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2023年映画感想No.86:水の中で(原題『In Water』) ※ネタバレあり

「ピントを合わせようとする」ことについての映画体験

有楽町朝日ホールにて鑑賞。東京フィルメックス2023特別招待作品。
意外とピンボケしていないファーストシーン、続く場面もパキッとピントの合った食事シーンと全編ピンボケと聞いてたのに割と普通の撮影で映画が始まることに「あれ?」と思ったのだけど、それ以降はなにも知らないで観たら映写事故だと思うレベルのピンボケ撮影だった。「ピンボケは意図的ですよ」という目配せとして導入部的な演出になっていることもあるだろうし、もう一つは冒頭シーンでボケた絵の奥にいる人物に観客の興味を向かせることで、それが一度だけ見えることによってキャラクターをインストールする手続きになっているようにも思う。
ピンボケの向こう側にいる登場人物たちに対して「こういう人たち」という最小限の残像を重ねて見続けた感じがしたし、全編ピンボケと聞いていなければ再びピントが合う瞬間を待つような見方になったかもしれない。
以降の物語では完全にピンボケの向こうに人物がいることで「想像するしかない」「想像しなければいけない」ことを内包した映画になっているのだけど、だからこそ見ながら心の中でピントを合わせようとしていた気がするし、それが結局曖昧であり続けるところまでなんとなくいつものホン・サンス映画に通じる本質も感じる作品だった。

曖昧であることの豊かさ

ホン・サンス監督は最近観た『小説家の映画』でも感じられた要素として「曖昧になることで豊かになるもの」を描き出そうとしているように思う。本作では会話や関係性がピンボケのショットで映されることで細やかなニュアンスが見えないのだけど、だからこそ観ているこちら側は表面的な会話の奥にあるそれぞれの人物がその時々で見つめている感情についてより近づこうとする感覚がある。
ホン・サンス映画における会話は話している内容そのもの以上に話すことがそれぞれの抱えているものにどのように影響するのかを見つめることが面白いと思うのだけど、表情やリアクションがピンボケで見えなくなることで会話の奥にあるニュアンス拾うことができない。一方で、だからこそこちらは見えないものの向こう側に何が起きているのかを見ようとするし、それはそのまま目には見えない人の内面や関係性について想像することでもある。
意図が明示されないカットやシーンも多いホン・サンスの映画同様に、彼らの見ているものとこちらが受け取ったものが一致するかどうかという正解はいくら頑張っても出すことはできないのだけど、だからこそ曖昧であり続ける自分と他者の狭間の関係性をこそ豊かな物語として提示するようなホン・サンスの眼差しに親密さを覚える。一致しているかもしれないし、一致していないかもしれない。そういった答えを出さない、答えを出すことが重要ではない時間を見つめる彼の映画は、世界の淡くてありふれた当たり前を豊かに捉え直しているように思える。

ぼんやりと何かを共有すること

『小説家の映画』同様に本作も「自分が描くべき物語を探す主人公」という物語未満の視点を巡る話であり、話すこと、動くこと、誰かと出会うことでその停滞した時間からの柔らかな前進がある。主人公が何を探しているのか自体がとても曖昧だし、そんな彼を含めて登場人物たちが見つめる世界もピンボケの撮影で曖昧に捉えられる。
序盤に路地の花を見つける場面で彼らが綺麗という黄色い花は、ピンボケに紛れていて映画の観客には見えない。そうやって常に登場人物たちと観客の見ているものには絶対的な断絶があるのだけど、それは現実における他者との前提そのもののようでもある。
僕はホン・サンスの映画は「完璧にわかりあう」ことではなく「曖昧でいい」という関係を描いていることがとても好ましく感じる。人が何を見て、何を感じて、何を物語とするのかはどこまでいっても完璧に共有することはできないけれど、想像することでぼんやりとなら重なることができるのかもしれない。ホン・サンスの「映画」はそういう淡い可能性を投げかけるようであり、この映画も主人公が物語を見つけ、形にするまでを描いているからこそ、その出来事を追っている観客もまた目に見えない、形にされない「主人公が見ている物語」にぼんやりと並走し、時々分かったような気持ちになる瞬間がある。
とはいえそこには主人公が本当には何を見てどう考えているのかはわからないのだけど、だからこそホン・サンスは物語らしい物語がないところに物語を見つけ出そうとする人物を通じて、有るのか無いのかよくわからない「物語」をぼんやりと共有する体験を描き出そうとしているのかなあ、などと思った。

運命が脱臼するような他者との出会い

ホン・サンスの映画にしては珍しく主要登場人物の関係性が割と出来上がった状態から始まる作品で、いつも以上にシンプルな設定のミニマルな内容だと思う。撮影的に複雑な心の機微が描きにくい作品ではあるのでいつもより場面ごとの情報量を減らしているのかなと思った。
それによって変なタイミングで変な人と会って変な方向に話が進んでいくというホン・サンス映画お決まりの面白い偶然みたいなものも展開的に少なくなってしまってはいるのだけど、一番重要なところにはしっかりとそういう奇妙で不確定な出会いが関わってくる。やっぱりホン・サンス映画で主人公が知らない人と絡むとちゃんと運命が脱臼した感じがするし、そういう場面にちゃんと「物語の予感」を託しているのも素敵だなと思う。

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