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〈歳末スペシャル〉2023年の鑑賞「落ち穂拾い」:1

 暮れも押し迫るなか……久方ぶりの更新です。みなさま、たいへんご無沙汰しております。いかがお過ごしでしょうか。
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 2013年の更新分は、今回で316本め。
 1日に複数回を上げたことはなく、内容の9割がたは当日中に書いていたから、ほぼそのまま316日、年間の86.3%の日数を執筆に注いでいたことになる。1回分は1500字くらいで、2000字を超えることもしばしば。今年も書いた書いた、よく書いた……
 そんななかにあって、現時点で記事化できていない鑑賞体験も少なからずある。
  「書くほどでもない」「書けない」は論外として、「書きたかったけれど、タイミングを逃してしまった」ものが存在するのは、いささか忍びない。
  「今年の汚れ、今年のうちに」というわけで、今回は大掃除とばかりに、お蔵入りしかけていた今年の鑑賞体験について、各200〜400字程度で、矢継ぎ早に振り返ってみるとしたい。

■藤牧義夫の絵巻を歩く /隅田川沿岸(1月2日)

 2023年の初詣は、待乳山聖天だった。持参した大根をお供えし、また別の大根をお下がりでいただく。境内では御神楽が奉納され、近場の浅草寺とは違った適度な賑々しさが心地よかった。
 待乳山を起点に、藤牧義夫《隅田川絵巻》の「白鬚の巻」に描かれた風景を、全図が載った『別冊太陽』を片手に辿った。

 待乳山聖天をゴンドラで下り、今戸橋や山谷堀の跡を確認。義夫の頃にはなかった桜橋を渡って向島へ。禅の古刹・弘福寺、桜餅で有名な長命寺、言問団子。商科大学向島艇庫や銅像堀、大倉別邸の跡地。志゙満ん草餅、子育地蔵尊、白鬚神社、そして白鬚橋がゴール。各所で絵巻と同じアングルから撮影し、画家の歩みや視点を追体験した。
 絵巻とは逆ルートであったものの、画中に描かれたスポット(やその跡地)を、寒空の下で探し出し、みごと歩ききったのであった。三が日も明けぬうちから、ずいぶんとアクティブだったな……

白鬚橋。写真がたくさんあるので、三囲神社を含めていずれ、記事にまとめたい


■大竹伸朗展 /東京国立近代美術館(1月18日)

 大竹伸朗(1955~)さんの、かつてない規模の回顧展。
 会場はうっすらとしたテーマ分けで、制作年は固まっていたり、バラバラであったり。作品解説もなし。それだけに、大きなストーリーラインや枠組みにとらわれすぎずに、作品と向き合うことができたように思う。
 大竹作品の魅力は、あふれる素材感と、常識を突き破って暴走するパッション。図版だけでは絶対に伝わりきらない “大竹ワールド” に耽溺した。
 新聞・雑誌やチラシなどのスクラップで飾りつくした小屋《モンシェリー》。子どもの頃につくった秘密基地や山中で見つけた廃墟が思い出されて、わくわく。

 混沌を極めつつ、混沌では終わらせない——つまり混沌の果てに、なにか、全体としてかえって調和や統一を感じさせるのは、本展のどの作品にもみられる特徴だったと思う。「いったいどうして、こうまで混沌としているのに、醜悪ではないのだろう?」といったことを、展示をまわりながら、始終考えていた。

近美に「宇和島駅」のサインを設置。暗闇での点滅が観たくて夜間開館を狙ったが、観ることなく、うっかりそのまま帰ってしまった……


■衛生のはじまり、明治政府とコレラのたたかい /国立公文書館(1月29日)

 近美のお隣ではあるが、別の日の訪問。
 幕末・明治初期のコレラ大流行と、西洋医学や衛生行政の知見をもとにした明治政府による対抗政策を、公文書によって丹念にひもとく。ある意味でとてもタイムリーな内容であり、来館者も多めだったように思われた。
 小むずかしい公文書を並べつつ、国民に広く門戸を開き、アーカイブの存在意義や認知度を高めたいという施設としての性格・立場を反映してか、この館の展示は毎回わかりやすい。おまけに入場無料で解説充実の冊子がもらえ、会期中無休。常に気に掛けておきたい館のひとつである(次回の「給食」に関する展示も、おもしろそうだ)。

(つづく)


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