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没後50年 福田平八郎:4 /大阪中之島美術館

承前

 《青柿》(下図。1938年  京都市美術館)では、輪郭線にあたる箇所を残し、その内側が彩色されている。「彫塗(ほりぬり)」と呼ばれる彩色技法で、これにより面的な表現が可能となっている。

 葉脈など一部の線は、金で加飾。葉の存在感と典雅さが際立つ。
 《花菖蒲》(1934年  京都国立近代美術館)にも、同じ手法を駆使。

 こういった、色面を強調する区画立った表現から思い出されたのは、古清水の陶器に施された色絵金彩であった。

 平八郎の活動拠点は京都であり、この種のものを目にする機会は、けっして珍しくなかったはずだ。
 一見してモダンな表現と映るけれど、こういった京(みやこ)の工芸がその着想源となった可能性もあろう。

 くっきり、はっきり。カクカクとしてすらいる塗り分けぶり。
 この効果をよく活用しているのが、竹を描いた一連の作品群。

 戦局が厳しさを増すなか、平八郎は京都近辺の竹林を渉猟し、膨大なスケッチを残している。会場のパネルに引用されていた作家自身のことばが、たいへん印象深い。

昔から竹は緑青で描くものときまってるが、三年間見続けて来てるけど私にはまだどうしても竹が緑青に見えない

「初夏の写生」 『国画』2巻9号 昭和17年9月

 平八郎は「竹は必ずしも青くない」ことに、気づいてしまったのだ。
  「竹とは青いもの」という伝統墨守の思考停止ではなく、みずからの足で稼いだ、みずからの目による観察から、平八郎はこのことを導き出した。「写生狂」を自称したこの人らしい素朴な疑問であり、到達点といえよう。

 天地を貫いてまっすぐに伸びる、真横からみた竹の群生。こういった構図やモチーフじたいは、琳派からの影響を感じさせる。東京国立博物館所蔵の尾形光琳《竹梅図屏風》(江戸時代・18世紀  重文)が、まさにドンピシャ。

 平八郎には、水墨でたらしこみを多用した《》(1943年頃  大分県立美術館)、光琳そっくりの梅の枝がカットインする《梅と竹》(1941年頃  個人蔵)といった、光琳《竹梅図》を強く思わせる作例があり、影響関係の証左となる。

 平八郎の描くカラフルな竹は平面的で、装飾性が高い。そういった点をもってして、琳派の近代的な解釈の一例として挙げることもできるだろう。
 だが、宗達・光琳らに追随しようとした後世の作品が陥りがちな、うわべだけをなぞった「琳派風」とは、明らかに異なる次元をみせている。
 それは、制作の根底に、徹底した自然の観察・写生という土台があるからこそだろう。絵から絵をつくらない。自然から、絵をつくっているのだ。

 平八郎の作品を語るとき、「写生」と「装飾性」がいわば2大キーワードとなっている。
 相反するようにも思えるふたつの要素が支え合って、共依存のように渾然一体となっているさまが、この作家が残した作品の最大の見どころではと、竹の絵を観ながら感じたのだった。(つづく


江之浦の竹


 ※平八郎の彫塗は、古清水だけでなく、有線七宝にも類似している。
 なお、平八郎は七宝家・並河靖之の山科別邸でみた鯉を《鯉(恋鯉荘にて)》として作品化している(並河靖之有線七宝記念財団蔵。本展にも出品)。


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