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デヴィッド・フライン『恋人はアンバー』他人のことじゃない、あなた自身のことだ

1995年、アイルランドの田舎町。セックスのことしか考えていないような同級生に囲まれながら、女性に話しかけようとしないエディは"ホモ"と呼ばれてからかわれていた。一方、カップルに行為の場所を提供することで小金を稼ぐアンバーも"レズビアン"などと呼ばれて蔑まれ、同級生たちからは嫌煙されていた。双方指摘だけは当たっているのだが、時代的にも場所的にも同性愛をオープンにしてこれまでと同様の生活が送れるはずもなく、隠す或いは認められずにいたのだ。それでも、無用な憶測をしてくる煩わしい人々に相手して疲弊するくらいなら、と二人は偽装カップルとして交際を始めることにする。"Dating Amber"はエディ目線で"アンバーとデートすること"を指し示すと同時に、アンバー目線で"デートするアンバー"をも指し示しており、二人の目線で当時の生きにくさを表現している。こうして二人の関係はそれぞれが卒業するまでのカモフラージュとして始まり、当初は上手く行っていたのだが、二人でダブリンへと足を伸ばしたとき、隠す以外の可能性を知ることになる。

エディの父親は近くにある陸軍訓練所の教官として"軟弱な男は男じゃない"みたいな考えの持ち主であり、息子であるエディにはその思想と共に軍人である自分のキャリアを追って欲しいと考えている。この父親も自身の両親から愛されずに育ち、子供や妻への接し方が分からず仕事での接し方に変換しているだけという人間臭い面があり、それについて夫婦仲は少し悪い方に傾いていて(アイルランドでは1995年に離婚が合法化された)、エディの同性愛について決して理解できないだろうという部分はあまり見せない。それでも、これまでの経験から、エディは自分のことを伝えても理解されず、独りになることを恐れており、自身の同性愛を受け入れることを先送りにし、父の愛という名のもとで軍隊に入ろうとするなど、独力で様々な問題を解決しようとする。それに対して、父親を恐らく自殺で亡くし、一人になった母親に心配を掛けないよう独りで居続けたアンバーは、悩んだ末に自身の同性愛を認め、隠し続けていた過去から抜け出す覚悟を固め始める。

惜しむらくは、アンバーの物語よりもエディの物語に比重が置かれすぎていることだろうか。ただ、それほどまでに閉鎖的な地域で"本当の自分"をさらけ出すことが困難であることを象徴しているのは理解できる。しかし、悩み続けるエディを見てしまうと、同じくらい悩んでいるはずのアンバーの物語が相対的に軽くなってしまっているようでモヤモヤする。背景まで朧気に明かされるとなるとエディに対するMPDGのような立ち位置にも見えてきてしまうのが勿体ない。

それでも、それぞれがありのままの自分自身を認めた上で、それぞれの進む道を自ら決めた本作品の帰結は美しい。未来はこれから広がっていくのだ。

追記
ちなみに、"~ing + (人名)"という題名の大枠ロマコメ映画は、英批評家ティム・ロビーに"gerund whimsy"と名付けられているらしい。

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・作品データ

原題:Dating Ambe
上映時間:92分
監督:David Freyne
製作:2020年(アイルランド)

・評価:80点

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