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2023年映画感想No.34:ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい ※ネタバレあり

アイデンティティと向き合う季節としての大学生

ホワイトシネクイントにて鑑賞。
主人公たちが自分自身を発見していく入り口の季節として大学生という期間が描かれている作品なのだけど、僕自身もそれまで漫然と形成されていた自分自身について初めて考え、アイデンティティの選択を意識したのが大学の時分だったことを観ながら思い出していた。
自分とは何者なのか、という問いに対して大学の4年間で何かがはっきりと確定したわけではなかったけれど、今に至るまで続いているその問いが始まったのは確かにあの頃だったし、今思えばそういう経験や葛藤をするために大学に入ったのかもしれない。

主人公七森が抱えている男性的なる価値観の抑圧

冒頭、細田佳央太演じる主人公七森が同級生の女の子をフる場面から彼の感じている一般的なジェンダーロールへの苦悩が見える。七森は社会の定義する男性的なる価値観に属せない自身のアイデンティティの在り方に苦しんでおり、その“普通”と異なる自我を象徴するものとして本作の重要なモチーフであるぬいぐるみとの出会いが訪れるのが上手い。
幼児が落としたぬいぐるみを拾おうとした彼の優しさが同級生の女の子を物理的に傷つけてしまうのも彼自身が感じている様々なコンプレックスや苦しみに繋がる象徴的な出来事として感じられる。一般的な恋愛観を持つ同級生は日向の方に歩いて行き、上手く説明できず傷つく七森は日陰の水たまりに落ちたぬいぐるみを拾うという場面の見せ方もキャラクターを暗喩的に表現していて映画的な奥行きがある。
またファーストシーンからすでに「ぬいぐるみを洗う」というアクションによって七森の内省が描かれており、そのぬいぐるみとの向き合い方からすでに物語が始まっている。

世界の他者の存在を見つめる物語

おそらくかつての僕だったら(特に主人公と同じ年頃の自分を思い出すと)ぬいぐるみに話しかけるという行為に対して自分の価値観でジャッジし揶揄したり否定的に表現してしまっていただろうと思う。僕は映画を観ることで人それぞれが抱える苦悩の固有性やそれを認めることの多様性について内面化できてきたと思っているし、この映画もまた観る人に「自分と違う存在」に目を向けさせ、価値観を深めるきっかけになる内容だと感じた。この映画内でも七森の抱える切実な苦しみに対して無神経な言葉をかける同級生が出てくるけれど、この映画自体が「自分と違うことに想像力を持てるのか」というリトマス試験紙的な作品になっていると思う。
ありのままでも自明な社会を享受できる人の中にはこの映画に出てくる人たちを「よくわからない」と思う人もいるかもしれないけれど、自分たちの見える世界の外側にいる人々に対して想像する入り口になる意味でも本作の物語は素晴らしい。僕も登場人物たちのぬいぐるみに話す行為同様に自分の秩序を保つために持っている習慣があるし、そうやって自分の中の混乱やままならなさに切実に対処しようとしてきた。映画内の展開も孤独に悩み続ける人々が話すことでそれを共有し、その繋がりに救われていくのだけど、そこで希望を示すこの物語自体が「人と違う」という孤独に対して一人ではないと語りかけているように思う。

繊細だからこその真摯な痛みと世渡りのための諦観

中盤、「男らしさ」の抑圧に苦しむ七森が男らしくあるために新谷ゆづみ演じる同級生の白城に告白するのだけど、直前の部員たちの恋愛話の流れから七森が"普通"に迎合するために無理して恋愛しようとしているのが伝わってきて誰も幸せにならない予感がしてしまう。
白城はぬいぐるみサークルの中でもずば抜けて社交性がある人物なのだけど、その実は社会という大きな概念に対して抗うことを諦めており、マジョリティの形作る価値観に従うことで社会に順応しながら自身の犠牲を割り切っている。繊細だからこそ世界の不条理に真っ当に傷つく七森や駒井蓮演じる麦戸と鈍感を装うことで不条理な世界で自身を生きやすいようにしている白城は鏡合わせに同じ社会の歪みと対峙しているのだけど、その向き合い方の違いでお互い傷ついてしまうのが苦しい。そうやってある種の実験的に始まった交際は結局思い描いたものではなかったというわかりきっていた結論が出て終わってしまうのだけど、お互いに恋愛的失敗も含めてその関係を初めての経験として成長に繋げているのが彼らの繊細さや優しさを肯定しているようでホッとした。
誰かと関係することで時に傷ついたり、相手を傷つけてしまったりすることもあるけれど、なぜそうなってしまったのか、どうすればそうならなかったのかと真摯に向き合うことで人は成長できるし人との関わり方をアップデートすることができる。フラれた側の七森が白城に謝るのは思いやりに溢れていて素晴らしいし、そうやって自分を責めてしまう七森の痛みに白城も気がつけるようになる。
学生生活は社会に出る前にそういう人との関わり方や社会性を学ぶための場所でもあると思うし、失敗から成長できる彼らの人間性はとても素晴らしいと思う。

ぬいぐるみにしゃべるということ

ぬいぐるみサークルの他の部員たちもみんな社会に対してままならなさや抑圧を抱えている人物たちで、ぬいぐるみと話すことでその痛みや葛藤に対処しようとしている。ぬいぐるみサークル自体が「そういう彼ら」だから関われる社会として存在し、その外側にある社会に生きづらさを抱えている人の居場所によって社会の根本的な枠組みがアップデートされていく感じが良かった。
ぬいぐるみと話すことが内省的なセラピーだからこそ常にその対話は密室で展開しており、そのベクトルが他者へのコミュニケーションに向かうと壁のない空間で展開するような場面設計も丁寧に感じられる。そう考えると交際してからの七森と白城は常に室内で会話しているのも彼らの交際の行く末を暗示しているようで面白い。
一方で、他者と関わることを絶対の正解と結論づけるのではなくどうやって他者と関わっていけばいいのかの葛藤を真摯に見つめる物語だと思う。他者と関わることによるネガティブな可能性を考えてしまうことで七森や麦戸は劇中で孤立を選んでしまうのだけど、そうやって一人で傷ついてしまう繊細さの先にも他者と関われるんだということを希望として描いてみせる。
また、社会に対して諦観を抱える白城は一方でそういう社会に傷ついている七森たちのような人に寄り添う優しさも持っている人物であり(だからこそぬいぐるみサークルにいると思う)、彼女のように社会の抑圧的な側面まで正しく理解している人物がラストのセリフのように繊細さを肯定する考え方を持つことで社会的価値観によって加害と被害に分断されてしまう個人が助け合えるようになると思う。ラストの白城のモノローグはぬいぐるみにしゃべることの切実さを優しく見つめながら主人公たちとは違う、つまりぬいぐるみにしゃべらない人たちに投げかけられる言葉にもなっている。
きっとこの映画を観て救われる人はたくさんいると思うし、同時に優しい人が傷つく社会の在り方を問い直すきっかけとしても素晴らしい目線の物語だと思った。優しいことは弱いことではないし、他者を想像して傷つく繊細さは素晴らしいことだと改めて肯定するとても優しい作品だった。

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