見出し画像

国宝 雪松図と吉祥づくし:2 /三井記念美術館

承前

 応挙の作品は《雪松図》以外にも5点。永樂の陶磁器が10点、象彦の漆器は2点。
 いずれも三井家がパトロンとして活動を支えた作家であり、この館ならではの展示内容といえた。
 「ならでは」といえば、もうひとつ。
 三井家の当主は代々、みずから絵筆を執るたしなみをもっていた。当主たちの作としては絵画7点、楽焼の香合(の蓋)1点。三井家の親類御一同による寄合描(よりあいがき)も。新年の会合で描いたものだろうか。
 興味深かったのは、北三井家3代・三井高房による《恵比寿・大黒図》。江戸中期の先祖が描いたこのお軸を、北三井家では毎年お正月掛けにしていたという。
 幕末・明治の13代当主・三井高福は、3代・高房の《恵比寿・大黒図》をそっくりそのまま写した。落款まで丁寧に書き写し、その下に自署、「謹写」と記している。偉大な先祖を崇敬し、模範にしたいと考えたのであろう。

 三井家代々のたしなみとしては、茶の湯もあった。
 《玳皮盞 鸞天目》(南宋時代・12~13世紀  重文)。格の高い天目茶碗のなかでも、文様のついたものは多くない。
 見込みに描かれた伝説上の鳥・鸞(らん=親鸞上人の「鸞」)は、長い尾をしだらせている。
 日本人は古来より「しだれる」ものに対して、神性や吉祥性をいだいてきた。神社のしめ縄や紙垂(しで)、御幣がそうであるし、松や藤、柳の木には神が舞い降りるとされた。
 本作が珍重・愛好されてきた背景にも、そのような観念が横たわっているのだろう。
 鸞の尾がしだれるそのたもとに、若草色の抹茶が点てられたさまを観てみたいものだ。

 野々村仁清《色絵鶏香合》は、極密な色絵ながら嫌味を感じさせない、まさに名工の仕事。
 この仁清の洗練を、後世の京焼の作家は誰一人として超えられなかった。高すぎる壁だなと、改めて思う。

 そのほかにも、三井家の各家に伝わった古美術の名品が多々。
 応挙も影響を受けた中国・清時代の沈南蘋による《藤花独猫図》。南蘋、応挙ときたら「写実」であるが、この猫は写実的? アンニュイな、なんともいえない表情の猫さんである。藤と芙蓉のあでやかな淡彩がすばらしい。
 豪奢な《桜雉子蒔絵硯箱・文台》(江戸時代・18世紀)。つがいの雉がまず目に入ってくるが、よくみると、よちよち歩きの子が3羽。鮮明な画像でお目にかけられないのが残念だが、硯箱の蓋表と文台の天板に、5羽の家族がそれぞれ描かれている。
 吉祥文様の極めつけは、能装束の《刺繍七賢人模様厚板唐織》(明治時代・19世紀)。ありとあらゆる吉祥のモチーフが、色とりどりの糸で縫いこまれている。なかには、ハリネズミまで。

 ーーこの能装束に象徴されるように、お正月にはお誂え向きの、はなやか・にぎやかな展覧会であった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?