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壊相図と死生と人の生きる価値

どうも、こぶたです。
私は11歳で初めての自殺未遂をし、DVで殺されかけ、ストーカー被害に会い、
20代は自殺未遂を繰り返し、人生どん底でした。

今では車椅子ユーザーと結婚し、2児の母です。

ずっと死生について考えてきた、そんな私が語る生き死にの話です。
死にたいと思ったことがある人、今死にたい人、自分には価値がないと思っている人は読んでみてください。


センシティブな内容を含みますので、
苦手な方はまた次回の更新でお会いしましょう。

この記事は生きている実感が欲しい方におすすめです。


大切なのは結果なのだろうか?という話

今は人と死が遠すぎて、
みんな、死って眠ったようなキレイな遺体を想像するのかもしれない。

江戸時代や戦争の頃のように
道端にゴロゴロ遺体があったり
昔みたいに自宅で老いて臥して死を迎えるプロセスを経ることも
家族親族の手で弔いの支度をすることもない。

テレビの衝撃映像では
「命に別状はなかった」と締める。

命に別状はなかったかもしれないが、もとの生活に戻れなかった人や
長い長い療養を必要とした人、生活が一変した人はたくさんいる。

だけどそのプロセスには誰も見向きもしない。

命に別状がない=よかったね

ではない。

大切なのは結果なのだろうか?
人生というのは結果ではなく、プロセスそのものなのでは無いだろうか?
私たちはそれを味あわずして、一体何を人生だと言うのだろうか?

部分しか見ない、それで良いのか?という話

医療が必死に助けようとしてる命に、
多くの人は感動し応援をする。

今にも消えそうな小さな赤ちゃんの命を見て
どうか助かってほしいと誰もが応援する。

だけどなんとか助かったその先で

「生産性がない」だの「障害者は生きる価値無し」というようなヘイトを受けることがある現代。

全てのことは一部分だけじゃない。
センセーショナルな一部分だけが全てではなく、
全てのことはひと繋ぎになっているというのに。

誰もそんなことは見向きもしないまま、
彼らの命を持ち上げたり、扱き下ろしたりしながら生きている?

いのちは柔らかいから大切に扱う必要があるという話

雨の日の道端に落ちてるカエルの死体を見たことがある人は少なくないだろうと思う。

人も簡単にああなる。
柔らかい組織でできているのだから
高エネルギー外傷を負えばそうなる。

隕石が地面に衝突すればそうなる。
カエルも人も隕石も、ミクロもマクロも変わらず同じようにそうなる。

そしてもちろんそれらは、あなた以外の誰かが
回収し、片付け、できるだけキレイにし、荼毘に伏している。
それらは人の目に触れぬようにされていることが多い。

惨いものは見ない方が良いとする人もいる。
惨いものは語らない方が良いとする人もいる。

惨いもの、凄惨なものからは学ばせてもらえばいいし
それこそが死を無駄にせず、
生きた意味を持たせ、
自分の生にさえ有難みを感じさせてくれもする。

大切な人を大切にしようと思わせてくれる。

風景に溶け込む海辺の遺骸の話

人の営みから死は切り離されるべきではなかったと思うの。

海岸をあるいているとたまに景色の一部であるかのように
毛皮をまとったまま半分白骨化した動物の遺骸を
見つけることがある。

それはそこから浮き上がるように異質に見える訳じゃなく、
足元にあっても気づかないほどに
自然と景色に溶け込んでいたりする。

死は、異質なことではない。
くっきりと浮かび上がるように異質ではない。

人は生き物だから簡単に死ぬ。
だから大切に大切にしたいし、そうするのだろう。

赤ちゃんに触ると柔らかいように、
それを守り、大切にしようと自然と感じるように。

大切な人は大切に扱わなければ壊れてしまうことを
生きる全ての人は知っていた方がいいように思う。

駐車場の白骨遺体の事件

みんなが外食や買い物を楽しむエリアに長く停められた車のなかで
白骨化した遺体が見つかったという事件がいつかあった。

死は、当たり前に隣にある。
すっかりと景色に馴染み、足元にあるのに
誰も気づかなかったりする。

みんなの娯楽や営みのその景色の中に
当たり前のように溶け込んでいる。

人の死は病院や老人ホームや事件や事故の現場にしかないわけじゃない。

本来は。

惨殺遺体の話

子どもの頃、
内臓が全て引き出され、腹腔がうつぼとなった動物の遺骸を友人たちが見つけたのを、私も目にした。
今なら大事件になったであろうけれど、当時はそれほど大事件にはならなかった。

