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【ネタバレ解説】ロバート・エガース『ライトハウス』海への恐怖、光への羨望

圧倒的大傑作。森への潜在的な恐怖を映像化した傑作『ウィッチ』に続くロバート・エガースの長編二作目であり、カンヌ国際映画祭監督週間でのワールドプレミアでは"カンヌ映画祭で一番良かった"という声すら届くほどだったのに、サイレント時代を模した画面サイズでの上映に対応できる映画館がないことから日本公開が絶望視されている不遇の映画、それが本作品である。

時は1890年代、エフライム・ウィンスロー青年とトマス・ウェイク老人は孤島の灯台守として四週間の仕事を任される。威圧的なウェイクに罵られながら、ウィンスローは灯台用の燃料を補充したり、屋根を修繕したり、糞尿を捨てたりして日々の生活をこなし、夜な夜なウェイクの長ったらしい話を聴かされて酒を呑んで歌いあう。ウェイクが嫌いだが、周りを海に囲まれた彼に逃げ場はない。完全におっさん版『ウィッチ』じゃないか。しかし、異なるのは二点。モノクロである点と灯台がある点である。

前者は否応なしに光と影を強調するためだろう。カラーだった前作より何十倍も強いライトを焚いたという本作品では、夜や薄暗い室内での陰影のコントラストや影の大きさが強調される。あまりの明るさにパティンソンもデフォーも互いを見ることすら出来ず、スタッフはサングラスをしていたらしい。また、脚本を書く前から本作品の画面サイズは決まっていたらしく、この時代の雰囲気を出すためにサイレント時代の画角を使ったようだ。その発言の真意はさておき、正方形に押し込まれた風景の閉塞感は堪らない。殺人を犯して逃げてきたはずなのに逃げ場がなくなり、二人しかいない世界に閉じ込められ、嵐によって外界からの手助けや島を離れるという希望は完全に打ち砕かれる。そして、横に伸びる家屋・浜辺に対して縦に伸びる灯台・人間という構図が正方形サイズの画面内で奇妙なまでに縮尺感覚を失わせ、モノクロも相まって、時間間隔すら危うくなる浮遊感すら与えてくれる。

後者は、灯台の心臓部とも言える光の部分にある。下っ端のウィンスローは最上階に入ることを許されておらず、闇に強烈な光を投げ込む灯台を見上げる高低差が、そのまま二人の優位関係に転写され、"光"を"見上げる"という行為がどん底にいるウィンスローそのものと重なってくる。やがて、それは灯台の最上階に行くという願望にシフトしていき、酒を呑んで叫びあう二人の男たちが互いに不毛なマウントを取り合うサイコなコメディに変貌していく。そう考えるとおっさん二人の『仮面 / ペルソナ』のようにも見えてくる。ウィンスローは実はトマス・ハワードという名前であり、この島にいるのは二人のトマスということになる。対に置かれた二人のパーソナリティは、衝突と融和を繰り返し、互いを破滅に導いている。地獄に堕ちた『仮面 / ペルソナ』だ。

また、二人の関係は作中にも登場するギリシャ神話的な側面も持ち合わせている。灯台の光を操れる→船を操る→海を支配する老人ウェイクは、海の神であるプロテウス或いはポセイドンを示しており、それに憧れ火を奪おうとするのは、人間に火をもたらしたプロメテウスと捉えることも出来るだろう。彼は火を盗んだことでゼウスの怒りを買い、毎日肝臓を鷲に食われる拷問に掛けられた(彼は不死なので毎日肝臓が再生する)。実際に火を間近で見たウィンスローは、翼をもがれたイカロスのように落下し、ラストでカモメに食われているという衝撃的なエンディングを迎える。プロメテウス伝説を如実に連想させるラストじゃないか。ちなみに、人魚もセイレーンとしてギリシャ神話に登場する。

前作『ウィッチ』との関連も勿論ある。森と魔女、そしてウサギとヤギが『ウィッチ』を表す恐怖の対象と動物であるならば、本作品は海と嵐、そしてカモメと人魚だろう。森よりも探索に重装備が必要で、それを失ったら死に直結するという恐怖から、船乗りや港湾労働者の間で様々な責任転嫁、見間違い、発狂現象などが発生し、結果的に多くの伝説や幽鬼を生むこととなった。一個体で船を破壊する海坊主やクラーケン(大きな生物や岩との衝突が主か)と比べると、女人禁制の発狂現象と見間違いが相まってヒューマンエラーから死に導かれる人魚伝説というのは少し毛並みが違う。海には囲まれているが陸が舞台である本作品において、前者は恐れるべき相手ではないが、後者は"その歌声によって"ヒューマンエラーを誘発させ、最終的に発狂させるという点で陸においても注意せねばならない存在なのである。彼女の存在は冒頭5分で明かされ、実際に海に出ることなく海への恐怖を提示する。同時に、ウィンスローはおっさん二人の環境で人魚を使った自慰に耽り、人魚の夢を見る。遭遇したら死ぬというのに、人魚を妄想するという実にアンビバレントな感情がそのまま映像に出ている。なんと自慰のシーンでは、恐怖と妄想が入り混じり、殺した相手の首や人魚とのセックスの妄想が重なって、灯台を巨大なペニスに見立てるカットが登場するのだ。あまりに変態的過ぎる。そして遂には浜辺に打ち上げられた本物(なのか幻想なのか)の人魚に遭遇するが、カモメと人魚とウィンスローの咆哮に劇伴が重なるグロテスクなシーンで、一周回って滑稽に見える。

