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〈新春スペシャル〉2023年の鑑賞「落ち穂拾い」:3

承前

 ——年を越してしまった。振り返りは、まだ5月までしか終わっていない……
 〈歳末スペシャル〉から〈新春スペシャル〉に改題して、続けるとしたい。

■堺屋コレクション展 /美術愛住館(6月7日)

 新宿歴史博物館で「新宿の画家たち」を観たあと、歩いて12分の「美術愛住(あいずみ)館」へ。洋画家・池口史子とその夫・堺屋太一の旧居を改造した、池口の母校・東京藝術大学が運営する展示施設である(ちなみに「愛の巣」的な意味ではなく、れっきとした「新宿区愛住町」という地名からとられている)。
 本展は堺屋の旧蔵品によるコレクション展で、池口やその周辺の洋画家たちの作品が展示されていた。わたしのお目当ては、池口の師・山口薫。

山口薫《馬》(1958年)
山口薫《石積み船》(1959年)

 出品の作家たちは、必ずしも池口と同じ山口門下というわけではない。けれども山口薫に通じる風化・摩耗にも似たマチエールの作が多く、共通する傾向がみられた。
 堺屋太一は、このような絵を愛したのだ。そしてそれは、わたしの好みとも近いものであった。


■牧野伊三夫展 塩と杉 /生活工房(6月17日)

 三軒茶屋駅の真上のギャラリーで開かれた、牧野伊三夫さん(1964~)の展示。
  「塩」とは製塩。塩づくりに取材した新作の絵本『塩男』の原画がひとつめの柱だ。

 もうひとつの「杉」とは、大分の日田や岐阜の高山で牧野さんが取り組んできた、林業を応援する活動を指す。会報やその原画に加えて、杉材を使った家具や浴槽の蓋といったグッズが並び、いわゆる画家の個展とは趣の異なる雰囲気。
 牧野さんの絵には、ほのぼのとした漫画的なゆるさがあるいっぽう、芯の部分にはしっかりとした気骨が感じられる。それは文章でも同じ。『画家のむだ歩き』などのエッセイを読んで真似事をしたり、同じ場所を訪ねてみたり、何度かした。
 日田にはいつかと思いながら、果たせていない。
 その「いつか」の折に、ぜひ味わいたいと目論んでいた牧野さんプロデュースの弁当「日田きこりめし」が、なななんと本展の会場で限定販売! きっちり予約をして、いただいた。
 やっぱり日田に、行きたくなった。

掛け紙はもちろん牧野さん
御開帳。曲げわっぱも割り箸も、すべて日田杉。ひとつひとつの具材がデカく、しっかり味わえた。ご覧のように片手に乗るほどのサイズ。大きくはないが重量感があったし、おなかいっぱいになった。非の打ち所がない弁当
割り箸とは別に、やはり日田杉製のノコギリがついている。丸太に見立てたゴボウの煮物を、このノコギリを挽いて切断するのである。ゴボウは適度な硬さで、切りごたえがある


■読む絵画展  ~明治座の名画から深まる日本のハレ~ /本の森ちゅうおう(6月23日)

 2022年12月、JR・東京メトロの八丁堀駅すぐのところに「本の森ちゅうおう」がオープン。中央区の文化施設で、図書館や郷土資料館の機能が合わさったもの。建物も奇抜だ。

 本展では区内の明治座から、館内を飾ってきた山口華楊、奥田元宋らによる日本画作品を借用。開館初の企画展とのことで、門出にふさわしい吉祥性の高い絵が10点弱並んでいた。
 かたわらの複数の島には、関連図書をディスプレイ。これらは図書館の蔵書で、手にとってめくったり、借りたりすることができる。絵画作品を入り口として、美術や日本の伝統文化について深く知るためのきっかけとする趣向である。
 点数の少なさから類推できるように、展示スペースはきわめて小さい。図書館の一角に展示ケースがあるイメージ。けれども、おもしろい試み。年に1度は、こうして美術作品と図書のコラボがみられるとのこと。期待。


■ART de チャチャチャ  -日本現代アートのDNAを探る- /WHAT MUSEUM(6月24日)

 天王洲アイルの近辺では、現代アートが盛ん。大手ギャラリーあり、パブリックアートありで、無機質な倉庫街がこうも変わるかというくらい、街に溶け込んでいる。

東横インの前にある三島喜美代《Work 2012》(※陶磁器)

 寺田倉庫のWHAT MUSEUMでは、日本の古いものをバックグラウンドとした現代アートを特集。

井上有一《月》。現代アートとはちと違うけれども、わたしのお目当てとしてはこれ。一画一画、月の字がビルドアップされていく。しぶきが星のようにもみえ、天の川(ミルキーウェイ)の神話を思い出した
左の2点は、井上有一自身を写したもの。右は杉本博司の連作。岡村桂三郎の巨大屏風を背に撮影。黒バックにモノクロで統一された展示空間であった
若冲《果蔬涅槃図》をもとにした、森村泰昌の作品。一般的な涅槃図の擬人化された動物たちを、若冲は野菜でパロディし、さらに森村はみずからに変換してみせた。イメージが、多層的に連続していく
須田悦弘の雑草。きょうはここに生えていた(※木彫)
「もの派」を集めた部屋も。李禹煥《点より》

 ふだん、古美術や近代美術を足場にしているわたしのような者にとって、現代アートは同じ美術でありながら——しかも、自分と同時代のものでありながら、さまざまな面で、畑の違いを痛感させられることが多い。
 本展の出品作に関しては、下敷きや前提となっているもの、その源流が把握できていたため、ある意味、現代ものにしては非常に取っつきやすい展示だったように思えた。

(つづく)


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