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いつかのキオク

あるものを見た時に、それにまつわる遠い記憶が蘇ることが私にはよくある。

それはスーパーで売られているトウモロコシだったり、手作りのドーナツだったり。

毎年6月になると、祖母からトウモロコシがたくさん届いていた。丹精込めて作られた新鮮なトウモロコシは、茹でたてを齧るとモチモチとした食感とみずみずしい甘さが口いっぱいに広がる。宅配便の段ボールのすみには、小さなお菓子たちも一緒に詰められていた。それはどこにでも売っているチョコレートやクッキーだったけれど、とても嬉しくて祖母の愛情を感じる瞬間でもあった。

あれから何年も経って、もうトウモロコシの宅急便が届くことは無い。

スーパーでトウモロコシが出回る季節になると、祖母からの段ボールを楽しみに開けていた頃を思い出す。電話をかけてお礼を言うと嬉しそうに「ななが喜ぶからねぇ」と笑っていた。
そんなことを考えながらトウモロコシを見ると寂しくて泣きそうになる。


でも、幼い時に読んだメーテルリンクの『青い鳥』の中で、《 死者はこの世で思い出された時に目が覚めて、家に灯りがともるのだ 》と書かれていた。
私が祖母を想ったときに、むこうの世界の祖母の家には灯りがともっているだろうか。


もう一つは手作りのドーナツ。仕事で忙しかった母が、台風でお休みになった時にドーナツを作ってくれた。
日頃、ゆっくりと母と過ごすことはなかったので、そばで次々にドーナツが揚がっていくのを見るのがとても嬉しかったことを、温かくて甘いドーナツの味と共に覚えている。

今でもドーナツを見ると、母のそばにいたあの台風の日の幸せな記憶が蘇るのだ。


毎年節分の日には、父から招福餅が届く。
製菓店がその日限定で作るもので、「毎年お父さんが並んで買っているのよ」と母が話していた。宅急便でそれが届くと、春が訪れたことを知る。


両親とも今は健在だけれど、この招福餅がいつの日か祖母のように思い出に変わる時が来るのだろうか。先日は父が突然倒れて入院したこともあり、そんな思いが頭をよぎった。


思い出ではない、大切な人達と過ごせる今を当たり前と思わずに日々を生きていこう。
一見すると普通の、身近なところにこそ幸せはあるのだという青い鳥の物語を思い出しながら。

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