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逆境を乗り越えた大女優・高峰秀子の美学 /日本橋三越・東京タワー

 2024年3月27日、「デコちゃん」こと高峰秀子(1924~2010)は、生誕100周年を迎えた。
 これを記念する2つの展示をハシゴしてきた。

■高峰秀子が愛したきもの /日本橋三越

 お誕生日の当日に開幕した本展。4月9日までと会期が短いため、1日で2つをまわろうと思えば、チャンスはわずか13日間に限られる。
 じつは、本展に関して、三越のホームページにはなぜか記載がなかった。どうしたことか……おそるおそる向かった本館4階で開催中と確認でき、胸をなでおろした。
 いわゆる催事場ではなく、通常の呉服売り場の各所に愛用の15点弱の着物、5点ほどの帯を展示。傍らでは、デコちゃんの着物に対する考えやこだわりがうかがえる言葉をパネルで紹介。着物姿の取材記事を集めたコーナーもあった。

 着物はどれも、色や文様の主張が控えめで品がよい。目を凝らしてみて初めて、デザインや技巧の妙に気づかされる「粋」な着物たちであった。
 そのかわり、帯の主張は強め。取り合わせにより、あでやかな装いとなったことだろう。
 ガラスケースなし、間近で拝見でき、デコちゃんがより身近に感じられた。

■東京タワー大特別展

 前を通ることはあっても、中に入るのは数十年ぶりの東京タワー。日曜とあって、タワー内の貸会場では、他にも多数のイベントが開催中。正面玄関からまっすぐの奥まったところに、本展の入り口はあった。

 まずは、上の写真2~3枚めのような曲面の壁に沿って、年表形式でその生涯を振り返っていく。
 ただの年表ではなく、「読ませる」年表になっている。具体的には、展覧会名にもある「逆境」とはいかなるものであったかという点に主眼が置かれていた。女優としての活動歴は、年表の合間に挟まれた写真、台本、ポスター、出演作のダイジェスト映像やニュース映像によって充当。
 5歳で実母を亡くし、叔母に養女として引き取られ、すぐに子役としてデビューしたデコちゃん。義母の苛烈なまでの “毒親” ぶり、親戚を含む血縁者の非常識ぶりは目を覆うばかりである。
 それだけに、夫である映画監督・脚本家の松山善三との出会い、晩年の静かな暮らしがどれだけ幸福に満ちていたかが痛感された。
 年表に続くスペースには、デコちゃんが普段使いしていたカバンに服、装身具、調理器具や、旅先などで買い求め、日常の空間に置いていた品々を展示。エッセイ『いいもの見つけた』で見覚えのあるものや、昨春、銀座のミキモト本店での展示で拝見したものも多く含まれていた。

 ダイニングルームと書斎の再現展示も。親交の深かった梅原龍三郎の油彩が、多国籍な品々の並ぶインテリアによく馴染んでいた。多様でも雑多にはならないあたりに、家主のセンスのよさがうかがえた。
 続く暗室に、デコちゃんの名言が透し彫りされた走馬灯、夫妻の思い出の写真のコーナーがあって、展示はお開き。


 ——デコちゃん出演作の特集上映は、この誕生日の時期に合わせてか、京橋と阿佐ヶ谷でちょうど開催中。2つの展示を思い返しつつ、大女優・高峰秀子の名演を改めて楽しみたいものだ。


芝公園では桜がちらほら、咲き始め
東京タワー入り口で乱舞する鯉のぼりたち。まだ3月末で、勇み足感がすごい
五月晴れ……ではないが快晴


 ※昨春、銀座のミキモトで開催されていた「真珠のようなひと ―女優・高峰秀子のことばと暮らし―」の記録(全2回)。



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