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不思議な体験から今がある

25歳、テレビ局勤務時代。

取材中タクシー乗車中に事故に巻き込まれた。

外傷がなかった。

上司に事故を告げたが、問題にならず病院に行かず働きつづけた。

7日後、局内で倒れた。

そこから痛みとの戦い。入院生活が始まった。

身体が不自由な上、頭や首、腕、背中、腰、痛みがとれない。しかし、それらしい原因がわからない。3ヶ月も痛いと言い続ける私。

ブロック注射他様々ためすが、改善への治療方がみつからない医師。

局からのプレッシャーが医師を追い詰めたのか、最後は、わたしは虚言癖があると疑われた。

完全に匙を投げられた状態。

痛いと医師に告げること自体が、医師や病院に迷惑をかけると感じてしまっていた。

局からも早く復帰してほしいと言われ、焦りは自分をなおさら追い詰めていた。

心身ともに解決の糸口を失っていた。

手も指も握力がないため、紙をつかめない。

水ものめない。

将来子供も結婚も無理だなあと予測した。

ただベッドで痛い身体と時間がすぎた。


ある日、入院していた特別室で一人だったときに、それは起きた。

急に窓に向かい正座をし、その時身体中が白い光で包まれた。

そして誰にもわかってもらえぬ痛みと体の重さがとれた。一瞬だったが非常に軽やかになった。まるで浮いてるかのよう。

顔に笑を浮かべていた。感謝しかなかった。そして自分にとって無駄なものが落ちた。俗に言う欲みたいなもの。わたしを縛っていた〜せねばならないといったもの。成功欲や社会的なルール常識などがスッと消えた気がした。

上司の期待や周りの期待なのか将来のためにもニュースキャスターの番組に穴を開けぬよう

痛みが軽い日は、3時間病院を抜け出してニュースを読みに局にいっていたときもあった。

しかし、心身ともに痛みで限界が近かった。10分起き上がっていると体が痛く、頭や腕が重くて重くて支えられず、自分の腕の重さを恨んでいたぐらい。日記には今なき父が書いた文字。私の書いた文字も残っているが、いずれも悲しいきもちばかり。

やっと、やっと、自分を傷めること、人の期待にこたえることを一度辞める決意ができた。

番組キャスター役も辞める。

NHKを辞めることになってもいい。

まず身体を労わろうと誓った。

自分を大事にしなくとは、と心から思った。

それは、自分を、、というより生かしてもらっている何かにたいする感謝の意、畏敬の気持ち。理由はない。

そう感じたのだ。

局長に申し出だ。

自分の番組出演をやすむこと、実家に帰り治療に専念することを。

何かを手放す勇気がなければ、何かを得ることはできない。わたしは、自分の人生の主役は自分であることを忘れていたみたいだ。



いまでも、あの日の光のことは鮮明に覚えている。生まれ変わるというのはこういうことかと、笑顔の後涙が出てきたようにもおもう。

すごく解放されて全てに感謝し、全てがわたしで全てが世界で、みんなが繋がり、自他がなく優しい気持ちになれた。

あの光はなんだったのか、このような体験は

なんだったのか。

いまだわからないが、あの瞬間から、いままでみえていなかったことや、だいじにしてこなかったことが少しわかった気がする。

あの時多くの人がお見舞いにきてくれたが、

人の真の心も病を通じて見えるようになった気がする。言葉ではなく真のメッセージが聞こえてくるような感じ。何もいらない。いまに感謝。いまここの病院のベットの上で微笑んで体の痛みから解放されてる瞬間が既に幸せの頂点に感じられた、あの幸福な時間の体験。

ジャーナリストでもあるNHKのアナウンサーという職業は、根拠を求められる。見えるものだけが事実で、見えないもの不可思議なものは事実ではない、というのが私の仕事上のルールとなっていた。

なので、あの頃、光につつまれた話はだれにもできなかった。

錯覚だとしても、あの不思議な体験は過去の多様な経験の中でも、群を抜いて私の心身に深く刻み込まれているから忘れられない。


このことが、今のわたしの価値観に大きく影響している。

で、この事故の痛みはのちに原因わかるのだが、
実家に戻り、何件か尋ね鍼灸の先生に、改めてレントゲンをある角度からとるよう親切にいわれた。
そこで、見過ごされていた肩の亜脱却が見つかった。痛みの原因 筋肉や神経が圧迫されたまま数ヶ月経ってしまったということだ。

まあ、このあと、色々不思議体験、直感がさえて命拾いなどをすることになる。また、書いて行けたら書くことにする。


もし、同じような体験があるかたがいましたら、教えてほしい。。

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