砂にまみれた肋骨と、腹から見える背骨を見つめ
恐怖や興奮よりも、妙に冷静で落ち着いていた。

そうして、「“死ぬ”と、“殺される”の違いは
死を迎えたこの子にはあったのだろうか?」と考えながら
友人が呼びに行った大人が、その場に来るのを待っていた。

挫滅遺体の話

3歳の頃、友だちや先生と手を繋ぎ、お散歩に出た帰りだった。
幼稚園の門のすぐそばに、
動物の遺体が落ちていた。

それが何の動物かわかったのは、
艶やかな黒い毛を纏った可愛い丸い足先と、尖った耳が残っていたから。

初めて見た挫滅遺体を気持ち悪い、こわいと咄嗟に思い顔を覆い身を固くした。

すると先生は、
「まぁ、可哀想に…。」
そう言って、園舎からちりとりを持ってきて
丁寧に“それ”を掬い上げ、
みんなを連れて墓地に行った。

墓地の片隅を掘り、
野花を手向けてみんなで手を合わせた。

その先生の、
「まぁ、可哀想に…。」
の、本当にそれはそれは大層憐れむような潤んだ声と、丁寧な仕草の悼み。
そしてあの黒く艶やかな毛は
35年以上たった今でも鮮明に思い出すことが出来る。

い死を知る方法の話

祖父の訃報を聞いたのはアパートのベッドの中だった。
その夜、祖父は私に会いに来たようで
頭を撫でられているのを眠りながら感じていた。

人は死ぬ。
心臓が徐々に弱まり鼓動を止めるような死を人は思い描くが、
そうでは無い。

地面がアスファルトで固められた今、
凄惨な事件や事故でなくなった誰かの一部は
誰かの手により、拾い上げられる。

一般と呼ばれる人達の目に、そうした遺体が入ることのないように配慮がなされる。

それは精神衛生を損なわないようにするためであり、人の尊厳を守るためでもある。

思いやりの結果である。

(思いやりには副作用があるという話はまたいつか)

が、私は死を知らなければ生きることができなかった。

今はどうか分からない。けれど昔、まだインターネット空間が無防備な無法地帯だった頃は、少し調べれば大量に事故や事件や爆発やらで
肉片や骨だけになってしまったヒトの体の写真が、
なんの修正もなく散りばめられていた。

人の組織は、驚くほどに柔らかいのだと知り、
だから気をつけ、だから大切に取り扱うことを
たくさんのご遺体は教えてくれた。


死を知らなければ生は実体をなくすという話

10代から20代の半ば、私は生きている実感がなかった。
それは精神を蝕み、私には実体がなかった。解離性障害。

そして私は手首を切り、針金や針を体に刺し、タバコを押し当て
幾度となく自殺未遂をしながら
体当たりで生きてきた。

感覚鈍麻という言葉をご存知だろうか?
約2パーセントのひとが感覚の過敏を持ち、
そしてまた2パーセントの人が感覚の鈍麻を持っているそうだが
私は生憎、その両方を持ち合わせている。

感覚鈍麻があると
感覚刺激を求めて、飛んだり跳ねたり、落ちたりぶつかったり
締め付けられたり、包まれたりすることを好むらしいのだが、
今考えると、自傷行為は
その一種だったのでは無いだろうかと思う。

ストレスを人から奪う実験をテレビで見たことがある。
ストレスを一切無くすと、人は立っていることさえできなくなる。

ストレスは人が生きる上で一定量必要だという話だった。

人は脳を実体とし、体というマシンを操っている。
だがしかし、外部からの圧力がなければ
実体を失い、見る間に体の中と外の境を無くしてしまうのかもしれないなと思った。

