見出し画像

ガラスの器と静物画 山野アンダーソン陽子と18人の画家 /東京オペラシティ アートギャラリー

 ガラス作家・山野アンダーソン陽子によるガラスの器と、18名の画家による静物画を取り合わせた展覧会である——というのが最低限の説明になろうが、あまりにそのまんまで、大事なことが抜け落ちてしまっている。もういくつか、付け加える必要があろう。

 謎かけのようになってしまったが、どういうわけかは、公式サイトの「イントロダクション」を読んでいただくのが手っ取り早いか。以下、引用。

山野が18人の画家それぞれに声をかけ、画家自身が描きたいと思うガラスを言葉で表現してもらい、その言葉に応答して山野がガラスを吹きます。できあがったガラスを画家が静物画に描き、写真家・三部正博が画家のアトリエを訪れて絵画とガラスの写真を撮影し、デザイナー・須山悠里がアートブックのかたちにしました

本展「イントロダクション

 すなわち、このコラボレーションは、既存の作品をほうぼうから持ってきて組み合わせるタイプのものではなかった。作品が生み出される前段階、そのプロセスから、ガラスと絵は密接に関わりあっていたのだ。
 そして、密接ではありながら、同時にファジーさを重視した手法がとられている。具体的には「言葉」を起点とし、異なる素材や技法、表現を多層的にかぶせていくことで、伝言ゲーム状の揺らぎを生じさせている。「画家の言葉→ガラス作家のガラス→画家の絵→写真家の写真→デザイナーの本」という構図。まず言葉ありきの、入れ子状。
 こういった生成過程を知るに至って、わたしのなかで俄然興味が湧いてきたのであった。

 会場ではガラス、絵とともに、画家のアトリエで撮影されたガラス作品の写真を「3点セット」で展示。事の発端にして最終形態である「アートブック」の位置づけは、図録が担っていた。
 いくつか、実例をみてみよう。ガラス、絵、写真の制作年の前後関係にもご注目(※本展は撮影可)。

山野アンダーソン陽子《Drinking Glass for Anna Bjerger》(2020年)
アンナ・ビヤルゲル《milk》(2021年)。アンナから山野へのリクエストは「牛乳を飲むためのグラス」「小ぶりで、牛乳の冷たさを指で感じられる薄いグラス」だったとのこと
三部正博《アンナ・ビヤルゲルのアトリエに佇むガラス食器01》(2022年)

 *

山野アンダーソン陽子《Stem for Pink for Saiko Kimura》(2021年)、木村彩子《Stem for Pink / 7 May》(2021年)、三部正博《木村彩子のアトリエに佇むガラス食器》(2022年)
木村の「花が開く寸前の蕾」「ゆるやかな動きのある脚」などの言葉から、このガラスが生まれた
山野のガラスを受けて、さらに豊かな作品世界が、絵画によって切り拓かれる

  「3点セット」は、序盤でこそ忠実に守られていたものの、徐々に崩されはじめた。リスト上ではそろっているが、3つのうちどれかが、あえて離れた場所に置かれるようになっていったのだ。
 まわりを見渡しても、ない。忘れた頃に、現れる。
 単調さを避けようとする、展示上の絶妙な工夫である。

伊庭靖子《untitled 2021-15》(2021年=右)と《untitled 2023-04》(2023年)
三部正博《伊庭靖子のアトリエに佇むガラス食器》(2021年)
山野アンダーソン陽子《Bottle with Lid / 振出し for Yasuko Iba》(2021年)。「大事にお菓子を保存する容器」とのリクエストから生まれた

山野アンダーソン陽子《Carafe for Miwa Ogasawara》(2021年)
小笠原美環《Still》(2022年)。170×100センチの大きな作品

 ——ガラスのうつわをめぐって、イメージが連鎖されていく。
 ひとつひとつ並べると、たしかにそこには素材や表現、イメージ共有の不完全などに起因する「ずれ」が認められはするのだけれど、同時に眼差しのあたたかさ、ものをみつめるやさしい視線が、絵のなかには多分にこもっているように思われた。
 自分がオーダーを出したもの、しかも、裁量を残した「おまかせ」の品ができあがって、手許に届く楽しみ。梱包を開けるときのワクワク。想像していたものとちょっぴり(だいぶ?)違うけれど、許容できてしまう上機嫌さ、悠揚さ。「こうきたか!」と膝を打つ感嘆。
 そういった昂りの感情が絵筆に乗り移り、展示室に充満している。ガラスと響きあう。すてきな展示空間だった。
 図録も美しいけれど、この空間に身を置くことこそ、おすすめしたい。モランディのお好きな方もぜひ。3月24日まで。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?