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2023年映画感想No.32:生きる LIVING(原題『Living』) ※ネタバレあり

労働に個性を殺される人々

TOHOシネマズ渋谷にて鑑賞。
リメイク元の黒澤明監督作『生きる』は随分前にソフトで観たきりで映画的記憶がこれ以上なくボンヤリしているので本作との差異や演出的違いについて言及するのは難しいのだけれど、だからこそ『生きる』という作品の大きなテーマだけ意識しながら一本の映画としての良いところを観ることができたように思う。

1950年台のロンドンの街並みのインサートから労働の無機質さを示すような通勤電車の場面からグッと引き込まれる。コントラストの効いた「黒」が画面の多くを占め、個性を剥ぎ取られた人たちを象徴するように俯瞰や足元、顔に焦点の合わないショットが人々を映し取るのが映像的な演出として印象に残る。時代や国が違う設定の物語でも通勤電車に忙殺させているのが日本人的には面白いなと思うし、共感できてしまうのが辛いところでもある。
そこにピカピカの若者が現れて会社の先輩たちに合流するのだけど、「なるほどこれは主人公の過去のパートでこの青年が後々ビル・ナイになる人物なのか」と思って観ていると、ビル・ナイ演じるMr.ウィリアムズが合流する小さな予想の裏切りがある構成も面白い。ここで観客がミスリードされる「彼が後のMr.ウィリアムズなのか」という感覚はラストでしっかり回収される要素でもあり、全体の構成的にも意味のある見せ方になっている。
同僚と共に行動し「笑いや冗談は無し」というルールを確認されるなど通勤はすでに勤務の一部であり、機械的であることを強いられる環境であるということが徹底して描かれている。続く職場の場面でも書類の山が人と人の関係を分断し、一人一人を圧迫するように映し出される。書類の山を減らさないように「何かをしているフリ」をすることを最初に教わり、右から左に受け流すことが役所の仕事であることを見せつけられる展開からも、システムの一部として何も生み出さない流れを潤滑に回し続けることだけがこの場所に求められる労働なのだということをスマートに示す場面になっている。ここでも役所で各部署をたらい回しにされるという日本人なら他人事とは思えない描写があって複雑な共感を覚える。

家族に横たわる分断と失った人生の空虚さ

告知を受けたウィリアムズが自宅の真っ暗な部屋で息子カップルの帰宅に鉢合わせる場面も面白かった。彼だけが知る閉じた心の内が暗い部屋に象徴されているようであり、人物配置の構図から世代間の分断も示されている。彼はその部屋の中で自分の人生が幸福だった頃の温かな妻や子供の記憶に思いを巡らせているのだけど、意外と「家族」が主人公が再生の主題になっていかないのも物語を複雑にしている。
自身の状態にショックを受けたウィリアムズは衝動的に会社を休んでリゾート地で売れない劇作家と今までやったことない夜遊びとかしてみるのだけど、明らかにそういうタイプじゃない重病人のウィリアムズがヘロヘロになりながら酒場を連れ回されているのが心配になるほど不憫でちょっと笑ってしまった。
色々やったけれど満たされない空虚さが夜の暗闇で顔を覗かせる瞬間の切れ味鋭い演出や、唯一自分が何者かを取り戻したかのように歌う場面など説明せず彼の人生が立ち上がるような瞬間に目を奪われる。

解決の不可能性を残す死の描き方

上映時間の割にウィリアムズ氏がフラフラしている時間が思いのほか長い上に結構何を思うか想像させる描き方になっていて、中々スパッと直接的に動機に繋がるような瞬間が現れないのも個人的には面白く見た。死を前にした人物の葛藤や、失われてきた可能性について安易に描き切ろうとしないのはその人に対して誠実な眼差しなのではないかと思う。
息子に対して打ち明けるかどうかも悩みながらフラフラしたまんま死んでしまうし、それに対して主体性がなく恋人と父親との間でフラフラしている息子にも父への接し方についての後悔が残るのだけど、「死」によって失われるものが強すぎるからこそ身近な大切な人物に対しても後悔が避け難く残ってしまうということを描くのはリアルに感じたし、それを物語が見つめていることで観客はフィクションからより強いメッセージを受け取ることができるとも思う。単純に似たもの親子なので、多分あの息子くんもそのうち「俺の人生って...」と悩む日が来るのだろうと思う。

マーガレットとの冗長な関係性

部下のマーガレットと会話することで「今いる環境でベストを尽くす」という人生のバイタリティを取り戻すことになるのだけど、ここも奥ゆかしすぎるくらい結論を先延ばしにして食事に誘ったりするのでまあ与える印象は良くないなという感じだった。
直前に「昼間から若い女の子と食事をしていて年甲斐もなくはしたない」的な噂を立てられているのだけど、別にそれは誤解だと見ている観客もわかっているのになんであえてウィリアムズに見え透いたミスリードに付き合うような行動をさせるのだろうかとは思った。このおじいさんは何がしたいのかなと思うし、結果若者に合わせて支離滅裂な行動をすることに納得のいく結論も無く、ただただ本当に下心あるんじゃないかと変な奥行きを生んでいるだけのように感じた。

社会に信念や情熱が忙殺される描写の鋭さ

仕事への情熱を取り戻したウィリアムズを一瞬だけ映して、一気に葬式の場面に飛ぶ構成も意外性があってハッとする。それまでは社会と接続し「会社の人間になる場所」だった電車の車内で部下たちが組織の建前からウィリアムズの信念に気づいていく会話が感動的だった。これまでと同じように見て見ぬふりをしようとしていた人が真に正しい行いと向き合う過程が一人一人の良心の連鎖によって立ち上がっていく。
だからこそ一度は伝わったウィリアムズの情熱が社会の流れの中でたちまち風化していく描写の落差もより際立つようになっている。リメイク元は葬式の場面で彼の生きた証が元より誰にも伝わっていないことを皮肉に描き出していたけれど、こちらのバージョンでは結局社会で生きていく中で信念や情熱は殺されていくのだというまた違う鋭さが感じられる描写になっていた。組織という大きな社会の中で働く小さな個人の弱さや空虚さ、それが作り出す社会の酷薄な在り方が同じく小さな個人としての自分には理解できてしまうと思った。

小さな良心の継承

その先でウィリアムズの手紙をピーターが読む場面があって、ウィリアムズ自身も一人の人生で達成できることは大きく無いと自己言及しているのが切なくも素晴らしいと思う。自分にできることなんてたかが知れているし、ほとんどは大きな偉業を達成できない人生ばかりかもしれないけれど、それでも達成感や自己実現といった生きる意味を諦めてはいけない、という小さな継承が描かれていて良かった。
それを読んだピーターがブランコのウィリアムズに声をかけなかったことを後悔する警官に言葉をかけてあげるのも今できる小さな良心をそっと継承するようでグッとくるラストだった。

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