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古伊賀 破格のやきもの:3 /五島美術館

承前

 古伊賀の異形ともいえる造形は、ときに、人ならぬ「鬼」をも連想させる。
 その名も「鬼の首」という水指。

 川喜田半泥子が、京都の美術商から購入。三重県内に里帰りし、現在も川喜田家の石水博物館に蔵されている(ただし、博物館のある津は伊賀国ではなく伊勢国)。現地を含めて何度か拝見しており、再会を楽しみにしていた。
 激しくヘラ目が走り、ベコベコと歪まされた器体は、赤く固く焼き締まっている。その上からサーッと、萌葱色の灰釉がうっすら流れ、理想的な広がり、溜まり、発色となっている。「鬼の首」の銘はたしかにそうだなと思われるいっぽう、この釉調。鬼というには、あまりに美しい。
 半泥子は郷土のやきもの・伊賀焼に関心を寄せ、みずからの創作の糧とするとともに、伊賀上野城内から陶片を採集している。本展には、出土品の底が抜けた水指を、半泥子が補作して使用できるようにした例も展示されていた。

 やはり鬼を想起させる《伊賀花生 銘  羅生門》(個人蔵)。

 平安京の表玄関・羅城門がやがて荒廃し、鬼すら棲みついたという逸話は、舞台の名を「羅生門」と変えて謡曲や芥川龍之介の小説、黒澤明の映画に描かれ、よく知られるところ。「電力の鬼」こと松永耳庵は、羅生門の鬼を思い浮かべて、この花入に《羅生門》と命銘したのだった。
 耳庵はことのほか古伊賀を愛したらしく、本展にも耳庵旧蔵・命銘の作が複数含まれていた。たしかに古伊賀は「荒ぶる侘び」といわれる耳庵の茶風には、よく合致すると思われる。

 《羅生門》が「鬼」らしくみえるのは、じつは上のサムネイルの面というよりは、その反対側からみたとき。こちらのページのアングルをご覧いただくと、紅潮した硬質な肌、そのところどころから吹き出す白い長石の細片による凹凸など、まさに「鬼」といえよう。
 このように古伊賀の、とくに花生に関しては、前後の面で印象が大きく異なるものが多い。苔清水の流れるごとく美しいビードロ釉をみせるかと思えば、反対側は、灰の塊がぼろぼろと降って溶着し、真っ黒にただれている……そんな作である。水指の《鬼の首》も、背面は備前の焼締め陶のようであり、一転して侘びた趣だ。
 となると、全角度から観たくなるのが人情。できるならば、展示ケース内に鏡面がほしかった。全点を行灯ケースで観ることはかなわないから、せめて鏡が。
 別の角度からの写真は、図録に収載されている。五島美術館の図録は毎回、別角度・裏面などのカットがしっかり入った資料的価値の高い仕上がりとなっている。今回はなかったけれど、掛軸の場合は表具も収録してくれる。たいへんありがたい。
 それに、今回の図版はすべて、新規撮影とおぼしい。ISBNのついた書籍兼図録なので、まだ書店で購入できる。購入して損はないだろう。(つづく


京都・南禅寺の苔清水



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