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市原歴史博物館の至宝:2

承前

 市原歴史博物館が紹介されるとき、決まって第一に挙げられるのが《「王賜」銘鉄剣》(市指定文化財)。

 銘文が確認されている古代刀剣は全国に8例のみで、内訳は国宝4点、重文3点。いろいろあったが、重文の仲間入りをする日は近いようだ。
 わたしが訪れたときは、レプリカの展示であった。

 この鉄剣はもちろんすごいのだが、「市原の至宝」ということで、わたしが真っ先に思い浮かべるのが《灰釉花文浄瓶(じょうへい)》(平安時代・9世紀  愛知・猿投窯  市指定文化財)。博物館のホールで独立ケースに収まっていた3点の、最後の作品である。
 浄らかな水を入れて仏前に供え、また注ぐためのうつわで、上総国分寺周辺の遺跡から昭和49年に出土した。

 ご覧のとおりの、たいへんな美作。国宝だっておかしくないと思う。

 まず、姿が美しい。流れるように自然なラインを描く、品格あるフォルムだ。
 浄瓶はインドの金属器に由来するかたちで、仏教とともに東漸して、中国や朝鮮半島でも金属や陶製の浄瓶がつくられた。
 下の写真は、近い時代に朝鮮半島で製作された銅製の浄瓶。

 とてもメリハリの利いた造形だ。
 はちきれんばかりのボリュームがあるなかで、締めるところをキュッと締めている。それゆえに華やかであり、主張は強めだともいえよう。
 このような大陸の浄瓶を、さらになめらかに、まろやかにならしていくと、市原の浄瓶の和様化された姿に行き着きそうだ。
 そこには金属・陶という素材の性格の違いはもちろんのこと、双方の美意識の相違が、如実に表れているのだろう。

 灰釉は、頸部から肩にかけてうっすらと掛かり、数滴だけ垂下していく。この景色も、静謐で穏健な印象を助けている。釉の渋い萌葱色を引き立てるのは、よく精製された素地の白さだ。

 白くきめ細やかな表面の各所に、簡素な線で雲や花・草の文様が刻まれている。おおらかで、巧まず、のびやかな線描である。そこに釉薬が溜まれば、より濃い色合いとなる。
 文様をつけることじたい、大陸にも他の日本製の浄瓶にもみられない特徴だ。
 ただ、同じ遺跡からは、当時の高級輸入品である中国・越州窯の青磁碗が出土している。この碗は無文であるものの、越窯青磁には陰刻でラフな模様をつけた作も多い。そういった作をモデルとして、このような文様を描く発想に至ったのかもしれない。


 ——展示ケースの隣には、3Dデータを用いた触れるレプリカが置いてあったけれど、そちらには目もくれず、浄瓶をあらゆる角度から見つめつづけるのであった。
 わたしにいわせれば、この浄瓶ひとつ観るだけでも、市原まで遠出する価値はある。また、会いに行きたい。

 左肩の盤口(※後補)から水を入れ、上部の十字形の先端(尖台  ※一部後補)から注いだ。古くは、先端に口をつけて直接飲んだとも


 ※特別展の期間中は常設展示が撤去され、規模を縮小して「多目的室」に移されていた。3点の名品も本来はホールでなく、常設の部屋に展示されているようだ。
 以下は多目的室にいた埴輪たち。この子たちにもまた、会いに行きたい。埴輪って、本当にいいものですね(水野晴郎)。



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