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推し活!展 ―エンパクコレクションからみる推し文化 /早稲田大学演劇博物館

  「推(お)し活」とは、ある対象を深く偏愛し、その魅力に耽溺する者による一連のファン活動、熱烈な愛情を示す行為をいう。
 アイドル界隈から生まれた「個人的なお気に入り、イチオシ」を意味する「推し」という表現に、おそらく「就活」あたりから派生した「〜活」が合わさってできた言葉である。
 わたしはNHK「あさイチ」の特集で初めて知ったが、「推し活」の特集回は毎回非常に反響が大きいそうで、定番化されているほどだ。

 言葉としては新しめの「推し活」。
 けれども、まったく同様の活動はかなり昔からおこなわれてきた。それこそ、江戸時代にも……
 現代の「推し活」のご先祖さまを一挙蔵出しする、早稲田大学演劇博物館ならではのユニークな展示を観に行ってきた。

 最も古い展示資料は、幕末の浮世絵。
 歌舞伎には「ひいき」という文化があり、資産家の旦那衆は役者のパトロンともなった。
 役者絵を求めたのは多くの場合、富裕を問わず、描かれている役者をひいきとする人であったろうし、その意味ではブロマイドやグラビアとなんら変わりがない。役者絵のなかには団扇形の枠に描かれたものもあり、じっさいに団扇に貼りつけて用いられた。
 これら浮世絵の役者絵とともに、ブロマイドの元祖・浅草のマルベル堂製の古いブロマイドや、長谷川一夫の名前入り団扇、原節子のイラスト入り団扇を展示。後者は、アイドルのライブの物販で売られているあの団扇の、直接のご先祖ということになる。
 これなどはまだまだ序の口で、展示される資料はどんどんディープになっていく。

 《森律子等身大人形》は、ファンから女優へと贈られたものという。
 写真だけでただならぬ雰囲気を感じていたが、実物はさらにすごかった……

 高さ約150センチ。等身大であるから、まあそれくらいのサイズ感にはなるのだけれど……肌の表現が、とても生々しいのである。
 写真だけでは、日本人形のようなものに見えなくもない。だがじっさいは、白い肌は血色を帯び、しわ、たるみ、浮き出た血管まで表されている。ほんとうに、女優が目の前にいるようだった。
 作者は不詳だが、生人形(いきにんぎょう)師の安本亀八(三世)と推定されている。それならば、このリアルさは納得なのだが……なぜ、このようなものをつくろうと思ったのか、贈られた側がどのような反応を示したかは不明である。
 ともかく、「推し」への並々ならぬ情熱だけは、これでもかというほど伝わってきたのだった。

 等身大人形に比べれば、ファンレターや楽屋に掛ける暖簾などは、かわいい贈り物にみえてくる。
 杉村春子に届いたファンレターの山に、「森繁久彌さん江」と染め抜かれた暖簾、森繁の当たり役である「屋根の上のバイオリン弾き」のテヴィエの手作りぬいぐるみなどが、等身大人形の隣に並んでいた。

 これらもまた俳優本人に捧げられたものであるが、ご本人亡きいま、大学の博物館に安住の地を得ているというのが興味深い。
 ここは演劇専門の博物館であるから適した資料には違いないが、これまで展示に出す機会になかなか恵まれなかったのもたしかであろう。そういったものが日の目を見るのは、喜ばしいことだ。

 歌舞伎や映画・演劇の俳優、それに宝塚のスターの後援会、ファンクラブの会報も、どさっと出ていた。
 後援会はオフィシャルなものゆえ、推しとの相互のふれあいも可能となる。かたやファンクラブには公式主導のものと、ファン同士のネットワークにもとづいた同人的なものとがある。後者の熱量たるや、すごいものがあった。
 このカテゴリーからは少しはずれるものの、ごく私的に制作されたファングッズに、おもしろいものがあった。
 《市川雷蔵の世界》というハードカバー・大判、銀の箔押しの手の込んだ装丁の豪華本で、中には「雷(らい)さま」こと市川雷蔵の紙焼き写真がきれいに収められている。
 公刊されたものではなく、あくまでファンが独り楽しむためにつくった、「マイベスト雷さま」ともいうべき一冊。「ここまでやるのか」といいたくなる、手の込みようだ。

 第2展示室では、現代の推し活を紹介。
 正方形のふせんを使って、自分の「推し」を貼りだせるアンケート的なコーナーとなっていた。
 こちらも、大盛況であった。

 ——本展から感じたのは、「推し活」とは今も昔も変わらず続いてきた普遍的なものであること、そしてなにより、ほんとうに好きなもの、熱中できるものがある人は、かくも強いのだということだった。
 美術の分野で似たような動きをしている身としては、勇気をもらった気がした展示であった。

昭和3年(1928)築の演劇博物館。たまたまオープンキャンパスの日に重なり、若者でにぎわっていた
わたしの「推し」


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