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MOTコレクション「歩く、赴く、移動する 1923→2020」:1 /東京都現代美術館

 東京都現代美術館の収蔵品展である。
  「歩く/赴く/移動する」という、軽快感ありげなテーマ設定となっているが、冒頭にずらっと並べられるのは、関東大震災の被災現場を描きとめたスケッチ15点。洋画家・鹿子木孟郎(かのこぎ・たけしろう)によるものだ。
 存外に重ためだった最初の作品。意表を衝かれた。

鹿子木孟郎《震災スケッチ(待乳山)》(1923年)

 本展は昨年12月より、年をまたいで、昨日3月10日まで開かれていた。すなわち、関東大震災100年の節目の年から、東日本大震災13年めの前日までの時期にあたる。
 ほぼ同じ展示内容が4月6日からも続きはするらしいのだけれど、関東大震災を回顧する展示をこの「境目」の時期に充てたというのは、意義のあることだったと思う。9月1日の当日を境にして、関東大震災や地震の話題は急速にしぼんでいってしまったからだ。
 忘れた頃にやってくるというのならば、忘れないでいるのが、きっとよいはず。

 震災発生当時、鹿子木は自宅のある京都におり、月内には東京入りしてこれらのスケッチを残した。メモに記された地名は、浅草、上野、神田界隈に収まっている。被災直後の惨状を目の当たりにして、画家は目と手を動かしつづけた。
 とはいっても、このスケッチの描きぶりそのものは、あくまで淡々としている。
 克明な記録画というよりは、絵になりうるモチーフに照準を絞って、簡潔な線により描きとめられている印象。3階建ての土蔵がかろうじて立つ《九段下今川小路》、古代ローマの廃墟をみるような《美土代町の角家》、ミニマルな趣すらある《避難民と焼野》などからは、純粋な造形的興味にもとづく描写であろうことがうかがえる。
 このように、悲嘆や悔恨といった情緒的な面がむしろ希薄にみえるのは、鹿子木自身が東京とはなじみが薄かったことが、多少なりとも関係しているのだろう。
 ここには省略こそあれ、誇張はなさそうだ。かえってフラットな目線を感じさせる資料といえよう。

 これら、じつに淡々としたスケッチの数々が積み上げられ、作者の創意によって練り合わせられていくと……以下のような、きわめてドラマティックな大画面のタブローが完成したのであった。

《大正12年9月1日》。寸法は156×204センチ

 たとえば画面右下には、《浅草仲町》に描かれる破損した郵便ポストが採用されていることがわかる。

震災スケッチ(浅草仲町)

 同じ向きの同じポストでも、線画と油彩という違いを差し引いたとしても、雰囲気はずいぶんと異なる。


 ——凸レンズの虚像は、実物と同じような姿に見え、逆に実像は上下左右が逆さまに見えてしまう……こういったことを、中学校の理科の授業で習った。

 東日本大震災から13年が経つあいだに、われわれは、さまざまな報道に触れたり、他人の体験談を共有したりをさんざん繰り返してきた。
 そういったなかで、震災に対して自分が持ち合わせていた生(なま)の記憶や感覚——「実像」が上から塗り重ねられ、別物の「虚像」になり代わってしまってはいないだろうか?
 鹿子木の淡々とした現場スケッチと、ドラマティックに再構成・演出されたタブローとを見較べながら、13年めのきょう、そんなことを考えている。(つづく


木場公園の菜の花



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