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2023年映画感想No.27:映画ネメシス 黄金螺旋の謎 ※ネタバレあり

序盤から粗が目立つ構成

TOHOシネマズ川崎にて鑑賞。
ドラマは4話までしか観てなかったのでこの映画単体では結構わからないディテールがあったのだけど、単純にそれ以前の構成や演出の問題が多い物語だと思う。

まず冒頭、主人公たちの探偵事務所ネメシスに舞い込む犬探しの案件と広瀬すずが解決する空き巣事件がそれぞれキャラクターや要素の紹介のためにとってつけた場面にしかなっていないのが語り口として上手くない。
犬誘拐事件は笹野高史が出てきて報酬1000万と明らかに不自然な話なのになんの裏もなくてびっくりしてしまうのだけど、後で広瀬すずが部屋を借りた時の回想に触れる場面では「家賃1年無料」にちゃんと不自然という指摘がされていてこの映画内のリアリティラインとしてもブレている。
空き巣事件の方も情報量の割に広瀬すずの推理能力を見せる以外本筋に関わる描写が無い。直前に真木よう子が取材している炊き出しの場面と絡めたりするロジックも無いし、タイムリープもののドッグイヤー描写のように後に広瀬すずが振り返る風景を事前に観客にも共有しておくことでミステリー的に面白くするような見せ方の工夫もなく、ただただ「広瀬すずが面白げなポーズをして行き当たりばったりな推理する」というドラマ版ですでに観た演出をそのまま提示するだけの見せ場になっている。
たとえば一見関係のないこれらの事件が黒幕「窓」の計画の内だったとすれば登場人物や物語要素を説明から本筋にスムーズに繋がる構成になるし、炊き出しが近くでやっていたからホームレス姿のカモフラージュなのだとロジックを繋げれば後々真木よう子があの場所にいたことを見せておく真の意図が伏線としてしっかり隠れると思う。

日常が壊れる展開の落差の弱さ

続く主人公の大切な人たちが死んでいくショック展開に関しても、こういう日常が壊れていく感覚をショッキングに演出するならば普通は一通り主人公たちと仲良くしている描写を入れておくべきだと思う。
ドラマで関係性を把握している人向けの演出なのかもしれないけれど、せっかく中村蒼や勝地涼、南野陽子といった「死ななそうな格のある役者」が演じているのだからちゃんと事前に「この人は大きな役割のキャラですよ」とミスリードしておくからこそ「まさかこの人が死んじゃうなんて!」というショックが際立つのではないかと感じる。
「ドラマ見てたらわかるでしょ」ではなく一本の映画として質を高める構成をするべきだしできたと思う。急にタカとユージが「ブレーキが!ブレーキが!」と言いながら登場してきた時は「おいおい」と思ってしまった。

マクガフィンの扱いの一貫性のなさ

映画の中でマクガフィンとなるゲノム編集ベビーの研究データの扱いもブレブレで、結果全員何がしたいのかよくわからない話になっているように思う。
まずゲノム編集ベビーである広瀬すずがいてなおゲノム編集ベビーがなんなのかよくわからないという説明不足があり、何ができてどうすごいなのかもよくわからないし、だからこそどう有益でどう利権が絡むのかもよくわからない。それがよくわからないとそれを利用しようとする悪役の存在も全部ぼんやりしてしまうので、アンナを狙っている二組の悪役たちがそれぞれ何がしたい人たちなのかが無くペラペラで図式的な配置になってしまっている。
ただでさえ悪役に当たる彼ら彼女らはそれを使って何か具体的なことができる当事者ではないので、結局彼らの主張に具体性がないから彼らの手に渡ったら何がヤバいのか、という緊張感がない。
さらにいうと真木よう子も佐藤浩一もデータそのものではなく広瀬すずごと懐柔しようとするのでデータではなく広瀬すずの存在が大事なのかなと思ったりもしたのだけど、特にその必然が説明される場面もないので単純にもっとデータ奪うことに特化した作戦を立てればいいのにと思ってしまった。(追記:ここに関してはドラマ最終盤の展開がまさに広瀬すずの存在そのものを巡る攻防らしく、それによって広瀬すずの存在もマクガフィンであるという説明は省略されているらしい。)
マクガフィンとしての扱いに一貫性がないのも物語を飲み込みにくくしている。
広瀬すずが取られたらヤバいとされるデータを無防備に首からぶら下げているのはデータの片割れが別のところにあるからなのだろうけど、最後まで観るとまさかの櫻井翔が管理しているというなんの捻りもない隠し方をしていてバカなのだろうかと思った。これで大丈夫と思う広瀬すずはバカだし、その可能性を考えない悪役たちもバカ。こういう部分もデータが重要なのかよくわからない印象を強めている一因だと思う。

