この世界に子どもを産み出そうと思えない話。

学生時代、結婚することに何の疑問も抱いていなかった。
むしろ、あの家から逃れるにはそれしかないと思っていた。
この苗字を捨てたくて仕方がなかった。
「結婚」は私を救ってくれる無敵の存在に思えた。

あれから五年が経ち、自分の力だけで生活できるようになって、自分をある程度自分で救えるようになった。そうしたら結婚に、そして子どもを作ることに否定的な自分がいることに気がついた。

今までは、あの家から逃れるための方法=結婚だと思っていた。否、思わされていた。
父から認められて家を出るには、結婚という選択肢以外なかったからだ。
「お前はどうせ結婚できない」「お前は幸せになれない」「お前なんか」
そんな言葉を毎日言われているうちに、「結婚しなきゃ」と思わされていった。
でも心のどこかでそんな思考をする自分に疲れていた。疲れ果てていた。
だから大学を卒業したら、遠くの県に行くことを決めた。

この話をすると、一部の知人に「家から出たいだけなら県内でよかったじゃん」「なんでわざわざ遠くまでいったの?」「家族なんだからそのうち助け合えるよ」といった旨のクソバイスをされる。本当に余計なお世話だし、あぁ私の苦しみを理解する気がまるでないんだなと勝手にがっかりしたりもするが、おそらくこういう人たちが何の疑問もなく結婚して子どもを産んで歳を重ねていくのだろう。
とても幸せで、傲慢な人たち。彼らは何も悪くない。けれど、私も何も悪くない。ただ、決定的に何かが違うのだ。

この二十六年間、楽しいこともあったけどそれよりしんどいことのほうが遥かに多かった。私以外の感受性の強い誰かが、同じ境遇に置かれていたら自殺していても何ら不思議はないと思う。私はたまたま、世の中を楽しめるよう強さを持ち合わせていたけれど、そういう強さを持った子どもが産まれるとは限らない。


血がつながっていようがいまいが、親と子どもは別の人間だ。相性の良し悪しもある。
相性の悪い人間と同じ屋根の下で二十数年過ごすのは、控えめにいって地獄だ。
子どもは放っておいても育つとか、親も子どもと一緒に成長するんだとか言うけれど、親の未熟さで傷つくのはいつだって自分を救う術のない子どもだと、身に染みて知っている。

子どもを作るのは究極のエゴだ。
不幸を産み出す可能性を考えた時に、そんな責任を終えるほど私は人間として成熟していないと思ってしまう。
だから、どうしても「子どもを産みたい」とは思えないのだ。

子どもを産みたいと思えないことと、私を救ってくれるという結婚への幻想が一種の呪いだったと気づいてしまったことで、本格的に「結婚する意義」が分からなくなってしまった。私自身がASでHSS型HSP気質を持っていることや、交際相手にASP気質とHSP気質があることも関係していると思う。

一緒に暮らしたいとは思う。けれど部屋は別でいいし毎日一緒に眠りたいとも思えない。
誰かと暮らすことは素敵だと思うし、憧れもあるけれどそれは結婚というよりもルームシェアに近いような感覚で、家族になる、というのに真っ先に嫌悪を抱いてしまう。

二十数年かけ続けられた呪いはまだまだ消えそうにない。
いつか、呪いが解けたら私はどうなるだろうか?
そんなことを考えながら、淡々と日々を生きている。

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