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カラーフィールド 色の海を泳ぐ:5 /DIC川村記念美術館

承前

 再掲すると、「カラーフィールド」の作品とは「見上げるような大画面に、少ない色数を面のように広く使って展開する」といったもの。

 2部構成の本展。
 前回まで紹介してきた第1会場の作品には「それぞれの色が明確に塗り分けられている」といった共通項があって、色の濃淡、筆の動きといった要素は観察しがたかった。
 対して第2会場では、色を重ねる、グラデーションを出すなど、より複雑多様な表現が集められていた。筆の跡やにじみ、ぼかし、かすれ……色と色の境界が、曖昧。これもまた、カラーフィールドなのだ。
 会場の雰囲気も、作品傾向に呼応させていた。第1会場はホワイトキューブの光あふれる大空間、回遊性のある構成だったものの、第2会場は小部屋で区切った一方通行の構成とし、また照明を落として、壁紙を暗めの色調でまとめていた(そして最後の部屋で、またホワイトキューブに戻る)。
 同じ展示でも、前後半でずいぶんと様相が変えられていたのだった。正直、第1会場では「こんな感じか、だいたい傾向はつかめたぞ」と思わされていたところを、ハシゴをはずされたような思いである。わたしはまんまと、企画者の術中に嵌まってしまったのだ。

 第2会場のトップバッターは、ヘレン・フランケンサーラーとモーリス・ルイスのご両人。第1会場にいたフランク・ステラに次いで知られたふたりといえそうだ。
 ルイスは、日本各地の美術館でぽつぽつ収蔵されている。それに比して、国内での認知度はそう高いともいえなそうなのは残念……
 わたしも国立国際美術館などで観ていて、贔屓の作家のひとりだった。

 これはわたしの勝手な見立てであるが、ルイスの絵は、じつに「日本人好み」という感じがする。
 水で溶かされ、薄められた色がキャンバスに浸透し、にじんでいく。その過程すべてがルイスのコントロール下にあったはずもなく、にじみ、ぼかし、垂らし(垂れ)といった画面上にみられる効果は、多分に偶発を含んだものであろう。
 原色ではない微妙な色合いを、偶発性を加味した即妙な手法で生み出していく。この過程やその結果として生まれた画面には、水墨画や淡彩画に通じるものがありそうだ。そういった点が、日本人の感性に馴染みやすいのではと思われる所以である。

 ルイスの絵は、どれも巨大だ。
 微妙なグラデーションのヴェールの前に立ち尽くしていると、まるでなにか大きなものに包まれるような気がして、心地がよい。もやもやとした、やわらかい、大きななにか……
 また、その大きな画面のどこを観ても同じ調子などなく、いつまでも飽かずながめていられるのである。(つづく)


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