動機が無い悪役の肩透かし感

序盤、佐藤浩一がめちゃめちゃ怖い存在感で広瀬すずを追い詰めていく展開はとても良かったし、そんな彼が突然の襲撃で死んでしまうところも意外な展開でハッとしたのだけど、佐藤浩一が非当事者になってしまったことで設定的にも展開的にも全てが肩透かしになってしまったのも残念だった。「超富裕層の代理人」という頭の悪い設定もどうかと思うし、トリックが大掛かりな割にめちゃめちゃ非合理的で何がしたいのだろうと思った。
死体が消えるという結構重要そうな描写が起きている出来事が夢なのか現実なのかよくわからないというグラグラする感覚を強めるためだけに用いられて回収されないのも酷いし、広瀬すずを追い詰めるための仕掛けに自分たちの本拠地がバレる情報が内包されているというのも意味がわからない。
佐藤浩一が死んでも彼に雇われた殺し屋が主人公の身近な人を殺し続ける展開はもはやゲノム編集ベビー関係ないのだけど、まず話運びとして「佐藤浩一が死んだ」ということを殺し屋側の視点からはっきりさせる描写を入れる必然性が全く無いし(絶対に死んだか死んでないかよくわからないバランスの方が物語全体が不穏になる)、わざわざ魔裟斗をキャスティングしながらショボいマーシャルアーツで広瀬すずといい勝負になるのもガッカリだった。あれなら現実の魔裟斗の方が数百倍強い。

ご都合主義な殺し屋たちの描写

殺し屋のくせに殺し方がことこどくおざなりなのもリアリティが弱くて冷めた。終盤にハッカーの奥平大兼が暗殺されそうになるのを逆手に取る展開があるのだけど、普通ああいう場合は敵に成功したと思わせて「実は」と裏をかくから有効なのであって、暗殺者がすぐそこにいるのにあっという間に全部暴くのも、なぜかそれに全く気づかれずおめおめと本部まで尾行される暗殺者も全員何がしたいのかよくわからなかった。
あと暗殺者がなぜか即死しない腹を刺すのは百歩譲るとして、『AI崩壊』でもあったけど最後に一言二言呟いてガクッと死ぬ演出は本当に陳腐だからやめた方がいいと思う。

「現実には不可能」という部分をテクノロジーや超人性で解消する安易さ

入江監督作品でずっと気になっている部分なのだけど、この映画でもリアリティをご都合主義で不問にしすぎだと思う。
冒頭の探偵事務所への依頼がいかにも説明のための説明という処理なのも、唐突に登場する都合の良い電波受信機も、広瀬すずが舞台となる家に住むことになるロジックの適当さも、護送中の車列の先頭車がトラックに撥ねられて追いかけるのが最後尾にいた一般車両の主人公たちだけなのも、一事が万事がこの調子。
観ている観客が「じゃあ仕方ないな」と登場人物の行動に納得したり、「なるほどあの時のあれがここで活きるのか」と意外性を感じたりする工夫がほとんどない。観客が「どうせ意味あるんだろうな」と気づいている描写でも「ロジックがあります」と説明できればそれが「良い演出」、「効果的な語り口」だと思っているフシがある。
その極めつけがドラマ版からの根本的な問題としてある「万能アイテム」や「なんでもできるハッカー」という便利すぎる設定だと思う。今回の物語もキモになる仕掛けに「自在に夢を見させる装置」があり、それが肝心なところで都合良く有効活用される。入江監督は「現実でも理論上可能」という説明をよくされるのだけど、「理論上可能」であることと観客が感じるリアルは違うと思うし、単純に大きな嘘と大きな嘘をかけ合わせて状況を解決するのはご都合主義でしかない。「現実には不可能である」というリアリティの制約を観客と共有した上で描いて初めてロジックと呼べるのではないかと思う。
物理的にも感情的にも「現実には出来ないこと」をどう描き、成立させるのかが「映画」なのでは思うのだけど、それを「簡単に解決できる架空の道具(架空の天才)」で安易に解消するのってどうなのか?と思ってしまうところがある。

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