脳が体を制御するには、その体が存在する実感が必要になり、
そのために圧力やストレスをかけて、反射させる壁として利用しているのだろう。

それは死生も恐らく同じことで
人は死を感じなければ、生を感じることも
大切に扱うことさえも、適切にはできないのだろう。

今から死ぬといった少女に寝たきりの男性が言った一言の話

学生時代、一人暮らしのアパートで、
安いジンを飲みながら夜な夜な障害があるひとたちの多く集うチャットルームに入り浸っていた。

飲みながら
私の知らない世界の当たり前の話を聞くのが好きだった。
どうしたら問題解決できるか、生きやすくなるか、
暮らしやすくなるか、共に方法を考えるのかが好きだった。
交ぜてもらう代わりに
習ったばかりのちょっとした福祉の情報や知識を教えると、
ありがたがられて驚いたりもした。

健常者と呼ばれる人の世界の渦からはみ出した私を、受け入れてくれた場所だった。

みんな私のことも知っていたけど
そんなことはお構いなしだった。

もうダメだと死ぬことにした日、
ある寝たきりのお兄さんから
すぐ電話するようメッセージが来た。

電話をかけると、お兄さんは言った。
「お前、死ぬならその命俺にくれ。」

抱きしめることもできない自分だけど、
無駄死にするくらいなら嫁に来てくれ、と。

何でこの人は私を引き止めるんだろう?
引き止めるために体まで張るんだろう?
と不思議だった。

あとから人伝に、お兄さんは私に好意があったと聞いた。寝たきりだから、誰かを自分の人生に巻き込んではいけないと、恋愛や結婚を諦めていたと聞いた。

障害がある、ただそれだけで
自分を縛るしかないひともこの世にはいると初めて知った。

私と彼が実際に会うことはなく、
それっきりになった。

だけど今でも耳の奥で時々、
「お前、死ぬならその命俺にくれ!」
絞り出すような声が響くことがある。

まとめ

見ないことを選択できる人たちは
“それら”を見たことがないのかもしれない。

それは誰かに“守られてる” “思いやられている”ということで
それはとても、幸せなこと。

だけどそれらを見たからこそわかるのは、
私自身にも、自分では分からない価値があったのだろうということ。
そしてそれは残念ながら自分にはわからないということ。

17歳で出会った人に軟禁され、殴られ、包丁を突きつけられ
逃げたあともストーカー化し追い回された。
何度も自殺未遂をし、職も家も彼氏も生活も健康も失った。
私には何の価値もない。
社会の荷物だと思い生きてきた。

私は今、福祉系任意団体で細々活動をしている。

私の存在価値や他の人にはできない能力や強みを見つけてくれたのは
一緒に活動する仲間たち。

それまで私は知らなかった。
私には他の人には難しいことをできる力があるということを。

だってそうでしょう。
計算が出来なくて、学校でも家でも叱られてばかり。
習い事では椅子から突き落とされて叱責され、
定規で手を叩かれ、帰れとカバンを投げつけられ、
同級生からは変人扱い。
親族からは男じゃないからと煙たがられ、親からは
できが悪い、ブサイクで可哀想だ、産まなきゃ良かった。

今ならわかる。
きっと私の言動が、社会から望まれたものではなかったのだと。
“みんな”からズレていたのだと。

だけどその環境で
自分に価値があるなんて、できることがあるなんて
思いようがなかった。

社会という場で生きることに向いていないのに
逃げ出すこともできないのか…
そうノートに書き記したのは11歳の夜だった。



あなたの周りには今どれくらい人がいますか?
その人たちからもし、ネガティブな評価を受けているなら離れてみてください。
そして別の誰かと、新しい出会いを見つけてみてください。

まだあなたの価値に気づける人が周りにいないだけかもしれないのだから。
まだそういう人に出会っていないだけなのですから。

生きている。
生があるということは、生きているだけで誰かに
他の誰かに影響できるということです。

それこそがとても、価値があることなのです。


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