人魚が海に対する狂気と妄想の象徴であるなら、陸と海を繋げるのは片目のカモメだろう。それはウィンスローを度々襲ってくるのだが、信心深いウェイクは"死んだ水夫たちの魂"が宿るカモメは絶対に殺すなと伝える。耳障りな鳴き声を発しながら攻撃してくるカモメたちは不快であると同時に、何をされるか分からない恐怖も孕んでいる。『ウィッチ』のヤギも生活に必要で殺せないという制約があり、かつ次に何をするか分からない不気味さや生身では相手にできない危なさがあった。喚き続け、邪魔し続けるカモメはウェイクを連想させる動物であり、ブチギレたウィンスローは叩き殺すのだが、そこからカメラはヌルヌルと上に移動し、灯台の上の風見鶏が一瞬にして全く別の方向に向いたことを映し出す。『ウィッチ』ではウサギを深追いしたことで森に迷い込んだが、本作品ではカモメを殺したことで不運を呼び込むことになる。

地獄堕ち『仮面 / ペルソナ』、孤島の『ウィッチ』、海と火を巡るギリシャ神話。人間の恐怖と狂気の深淵を魅せるエガースの新作として最高の出来だ。ウィンスローには"光"が必要だった。ただ、それだけだったのに。

・小ネタ(IMDbの小ネタ集、インタビューなどより抜粋)

★スモールズ灯台の悲劇
1801年、トーマス・ハウエルとトーマス・グリフィスの二人はウェールズ沖のスモールズ灯台に派遣された。そんな中、グリフィスが仕事中に亡くなってしまい、殺人を疑われたくないハウエルは、次のシフトが来るまでグリフィスの死体を保存しておくことにした。腐り始めた死体と長い時間を共にしながら、ハウエルは灯台に火を灯し続け、最後には友人ですら彼に気付けないほど変貌していた。これを期に灯台守は二人組から三人組に規則が変わったという。本作品はこの事実に緩く基づいており、また、ハーマン・メルヴィルやロバート・スティーヴンソン、H・P・ラヴクラフト、アルジャーノン・ブラックウッドの小説も参考にしている。

★訛りと台詞
ウィンスローのアクセントはメイン周辺の農民、ウェイクのアクセントは大西洋の漁師のそれを採用している。また、監督エガースはそれぞれの台詞に対して非常に厳密な指示を出していたらしい。

★灯台のレンズ
北カリフォルニアのポイント・カブリロには1909年に建てられた灯台がある。そこで使用されているフレネルレンズは建立当時から使用されているらしく、監督と撮影監督Jarin Blaschkeが灯台の調査中に偶然発見した。そのフレネルレンズを映画のために作り直したらしい。

★企画の始まり
監督ロバート・エガースにはマックスという兄がいて、彼が2012年に灯台を舞台にしたホラー映画の脚本を思いついたのは本作品の始まりだった。その後、『ウィッチ』の資金集めが難航したため一時的に企画は頓挫していたが、無事に撮影と公開したのを機に執筆を再開、新たに知ったスモールズ灯台事件を基に原稿を書き直したらしい。そして、『ウィッチ』が大好きだったロバート・パティンソン、ウィレム・デフォーの二人を念頭に置きつつ、兄弟で脚本を完成させた。

★二人の主演俳優
劇中の悪天候は全て本物であり、パティンソンとデフォーは撮影以外では話せないほど消耗していた。また、撮影中にパティンソンとクルーがホテルに泊まっているときにデフォーは地元の漁師小屋で暮らし、逆に撮影外ではデフォーとクルーが一緒に過ごしているときにパティンソンは一人で過ごしていた。何ヶ月か後になって、二人は漸く会話を交わし、仲良くなったらしい。

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・作品データ

原題:The Lighthouse
上映時間:109分
監督:Robert Eggers
公開:2019年10月18日(アメリカ)

・評価:100点

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