見出し画像

ジョルジュ・ルオー― かたち、色、ハーモニー ―:2 /パナソニック汐留美術館

承前

 ルオーの活動期は、2つの世界大戦にまたがっている。
 戦争による苦しみ、葛藤、憤りから目をそむけることなく、ルオーはキャンバスに向かった。彼の「やり場」は、絵だったのだ。人間存在を見つめるルオーの敬虔な思索は、さらに深まっていった。
  「二つの大戦」を主題とした4章の冒頭では、モノクロームで人間の愚かさを描いた銅版画集『ミセレーレ』(1922~27年  パナソニック汐留美術館)から10図を展示。
 58×41センチほどの各図が、2段にしてひとつの壁面に展開されていた。前章の道化師と裁判官の絵にはユーモラスなところもあったが、『ミセレーレ』により会場の空気は一変。
 油彩にも、戦争の影が色濃い作が並ぶ。

 右側の《深き淵より》(1946年)。
 十字架のもとで天に召されゆく人と、祈る人物。その背後にある青(水色)の壁が印象深い。

 この時期の作品には、青系統の色を大きく用いたものがしばしばみられる。通常、青という色から受ける清涼の感はここにはなく、鑑賞者を奥深くいざなう、それこそ「深淵」のような青といえよう。

 隣にあった《エクソドゥス  道のりは長い》(1948年  パナソニック汐留美術館)は、旧約聖書の「出エジプト記」を表面上の主題としている。だが、現実のパリにも「避難する人たち」は大勢いた。ルオーが実際に目にした光景が、作品には重ねられているのだろう。
 この絵を観てようやく気づいたのは、ルオーが扱っているテーマが現在進行形であること。けっして過去の出来事ではなく、今につながっていると認識できたとき、ルオーの作品はよりいっそう重い意味をもって迫ってくる。
 そのようなことは、解説パネルなど、どこにおいても示唆すらされてはいなかった。けれども、鑑賞者自身が作品から、しかと受け取らねばならないことなのだろう。(つづく


浜松町駅前の芝離宮恩賜公園。中島に中国ふうの石橋が架かっている


 ※会場で流されていた映像「高精細でひもとくルオーの絵画」。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?