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言葉のお守り

幼い子が眠れない夜に、母親にねだる絵本みたいに。繰り返し、なんどもなんども。眠れない夜に読む本がある。

批評家・若松英輔さんのエッセイ集。「悲しみ」をテーマに書かれた26編の美しい文章が並ぶ。この本は、我が家の寝室にある本棚には置いていない。いつでも手に取れるように、リビングの飾り棚の上が指定席だ。

心がざわついた夜や、漠然とした不安が湧き上がったときに、この本を開く。ひとつのエッセイを読むときもあれば、一気に十数編読むこともある。

この本を知ったのは、ラジオで耳にした「悲し」の読み方に関するエピソードがきっかけだった。

かつて日本人は、「かなし」を、「悲し」とだけでなく、「愛し」あるいは「美し」とすら書いて「かなし」と読んだ。

表題作「悲しみの秘儀」より

語源マニアなぼくとしては、それだけで読むモチベーションとなった。この本で語られる「悲しみ」は、すべて喪失が起点となっている。裏表紙に書かれた解説文にも「大切なものをうしな暗闇の中にいる人に、静かに寄り添う書」と書かれている。

けれど、不思議なことに。この本を読みながら、亡き人を想ったことは少ない。初めて読んだときこそ、喪った父に想いを馳せたこともあったけれど。2回、3回と繰り返し読むうちに、いまを生きる人のことを思うことが多くなった。

── あのとき、長男にこう接すれば良かった
── 同僚のひとことを、なんで掬い取ってあげれなかったんだろう
── 友達にちゃんと寄り添えてたのだろうか

若松さんの文章は、ふだん見過ごしている大切なことに光をあててくれる。そんな光が随所に溢れるこの本。ぼくが一番好きな一文は、本文の前に登場する。「はじめに」と書かれた序章。千五百字ほどの短い文章の中にそれはある。

人は、自分の心の声が聞こえなくなると他者からの声も聞こえなくなる

この一文を読むたびにハッとする。日々の仕事や人間関係、子供の受験にPTA活動。目の前のことに集中して狭くなった視野を、この本はグーンと広げ、もとに戻してくれる。

大切な人を、大切にしたい

そんな当たり前を、この本は思い出させてくれる。今週は、この本を取り出し、寝る前に読むことが多かった。それは、自分が疲れているというサイン。心の声が聞こえてますか? という警鐘。

狭まった心を、深呼吸して大きく膨らましてくれるような。いつでも、自分を励ましてくれる存在。そばにあるだけで心が落ち着く、言葉のお守り。この本に出合えて良かったと、自分の心の声が聞こえる一冊。

この本は、そんな本だ。



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