016年10月13日(ロシア)

・評価:80点

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