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没後50年 福田平八郎:6 /大阪中之島美術館

承前

 平八郎の「題材のおもしろさ」に関しても、ぜひ触れておきたい。「なかなか思いつかないよな……」というモチーフを、平八郎はしばしば絵にしている。

 まずは《氷》(1955年  個人蔵)。

 庭先の手水鉢にできた氷の割れ目が、本作の着想源という。
 冬場、水の入ったバケツを戸外に放置しておくと、こんなふうに氷結することはたしかにあるものだ。ふしぎな絵だが、聞けば「なるほど」と思える。
 平八郎は、テレビに映った天気図をよくスケッチしていたともいい、本作には手水鉢の氷だけでなく、気圧配置のかたちも投影されているのではとの見方もある。本作のすぐ近くには、「テレビ天気図」というメモ書きのあるスケッチの実例が展示されていた。

 氷は氷でも「うす氷」を描いた作が《素描(うす氷)》(1949年   大分県立美術館)。
 いただき物の富山銘菓に高いデザイン性を見出し、ていねいに写している。ショップでは、本作とコラボした本物の銘菓「うす氷」が販売されていた。

左は《紅白餅》(1949年)、右は《栗、松茸》(昭和20~30年代)
粉の質感も、これを絵にしようという発想も、どちらもすごい

 食べ物つながりでいうと《鱶の鰭と甘鯛》(1954年  大分県立美術館)。フカヒレ2片に、アマダイ、なぜかタイトルにはないが、ウニもいる。

 こちらは素描ではなく、しっかり作品化され、展覧会にも出品されている。
 フカヒレは、デパートの物産展でみかけたものとか。コピーにもあるように、「描かずにはいられない。」というスイッチが入ってしまったのだろう。

 さらに、カラフルな紙テープや……

児童画を模写したスケッチなども。


 ——平八郎の柔軟な目、素直な感動、さらに、それを逃すまいとスケッチに残そうとする情熱には、最後まで驚かされつづけた。さすがは「写生狂」を自称するだけある。晩年まで、純真な人だったのだろう。

  「逃すまい」……そういう意味では、動き、かたちを留めずに変化していくもの、たとえば気象現象などは、より素早く描きとる必要があったと思われる。
 展示の終盤を飾った《雲》(1950年  大分県立美術館)も、そのような作品。

 会場の黒い壁に、もわーんと浮き上がる《雲》に、心奪われた。
 青空に白い雲が立つさまは爽快なものだけれど、同時に、けっして珍しい光景ではない。
 だが、平八郎にとって、この日・このときにみた雲や空こそが、「描き留めたい」と強く思わせるものだったのだ。
 何気ない暮らしのかたわらにあった胸のすく一瞬が、ここに絵画化されている。
 空と雲だけの、ありそうでない、すてきな絵である。

 ——ショップでは《漣》グッズが充実していて、大いに迷わされた。
 漣ワイシャツ、漣Tシャツ、漣手ぬぐい、漣マステ、漣クリアファイル……
 結局、漣関連はガチャガチャ(1回300円)で当てた缶バッジ(×2)のみにしたけれど、漣ワイシャツなんて、なかなかよかったなぁと思う。
 本展では、鑑賞後に欲しくなるグッズがとくに多い気がする。平八郎の絵は、グッズ化しやすい絵なのだろう。これから観に行かれる方は、財布の紐にもご注意を……

葛西臨海公園にて

 ※《漣》(大阪中之島美術館  重文)が、本日4月9日から23日まで展示取りやめという。作品リストでは通期展示とされており、本情報のリリースは先日5日。「作品保護のため」というが、目玉作品の急遽の展示中止、しかも借用ではなく館蔵品がというのは、かなり異例。展示中になんらかのコンディション悪化が見出され、応急処置を施すためだろうか。文化庁から指導が入ったかもしれない。心配。

 ※来週朝・再来週夜のNHK「日曜美術館」は本展の特集。ちょうど、《漣》が不在の期間にあたってしまう。この大変な機会損失と天秤にかけても、展示休止とすべき強い理由があったのだろう。

 ※切手にもなった山種美術館《筍》(1947年)は、後期からの展示のため観られず。ただ、所蔵館では「没後50年  福田平八郎×琳派(仮称)」を控えており、このときに拝見できることだろう(会期は9月29日~12月8日)。



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